第四十話 我が理、初めて揺らぐ
ヴィーザルもラナたちも誰もクラウディアに追いつけなかった。
当然だった。クラウディアは、魔力による身体強化を全身に纏っている。いかに、魔族が、生まれ持った身体能力に優れるとはいえ規格外の魔力で己を強化したクラウディアの速さには遠く及ばない。
彼女はノルンだけを連れ誰よりも早く王都へと辿り着いた。
そして——王都を前にした広大な平原でクラウディアは、その光景を目にした。
「……これは」
平原を埋め尽くすおびただしい数の軍勢。
整然と並んだ陣は、明らかに戦の支度を終えていた。
その数、およそ4000名。グラーフェン侯爵の領軍1000名、ベルガー伯爵の領軍1500名、ディートリヒが掌握した魔法師団1000名、最後にジークフリートの私兵団500名。
陣の中央に見覚えのある顔ぶれが並んでいた。ジークフリートに、ロルフさらにジークフリートの取り巻きたち。そして——その後方に悠然と構えるグラーフェン侯爵の姿があった。
(……すごい人数――)
ディートリヒは、公爵とヴィーザルが間もなくこの王都へ攻め寄せることを読んでいた。だからこそ迎え撃つための陣を万全に整えていたのだ。
だが——そこへ、現れたのは――
公爵軍でも、ヴィーザルでも、なかった。たった一人の令嬢だった。
「——我が名を、聞くがよい!」
クラウディアが、声を張り上げた。
「我こそは、クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン! 汝らの、謀反。この我が、断じて許さぬ! ……速やかに武器を捨て投降せよ!」
(みんなが、来る前に...わたしが、終わらせる……!)
その狙いは、愛する男も仲間もこの戦場に立たせないこと。みんなが、追いつく前に自分ひとりで全てを片付けることが、クラウディアの決意だった。
「——貴様ぁ!」
クラウディアの姿を認めた、ジークフリートが顔を真っ赤にして喚いた。
「クラウディア! 貴様が! 貴様が、いたから! 僕様は、こんな目に……! ディートリヒ! あいつを、やれ! あいつを、捕らえろ!」
「……やれやれ」
ディートリヒは、小さく息を吐いた。たった一人で乗り込んでくるとは、無謀な娘だ。だがアルベラートの娘。殺すには、惜しい。人質にでもすれば、アルベラートへの交渉材料になろう。
「……捕らえよ。手荒には、するなよ。魔法師団から50名。それに、領兵。……あの娘、一人だ。造作もあるまい」
ディートリヒの指揮下で250名の兵士がクラウディアへと殺到する。
——だが。
「——我が闇の力思い知るとよい!!!!」
クラウディアは、動じなかった。
闇の帳が彼女を中心に渦を巻く。放たれた魔法師団の火球を水の壁で残らず受け止め、斬りかかる領兵たちは、土の拘束で足を縛り気絶させる。誰一人、殺さず。ただ、無力化していく。
「……な、なんだ、あの娘は!?」
「魔法が、効かぬ……! くっ、化け物か!」
250名の兵が瞬く間に無力化されていった。その圧倒的な光景にクーデター軍がざわめいた。
「ふ……ふははは! どうした! この程度か!」
(よし……この調子なら、一人でも……!)
クラウディアの、胸中に確かな手応えが芽生える。これなら、いける。みんなが、来る前に一人で、終わらせられる。
そう、確信した——その時だった。
「……ほう。これは、思いのほか」
後方で、戦況を見ていたディートリヒの目がすっと細められた。
「——侮っていたな。あの娘。……あれは、紛れもない...化け物だ」
軽く捻るつもりが250名の兵を、片手であしらわれた。クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン.....あれは、一個中隊に匹敵する戦力....いや——それ以上かもしれない。
だが——ディートリヒは、焦らなかった。むしろ、その鋭い頭脳を冷徹に回転させ始めた。
「……なるほどあれほどの力……さすがは、アルベラートの娘。だが、無尽蔵では、あるまい。どんな強大な魔力とて……使えば、必ず魔力切れをおこす。」
歴戦の将であるディートリヒは、知っていた。どれほど優れた、個の武力も数の暴力の前では、やがてすり減るということを。
「——全軍に、告ぐ! 相手は、たった一人だ! 恐れるな!」
ディートリヒの号令が戦場に轟いた。
「全軍包囲陣系!!1個中隊ごとに波状攻撃を仕掛けよ! 絶え間なくだ! 休ませるな! ……あのクラウディア・フォン・ヴァルンシュタインの魔力を削り尽くせ!」
その瞬間――
戦場の空気が変わった。四千の軍勢が整然と、隊列を組み、交代で絶え間ない攻撃をクラウディアへと浴びせ始めたのだ。
一隊が攻撃し退く。入れ替わりに次の一隊が攻撃する。また退く。そして次……
終わりのない波のような攻撃の連続。
「……っ! こ、これは……!」
クラウディアは、初めて戸惑った。
今までの、彼女ならどんな敵も一撃で蹴散らしてきた。規格外の魔力に任せて、数など関係なかった……だが――
倒しても、倒しても....次から次へと、攻撃が押し寄せる。防げば魔力を使う、躱せば体力を削られる。相手は、組織立った軍隊だった。容赦なくクラウディアを、すり潰すための戦術を心得た歴戦の軍勢だった。
(……おかしいよ……倒してるはずなのに...なんで……減らないの……!?)
自分ならどんな数が相手でも大丈夫……
そう、安易に考えていた。実際は、歴戦の智将ディートリヒの前では、まるで通じなかった。
少しづつクラウディアの体力と魔力が確実に削られていた。頬や腕に、かすり傷が増えていく。息が上がり...視界が.....滲む。
(……だめ……このままじゃ……)
クラウディアの、胸に初めて暗い影が差した。
(わたしが、ここで、倒れたら……ヴィルもアルブローゼンのみんなも。……ノルンも……誰も、守れない……!)
いつも、守る側だったクラウディア。最強で規格外で...その強大な力でみんなを、助けてきた……その自分が、今...守れずに倒れようとしている。その恐怖がじわじわと、彼女の心を蝕んでいく。
「う……ぅ……!」
いつしかクラウディアの瞳に涙が滲んでいた。
——その時。
鋭い音を立てて一本の矢がクラウディアの死角から放たれた。
魔力を削られ反応の遅れたその一瞬を、突いて矢は、まっすぐにクラウディアの胸元へと吸い込まれていった。
「——クラウッ!!」
矢がクラウディアに刺さる直前に――
ノルンが、叫んだ。小さな、その手を、かざして。
「——とまれぇっ!」
ぴた、と。
飛来する矢が空中で完全に静止していた。時が止まったかのように.....いや——まさに、時が止まったのだ。時を司る最上位の精霊ノルンの力によって。
「……っ、ノルン!?」
だが——その代償は、あまりにも大きかった。
「あ……ぅ……」
ノルンの小さな体がぐらりと傾く。身の丈に合わぬ大きすぎる力を使ったのだ。
幼い精霊の器では、到底、支えきれぬほどの......
「ノルン! だめ、無理しないで——!」
クラウディアが、ノルンに手を伸ばす。
だが——届かなかった。
ノルンの小さな体がきらきらと光の粒子になって崩れていく。
人型を保てなくなったのだ。精霊としての本来の姿……物言わぬただの光の精霊へと還っていく。
「……クラウ……ごめん、ね……まもれ、なくて……」
最後にそう呟いてノルンは、きらきらと光の粒になってクラウディアの周りを漂うだけの存在になってしまった。
「……ノルン……ノルン!」
クラウディアが、絶叫する。だが、光の粒は、もう応えない。
守ろうとしてくれた。
たった一人で戦う自分を――
ノルンがその身を削ってまで……
なのに、自分は、そのノルンすら守れなかった。
ノルンが消えた.....その事実が、クラウディアの心に決定的な絶望を刻みつける。
「……あ……ああ……」
がくり――
クラウディアの膝が折れた。傷つき疲れ果てたその体には、もう、立ち上がる力も残っていなかった。
(……わたし……一人じゃ……何も、できなかった……)
4000名の軍勢に囲まれて、たった一人……いや、ノルンも失って本当に一人きりになってしまった。
最強のはずだった。規格外のはずだった。……なのに自分はこんなにも、無力で...こんなにも...ちっぽけで――
涙が止まらなかった。
全てをあきらめかけた——その時.....
「——クラウディアァァァッ!!」
戦場の彼方から大地を揺るがすような咆哮が巻き起こった。その咆哮の先には、巨躯の影がクラウディアの前にいる敵を蹴散らしながら猛然と駆けてくるのが見えた。




