第三十八話 我が幸福の宴、暗転す
アルブローゼンにヴァルンシュタイン公爵夫妻が到着したのは、よく晴れた昼下がりのことだった。
「——まあ! なんて、あたたかな街でしょう」
馬車を降りたローゼリアが、街並みを見渡して感嘆の声を上げる。
整然とした石畳に、活気あふれる市場。
そこには、種族の差別などなく、魔物と人間が分け隔てなく言葉を交わし、笑い合っていた。王国内でも比較的差別の少ないヴァルンシュタイン領都でもここまでではなく、あたたかな暮らしがそこには息づいていた。
「……ほぅ」
アルベラートも、感慨深げに頷いた。
自分の娘が、親の力も借りずたった一人で築き上げた街。
噂には聞いていたが、こうして実際に目にすると、その思いはひとしおだった。守ってやれなかった娘は、守られるよりもずっと立派に、自分の足で立っていた。……父として、これほど誇らしいことはない。
「……して、クラウディアの屋敷は、どこかな」
「あそこではございませんか?」
ローゼリアが指さした先に、ひときわ大きな館がそびえていた。
——その意匠は、黒を基調とした尖塔に意味ありげな装飾。
どこか禍々しく、大仰で――
公爵夫妻は、しばし無言でその館を見上げた。
「……あの子は、相変わらずだな」
「……ええ。相変わらず、ですわね」
娘の拭いきれない趣味に、二人はそろって遠い目をした。
◇
「お父様! お母様!」
街の向こうから、クラウディアが駆けてくる。その傍らには、銀髪の幼子——ノルンの姿もあった。
「おお、クラウディア!」
「久しぶりね、クラウ」
娘の姿に、公爵夫妻の顔がほころぶ。
「よく来てくれた! さあ、我が闇の都アルブローゼン、その全てを案内しよう!」
いつも通りの調子で胸を張るクラウディア。だが、その後ろから、おずおずと声をかける影があった。
ヴィーザルである……その右の頬が、ぷっくりと赤く腫れ上がっていた。
昨日クラウディアの平手を食らって以来、彼女がまだ機嫌を直してくれず、回復魔法もかけてもらえないままだった。ヴィーザルは腐っても次期国王。その威厳もどこへやら、腫れた頬をさすりながら、婚約者のご機嫌を取ろうと必死であった。
「クラウディア昨日のことはすまなかった!この通りだ!」
「ふん! 知らぬ!」
(まだちょっと怒ってるんだからね!)
クラウディアが、つんとそっぽを向く。
「ねえねぇ?クラウ」
その裾を、ノルンがくいくいと引っ張った。
「ヴィル、かわいそうだよ? もう治してあげたら?」
「むぅ……それはそれ、これはこれよ、ノルン」
(だって、ヴィルが悪いんだもん……!)
無邪気なノルンの取りなしにも、クラウディアは頬をふくらませ頑として首を振らなかった。
そのやり取りを微笑ましく見ていたローゼリアが、ふとノルンへと目を留める。
「あら?……ところでクラウ、その可愛らしいお嬢さんはどなたかしら?」
クラウディアが答えようとした、その時ノルンがぴょこんとクラウディアに抱きついて、元気よく言い放った。
「あのね! クラウはね!——ノルンのママなの!」
「——ぶっ!?」
クラウディアが盛大にむせる傍らで、アルベラートの目がきらりと光った。
「ほほぅ...ママ、とな。……ふむ。つまりこの愛らしい幼子は、クラウディアの娘ということか」
「ち、違うのです、お父様! これは契約上の——!」
「——ならば!」
アルベラートは、娘の弁明も聞かずにがばりとノルンを抱き上げた。そして、その小さな体を己の肩の上にでんと乗せると、相好を崩して——
「——この儂の孫では、ないかぁ! よしよし、よぉしよし! いやぁ可愛いのう、おじいちゃんじゃぞぉ!」
「わぁ、おじいちゃん!」
「おお! おじいちゃんだ! かっかっか!」
初孫(?)を得たアルベラートの、でれでれの笑顔。それは、王家に牙を剥いた豪傑の面影など微塵もない姿だった。
「ま、孫っ!? お、お父様、気が早すぎます! まだ婚約したばかり——!」
(うぅ、恥ずかしいよぉ……!)
真っ赤になってわたわたするクラウディアに、腫れた頬のヴィーザルまでもが、思わずふっと笑みをこぼした。
「何を笑っておる、ヴィル!」
「いや……あまりに幸せな光景だと、思ってな。そうかクラウディアが母ということは俺は、いつの間にか父親になっていたのか――」
「ち....ち...ち父親!?!?!?!?!」
(そ...それはまだ...その..いずれは...その...)
「ヴィルは、ノルンのパパー!」
「~~~~~~~~~~~~!!!」
あたたかな笑いが、一行を包み込んだ。
◇
ヴァルンシュタイン公爵夫妻が到着したその夜、アルブローゼンの広場では、たくさんの灯りと歓声で溢れていた。
「せーのぉ……! クラウ、ヴィーザル殿! こーんやくおめでとーう!!」
「「「おめでとーっ」」」
ラナの音頭で、街の皆が一斉に声を上げる。ラナがひそかに準備していた、アルブローゼンの皆からのサプライズの婚約祝いだった。
「こ、これは……!」
(え、これ、わたしのために……?)
突然の祝福に、クラウディアが立ち尽くす。
まず進み出たのは、ゴルドーだった。
「……クラウディア...おめでとう……末永く、な」
無骨な、たった一言。
だが、その言葉には、この街を共に築いてきた男の万感の思いがこもっていた。
「ゴ、ゴルドー……」
(ゴルドー……)
続いて、アーシェが前に出る。
「クラウ、おめでとう……お前の征く道を、守ると誓った。その先に、こんな幸せが待っていたとはな……お前の幸せは、私の幸せだ!」
「アーシェ……。か、かたじけ、ない……」
(うれしい……)
「かっかっか! 祝いに、とびきりの品を用意したぞ!」
ゴブじいが、自慢げに胸を張る。
「婚礼の日に渡す、特注の品じゃ! 楽しみにしておれよ!」
「うむ……ゴブじい、汝の、慧眼に……感謝、する……」
(ありがとう……)
マーサが、前掛けで目元を拭いながら歩み寄った。
「クラウディア様……おめでとうねぇ。あんたは、飢えて死にかけてたあたしらを、拾ってくれた……あんたは、あたしらみんなの、恩人だよ……どうか、幸せにねぇ」
「マ、マーサ……。そのような、水くさいことを……」
(泣かないで、マーサ……わたしまで……)
「クラウおねえちゃーん!」
ミミたち子供が、小さな花束を抱えて駆けてきた。
「おめでとー! これ、あげる! みんなで、つんだの!」
「……っ。……闇の、子らよ……」
(みんな……)
もはや、クラウディアの声は震えていた。
一人、また一人。祝福の言葉を、浴びるたびに。胸の奥から、熱いものが、込み上げてくる。
(……だめ。だめだよ、わたし……リーダーなんだから。……ちゃんと、しなきゃ)
必死に取り繕おうとする。
「……ふ、ふふ。皆の、者よ。……この、クラウディア・フォン・ヴァルンシュタインが、ために。これほどの、宴を……しゅ……殊勝な、心がけ、である。しかと、受け取——」
「クラウ!」
最後に、ラナがにっと笑ってクラウディアの肩をばしんと叩いた。
「幸せになんなよ! ……じゃなきゃ、あたしが、ヴィーザルさんをぶったたくかんね!」
その、屈託のない笑顔を見た瞬間。
——ぷつり
クラウディアの仮面が完全に剥がれ落ちた。
「……っ、ぅ……」
大きな瞳から、ぽろぽろと、涙がこぼれ出す。
もう、取り繕うこともできなかった。
「……ありがと。……みんな、ほんとに、ありがとう……!」
ただそこには、年相応の一人の女の子が心からの感謝を口にしていた。
「わたし……ひとりぼっちで、ここに来て……最初は怖くて、不安で...でも!こんな……こんなに、たくさんの大切な人ができて……わたし、しあわせだよ……! 本当にしあわせ…!」
ぼろぼろと泣きじゃくるクラウディアを皆が、あたたかく笑って包み込む。
規格外の最強の令嬢。最上位精霊を従え、軍をも退け、あきらめていたヴィーザルすら動かした。クラウディアだったが、仲間の祝福の前では、こんなにも素直で涙もろいただの女の子だった。
「……まったく。世話の、焼ける、リーダーだぜ」
ゴルドーが、くしゃりと、笑う。その目元も、少し、潤んでいた。
◇
宴も、落ち着いた頃。
ローゼリアは、クラウディアを、そっと、人気のないテラスへと誘っていた。
「クラウ……あなた、まだ殿下に、怒っておりますの?」
「……ううっ。だって、お母様ぁ勝手に婚約を決めて...わたしに何も言わずに」
むくれる娘を、ローゼリアは優しく笑って見つめた。
「ふふ。気持ちは分かりますわ。でもね、クラウ。……男というものは、本当にどうしようもなく、肝心なところが抜けているものなの。あなたのお父様も、そうでしたわ」
「……父上が?」
「ええ。わたくしに求婚した時、あの人、なんと言ったと思う?『ローゼリア。儂の剣になれ』……ですって。求婚の言葉が、ですよ?」
「……ちち、父上が、そのような……」
「あまりに不器用で、あまりに朴念仁で。呆れてしまったわ。……でもね」
ローゼリアの声が、やわらかくなる。
「その不器用さの奥に、確かなまごころがあったの。言葉は下手でも、その人がどれだけあなたを想っているか。……それは、行いを見れば分かるもの……殿下は、どうかしら?」
クラウディアの脳裏に浮かぶ。身分を捨てて街に来てくれたこと。自分のために戦ってくれたこと。「隣に立ちたい」と言ってくれたこと。……そして今も、腫れた頬で、一生懸命に機嫌を取ろうとする姿が――
「……ふふ。その顔なら、大丈夫ね」
ローゼリアが、娘の頭をそっと撫でた。
「母はね……クラウが心から想える人と結ばれて、本当に嬉しいのよ」
「……お母様」
胸がじんとあたたかくなる……そろそろ、ヴィルの頬も治してあげようかな。クラウディアが、そう思った、その時——
「——公爵閣下! 公爵閣下は、おられますか!!」
その幸福な空気を、切り裂くような声が破った。
血相を変えて駆け込んできたのは、ヴァルンシュタイン公爵家の間者だった。
「……何事だ」
一瞬で空気を察したアルベラートが、鋭く問う。間者は片膝をつき、喘ぐように告げた。
「王都にて……クーデターでございます……!」
「——なに?」
「グラーフェン侯爵が魔法師団を動かし、電撃のごとき速さで王城を占拠いたしました……! !」
ざわり、と。宴の残り火が、一斉に凍りついた。
「それだけでは、ございませぬ! 奴らは、とんでもない大義名分を掲げております!」
間者は、歯噛みしながら続けた。
「『妾腹の第一王子が甘言を弄して王を惑わせ、王位の簒奪を企てた。だが聡明なるジークフリート殿下が立ち上がり、簒奪者を討ち正統なる王位を守らんとしている』……と。国中にそう、触れ回っておりますっ!」
「……なんということを」
事実は完全に逆だった。正当に王位を継いだヴィーザルを「簒奪者」に仕立て、謀反人のジークを「正義の王子」にする。……武力だけではなく、情報を...大義を操り、人心を奪いにかかる。それこそが、智将ディートリヒの恐ろしさだった。
「……まさか、ディートリヒの奴がここまでするとは……」
長年の好敵手が、これほどなりふり構わぬ手に出るとは....アルベラートの顔に、苦渋が滲む。
その肩に、ローゼリアがそっと手を置いた。
「……あなた。これはきっと、あなた方が追い詰めてしまったのでしょうね」
「……ローゼリア」
「ヴィーザル殿下の即位は、正しいことでしょうけど。けれどそれは同時に、侯爵たちから、全ての逃げ道を奪うことでもあったのです……追い詰められた獣は、何をするか分からぬものですわ」
静かな妻の言葉が、事の本質を突いていた。
そこへ、間者がさらに重い報告を重ねる。
「そして王都の情勢ですが……騎士団は、静観の構え……なれど、魔法師団は——完全にジークフリート派となっております。王都は、今やジークフリート派どもの手のうちに……!」
幸福に満ちていた宴は、もはやどこにもなかった。
あるのはただ、迫り来る戦の気配と王都に燻るクーデターの炎だけ。
「……アルベラート公爵」
いつの間にか、ヴィーザルがその傍らに立っていた。腫れた頬のまま。
だがその双眸には、もう婚約者におどけていた面影はない。王たる者の鋭い光が宿っていた。
「……俺は、行かねばなりません。あの愚かな愚弟を止めに」
——ヴィーザルを廃嫡に追い込もうとした野心家達は、ついにその牙を剥いたのだった。




