第四十三話 我が理、万人を照らす
戦は、終わった。流された血は、一滴もない。
しかし戦場には、傷ついた者たちが溢れていた。公爵軍の精鋭も、クーデター軍の兵も皆満身創痍で地に伏している。
その惨状を見渡してクラウディアは、ふらつく体で立ち上がった。
「……まだ、終わってなどおらぬ」
(まだ、みんな、痛いままだもん……)
そして傷ついた兵たちのもとへと歩み寄ると、あたたかな光をその体に注ぎ始めた。
公爵軍だけではない。敵であったクーデター軍の兵にも分け隔てなくクラウディアは、ただ黙々と傷を癒していく。
「……な、なぜだ。俺は、敵だぞ……? なぜ、助ける……!」
治された敵兵が戸惑いの声を上げる。だが、クラウディアは静かに告げた。
「敵も、味方も……そのような些末な境界、我が理の前では意味を成さぬ。傷つき、血を流す者あらば……我が光、あまねく等しく降り注ごう。それが、闇に選ばれし我の慈悲なれば」
(痛いのは、敵でも味方でも、おなじだもん)
一人、また一人とクラウディアは、倒れた兵を治して回った。何十人...何百人と……その数は、あまりに多すぎた。
「——っ、ごほっ……!」
やがて、クラウディアの口から血がこぼれた。
人の身を超えた魔法。戦場の全てを癒すなど、いかに規格外のクラウディアとて代償なしには、できなかった。魔力の枯渇が、その身を内側から蝕んでいく。
「クラウ! もう、やめて! あんたが、死んじゃうよ!」
ラナが、悲鳴を上げる。
「クラウ、もう十分だ! これ以上は——!」
アーシェが、止めようと、手を伸ばす。
「クラウディア! やめるんだ! お前の体が——!」
ヴィーザルも、必死に、呼びかける。アルベラートですら、「もうよい、クラウディアよ!」と、声を、張り上げた。
だが——クラウディアは、止まらなかった。血を吐き、ふらつき、ボロボロになりながら。それでも、次の傷ついた者へと手を伸ばし続ける。
「もういいよお嬢さん。俺達よりあんたの方が...」
「……大丈夫!まだ...やれる……まだ、治せる、人がいる...」
誰が、止めても。彼女は、聞かなかった。
「……止めても、無駄だ」
ずっと、黙っていたゴルドーが静かに口を開いた。
「なにいってんのゴルドー!? あんたも、止めてよ!」
ラナが、食ってかかるがゴルドーは、首を静かに横に振った。
「……クラウディアは、そういうやつだ」
その声は、静かで誰よりも、クラウディアを分かっている響きだった。
「あいつはな……できたのに、助けなかった。そう思ったら一生自分を責め続ける……傷ついた者を見捨ててのうのうと生きられるような。そんな器用なやつじゃないんだ」
ゴルドーは、ボロボロで治療を続けるクラウディアの背中を見つめた。
「止めるのは、簡単だ……けどな、あいつの心を殺すことになる……俺たちに、できるのはな。止めることじゃない……あいつが、後悔しないように。……やり遂げさせて、やることだけだ」
「……っ」
その言葉に誰もが、口を、つぐんだ。
——分かっていた。本当は、皆分かっていたのだ。クラウディアがどういう少女か、これが彼女の生き方だと。
「……それでも、だ」
ヴィーザルが、拳を握りしめた。
「……ただ、見ているなど……できるものか!!……せめて……せめて、俺の魔力をクラウディアに、渡せれば……!」
婚約者である自分よりもゴルドーのほうが、クラウディアを深く理解している。
その事実が、ヴィーザルの胸を焼いた。愛する女が命を削っているのに隣にいる自分は、ただ見ていることしかできない……その無力さが、悔しくて、たまらなかった。
「——できるぞ」
あっけらかんとした声が、横から割り込んだ。アーシェである。
「……は?」
ヴィーザルが、呆気にとられる。
「魔力を渡すのだろう? ……できるぞ?ヴィル殿」
アーシェは、己の傍らの風の精霊シルフを指し示した。
「精霊を介せばよい。シルフを通じて魔力を風に乗せる……先ほど、ノルンに力を分けた。……同じことを、クラウにすればよいだけだ」
「——!」
ヴィーザルの、顔がぱっと輝いた。
「頼む、アーシェ! やり方を、教えてくれ!」
こうしてアーシェの、導きのもとヴィーザルは、シルフの風に己の魔力を乗せてクラウディアへと送り始めた。
「……あれ?」
ふと、クラウディアが瞬きをする。枯れかけていた魔力がふわりと満ちていく感覚があった。体の、奥からあたたかい、力が湧いてくる。
(……この、あたたかさ……ヴィル、だ)
振り向かなくても、分かった。愛する人が自分を、支えてくれている……隣に、立ってくれている。
「……ありがと、ヴィル」
(うれしい……)
クラウディアの唇が小さく動いた。そして、再び今度は、確かな力を取り戻して治療を続けていった。
◇
どれほどの、時が過ぎただろう。
クラウディアは——ついに全ての者を癒しきった。
公爵軍の兵もクーデター軍の兵も重傷だった者も軽傷だった者も一人残らず。全員が傷一つない、体を取り戻していた。
「……せ、聖女、様だ……」
誰かが呟いた。
「聖女様が……俺たちを……敵の、俺たちまで……」
その呟きは、やがてさざ波のように広がっていった。
「聖女様……!」
「おお、聖女様……!」
治された兵たちが敵も味方も関係なく。次々とその場に、膝をつきボロボロになりながら、自分たちを救った、一人の令嬢へと。頭を垂れていく。
◇
その光景を........
治されたばかりのジークフリートとロルフが見ていた。
二人は、心の底から震えていた。先ほどまで、ヴィーザルと、アルベラートにトラウマになるほど打ちのめされ痛みと、恐怖に、怯えていたその身をクラウディアが、癒したのだ。
スーッと、痛みが引いていくその感覚にジークフリートは、おそるおそる目を開けると——目の前にクラウディアの顔があった。
「あっ目を開けた!――ええっと...その...あの...大丈夫...?」
美しい少女の顔。だがその口元には、血を吐いた痕がはっきりと残っていた。
(……こいつ……自分が、こんなにボロボロになってまで……)
さんざん見下し辱め、傷つけようとした相手の僕様を己の身を削ってまで治してくれている——
ジークフリートの中で何かが音を立てて崩れ落ちた。今まで信じてきた自分の価値観や身分に血筋……そんなものが、全てこの一人の少女の、無償の慈悲の前では、ゴミのように思えた。
「……う……うぅっ……せ、聖女、様ぁ……!」
「ふぇ?!せ...聖女?」
ジークフリートがぼろぼろと、涙をこぼしながら地面に額を擦りつけた。
「ぼ、僕様は……なんと、いう、ことを……! このお方に……こんな、尊い、お方に……!」
その隣で治されたばかりのロルフもまた大粒の涙を流していた。
「お、俺はぁ……俺はぁっ……! こんな、俺を……! うわあああん……!」
「え...えぇ?頭うった?大丈夫?なおす??」
二人が子供のように、泣きじゃくる。手にかけようとした相手の無償の優しさが固く閉ざしていた心を打ち砕いたのだ。
そして——次の瞬間。
ジークフリートががばっと立ち上がると周囲の兵たちへと振り返り声を張り上げた。
「お、お前たち! 聞けぇっ! あのお方は、聖女様だ! さあ、ひれ伏せ! 聖女様に忠を尽くすのだぁっ!」
「そ、そうだ! 聖女様に、忠誠をぉっ!」
ロルフも負けじと、叫ぶ。
まるで。己こそが聖女の一番の信奉者だと言わんばかりに二人は、必死に兵たちを先導し始めた。
そうすると、あるものはひれ伏し、あるものは感涙しむせび泣き、あるものは拝み。
そして――
「「「うぉぉぉぉぉっ」」」
「「「せっいじょ!せっいじょ!!!」」」
戦場にいる兵たちが敵味方問わず全員クラウディアを崇めている状況だった。その喧噪は、すさまじく戦場を揺るがすほどに....
そして——その騒ぎの中心で........
「……ふぇ?」
当のクラウディアは、きょとん、としていた。
(な、なんで……? なんで、みんな、ひれ伏してるの……? わたし、ただ、怪我を、治しただけ、なのに……!)
全員に、崇められ敵だったジークフリートにまで「聖女様」と泣きつかれ……状況が、まるで呑み込めずただただ、わたわたと困惑していた。
最強で...規格外で...今や万人に聖女と崇められるその令嬢は……崇拝されることに誰よりも戸惑っていた。
「せ、聖女など、ではない! 我は、闇の盟主——!」
(ちがうの! わたし、そんな、たいそうなもの、じゃ……!)
必死に否定するクラウディアだがその言葉は、かえって兵たちの崇敬を深めるばかりだった。
◇
その、一部始終を。
グラーフェン侯爵ディートリヒは、少し離れた場所から静かに見つめていた。
彼もまたクラウディアに治された、一人だった。長年アルベラートと覇を競ったその智将の目に今映っているのは——
「……聖女、か」
ディートリヒは、ぽつりと呟いていた。そしてクラウディアとその喧噪の場所を見つめ...
「……いや。あれは……それ以上...だな」
敵も味方も分け隔てず、己の身を削ってまで救う。それは、確かに聖女の慈悲だ。
だが——ディートリヒの瞳は、もっと大きなものを見抜いていた。
(……民を分け隔てなく慈しむ……敵さえも見捨てぬ……あれは、もはや聖女ではない。……人の上に立つべき——王の器だ)
長年、権謀術数の中で生きてきた有能な野心家のディートリヒが、心の底から一人の人間に、仕えたいと思った瞬間だった。
(……我らは、……あのような御方に牙を剥いたのか……愚かなことだ。最初から勝てるはずがなかったのだ。)
智将は、静かに目を閉じた。己の敗北を....そして、その敗北が何によるものであったかをようやく、心から受け入れて――
血を流さず。ただ無償の慈悲によってクラウディアは、戦った全ての者の心を征服したのだった。




