第三十一話 我が心、千々に乱れる
ボルクとゴルドーがアルブローゼンに帰還したのは、その日の夕刻だった。
「——戻ったか、我が忠臣たちよ! よもや闇の淵に囚われては、おるまいな……!」
(ボルク、ゴルドー……! 無事で、よかった……! 心配、したんだからっ)
門をくぐった二人に、クラウディアが真っ先に駆け寄る。その顔を見て——クラウディアの表情がこわばった。
ゴルドーに肩を借りてようやく立っているボルク。その顔は、無残に腫れ上がり口の端からは、血が滲んでいた。
「ボルク……! その傷……!」
(ひどい……! こんなに殴られて……!)
「あ、いや、これは……少々派手にやられましてな。なぁにかすり傷にございます」
照れたように、笑うボルクだったがその体は、立っているのもやっとなほどふらふらだった。
「たわけ。それの、どこが、かすり傷か……そのまま、動くでないぞ我が光が汝の傷を残らず喰ろうてやる」
(強がらないの!もう!!こんなに傷だらけで……じっとしてて!ぜんぶ治すから)
クラウディアが、その傷に手をかざす。あたたかな光が、ボルクを包み込むと腫れが引き裂けた皮膚が塞がっていく。ボルクにとっては、もう二度目の奇跡の光だった。
「……ありがとうございます。クラウディア様」
傷の癒えたボルクが、深々と頭を垂れる。その周りには、いつの間にか街の者たちが集まっていた。
「おい、聞け! ボルクのやつがな!」
ゴルドーが集まった皆に得意げに語り始める。
「グラウフェルトでよ。たった一人で、あの王国の軍勢を相手取ったんだ! 『支援もせず、民を見殺しにした、王都がどの口を言うか』ってな顔で堂々と!そりゃ見事にな! しかもだ最後にゃ『夜は狼が出ますぞ』とかいいうもんだから気取った王子様が「ヒィィ」って屋敷に逃げ込みやがったぜ!」
「ぶはっ! なんだそりゃ!」
「あの代官、やるじゃねえか!」
どっと、笑いと歓声が沸き起こる。
「おじちゃん、大丈夫?」
「けがしてないー?」
ボルクの回りにうさ耳の女の子やその友達の子供たちがよってきていた。ボルクはその子供たちの頭を撫でながら皆に気持ちを述べていた
「おじちゃんの怪我はクラウディア様が直してくれたよ。それはそうと皆様...手前など、そんな大層なものでは」
ボルクが、照れたように手を振った。
「手前は、ただ……クラウディア様に拾っていただいたこの老いぼれの命。少しでもお返しが、したかった。それだけにございますよ」
その、飄々とした言葉にわっとあたたかな笑いが起こる。かつて、魔物を蔑んでいた代官は、今やすっかりこの街の皆に愛される一員となっていた。
——だが。
その、和やかな光景の片隅でただ一人立ち尽くす男がいた。
ヴィルである。
(……一介の、代官が)
その、胸中で激しい何かが渦を巻いていた。
(身分も、力もない。ただの代官が……ここまで、民のために主のために己のすべてを投げ打てるものか...)
ヴィーザルは、知っていた。王都のきらびやかな宮廷を...
高い身分にあぐらをかき、保身と出世のことしか頭にない貴族たちを。
誰一人として、見返りも求めず他者のために我が身を捨てる者などいなかった。
だが、このボルクという男は、その行いだけで王都のどんな高位の貴族よりも——気高かった。
(……それに、引き換え)
ギリリッ!!!
ヴィーザルの、拳が固く握りしめられる。
(俺は、どうだ)
第一王子でありながら名を偽り嘘を重ね肝心なことを、隠したままこの、あたたかな街の懐にぬくぬくと抱かれている。
ボルクの、見返りを求めぬ忠義を....この、街の者たちのまっすぐな善意を....
目の当たりにすればするほど――
ヴィーザルの胸には、耐えがたい恥と呵責が込み上げてきた。
(……もう、たくさんだ……俺は、あまりに不誠実すぎる)
気がつくとヴィーザルは、一歩前へと踏み出していた。
「……クラウディア殿」
その、真剣な声にクラウディアが振り返る。
「む? どうした、ヴィル殿」
「……折り入って話したいことが...ある。できれば……その...二人きりで、少し時間をもらえないだろうか」
その、真剣な眼差しにいつになく硬いその表情。
「ふ、二人きり、で……!?」
(ふ、ふたりきりって……! なになに!? まさか、まさか……!)
それを見たクラウディアの顔が——かぁっと赤く染まった。
(落ち着け落ち着け、わたし! き、きっと、街のこと! そう!きっと大事な相談事よ! ……でも、でも、でも....わざわざ、二人きりって……!?!?)
クラウディアも年頃の令嬢でラナやアーシェと誰と誰がくっついたのなんだの年相応に恋バナにも興味がある年齢だった。クラウディアの思考は、完全に沸騰していた。男性免疫のないこの令嬢にとって好意を抱いている相手からの「二人きりで話したい」は、威力が強すぎた。
「……あ、相分かった! よ、よかろう! 後ほど、我が、館にて……!」
(どうしようどうしよう、心の準備が……!)
上ずった声で、そう答えるクラウディアだったが傍らのラナは、その分かりやすい動揺をただにやにやと見つめていたが——さすがに、今回は、茶々を入れなかった。ヴィルのただならぬ様子に何かを、感じ取ったのか、獣人の直感なのか?は、定かではなかったが...
◇
その夜――
クラウディアの館の一室の月明かりが静かに差し込む部屋でクラウディアとヴィルは、向かい合っていた。
「えー、その。ヴィル殿。は、話とは……」
(うぅ、緊張する……! な、何を言われるんだろ……!)
クラウディアの声は、わずかに震えていた。頬は、ほんのりと赤くその内心は、期待と不安でぐるぐると渦を巻いている。
だが——ヴィルの口から出たのは、彼女の想像とは、まるで違う言葉だった。
「……クラウディア殿。まず、俺はあなたに詫びねばならない……俺は、あなたを欺いていた」
「……え?」
「俺の名は、ヴィルではない」
ヴィルは、懐から小さな紋章を取り出した。
月光に、照らされて鈍く光るそれは——王家の紋章であった。
「——ヴィーザル・ヘルミオンシュタイン。この国の第一王子...それが、俺の本当の名だ」
「——!!」
クラウディアの目が大きく見開かれた。甘い期待に揺れていたその瞳が一瞬で凍りつく。
第一王子――
王家……自分を捨て追放の要因となったあのジークフリートの——兄
「……汝が...ヴィル殿が王族...だと?」
すっ、とクラウディアの声が冷たく低くなる。全身に警戒の気が満ち、その身体からは、闇の力が滲み出していた。王家は、彼女にとって差別の元凶でもあり自分から、すべてを奪った仇に等しい。
「ヴィル殿……いやヴィーザル殿下...王家の第一王子が素性を偽り我がアルブローゼンに潜り込んで一体何が目的だ?……我らを、探りにでも来たか?」
クラウディアは、その瞳に警戒の色を強めヴィーザルをまっすぐに見据えた。
「いや、違う。クラウディア殿……俺の話を聞いてほしい」
ヴィーザルは、まっすぐにクラウディアの目を見た。逃げも隠れもしない。
すべてをさらけ出す覚悟で――
「もう、一つ告白せねばならないことがある……ジークフリートが兵を率いて来るとあの警告をボルク殿に託したのは……俺だ」
「——!」
「王都で、弟の出立を知った。この街を潰しに向かうと……俺は、それをどうしても見過ごせなかった。だからボルク殿に身分を告げその話を託した。そうすれば聡明なあなたなら準備が出来ると...あなたなら...この街を守れる...と」
クラウディアは、言葉を失っていた。あのボルクが、もたらした警告。その、本当の出どころが——目の前のこの男だったとは――
「……なぜだ」
クラウディアの声が揺れる。
「汝は、王家の者。我ら闇の眷属を、虐げ搾取する側の人間であろう……なればこそ、問おう。何故だ...何故、見捨てられしアルブローゼンを...王都を追われしこの我を……守ろうなどと戯言を吐く?」
(あなたは王族。わたしたちを虐げてきた側の人……なのに、どうして見捨てられたわたしたちを、助けようなんて言うの)
その問いにヴィーザルは、静かにだが熱を込めて語り始めた。
自分が、妾の子として王位から遠ざけられ息を殺して生きてきたこと。
この国の種族や身分で人を隔てる理不尽にずっと辟易してきたこと。
そして——このアルブローゼンに来て、そのすべてが覆されたこと。
「……俺は、ずっと、夢見ていた。身分でも種族でもなく。ただその人の行いと心根で人が、評価される国を……だがそんなものは、夢物語だと...この国では、決して叶わぬと……半分俺は、諦めていたんだ」
ヴィーザルの瞳がまっすぐに、クラウディアを射抜く。
「だがあなたは、それを現実にしてみせた。このアルブローゼンで!……誰も奪わず、誰もが分かち合う。誰も切り捨てず、全員で手を取り合う。そこに種族の差もなく、誰も見捨てない……あなたの理想は、俺が夢見て諦めた理想そのものだったんだ」
クラウディアの警戒心が少しずつほどけていく。
目の前の男の言葉に嘘の匂いは、しなかった。
「クラウディア殿」
ヴィーザルが、一歩彼女へと歩み寄る。
「聞かせてくれ……俺は、どうすれば...このアルブローゼンの....いや...そうじゃない、あなたの助けになれるのだ?王族の立場も力も……俺のすべては、あなたの理のために使いたい」
それは、君臨しに来た王族の言葉では、なかった。
一人の人間として。
クラウの理想に....あきらめかけていた自分の理想をかなえたいと願う。切なる願いだった。
「…………」
クラウディアは、しばしその男を見つめた。
そして——ぽつり、ぽつりと語り始めた。
王都で婚約を破棄されたこと。
ありもしない罪で罵られ屈強な男性陣に突き飛ばされたこと。
この地で魔物たちと出会い、少しずつ居場所を築いてきたこと。
それは、強がっていた彼女が初めて異性にさらけ出す心の内側だった。ヴィーザルを信じてもよいと。そう思えたからこその想いでもあった。
ヴィーザルは、黙ってそれを聞いていた。胸の奥が、締めつけられる。彼女を、そんな目に遭わせたのは、ほかならぬ自分の弟であり己の血族が、この気高い人を傷つけたのだという事実がただその肩に重くのしかかる。
やがて、クラウディアが語り終えると。
ヴィーザルは、静かに....彼女の手をしっかりと取った。
「……っ」
「クラウディア殿……いや、クラウディアと呼ばせてもらってもよいだろうか?」
クラウディアの両手を包み込むように、握りしめる。
「~~~~んぅぅぅぅっ!?!?!?!」
「俺になら...あなたと同じ夢が……いや、違うな」
ヴィーザルの顔がゆっくりとクラウディアへと近づいていく。
月明かりに照らされたその瞳には、為政者としての敬意を超え...一人の男としての熱が宿っていた。
「あなたの掲げる理想を...あなたの紡ぐ物語を……そのことごとくを俺は、隣で見ていたい。いや——隣で共に紡ぎたい!!あなたの征くその闇の道の果てまで……どうか、この俺を、連れて行ってはくれぬか」
吐息が、かかるほどの距離。まっすぐに注がれる、ヴィーザルのまぶしいまなざし。握りしめられたその手のぬくもりが――
その、すべてが一度にクラウディアへと押し寄せた。
「ふぇ……」
(む、むむむ無理ぃぃぃ……!)
ボンッ!!!!
クラウディアの思考が完全に容量を超えて沸騰した。
真っ赤になった顔から今にも湯気が噴き出しそうなほどに。
規格外の時の精霊すら従え、屈強な騎士たちをも退ける令嬢がたった一人の男のまっすぐな想いの前で完全に固まってしまっていた。
月明かりの、下。
差別なき国への理想を共にする二人のその物語が今、静かに動き出そうとしていた。
——クラウディアが元に戻ればの話だが.............




