第三十話 我が忠臣、一世一代の大芝居
それから、ひと月あまりが過ぎた頃。
第二王子ジークフリートの率いる軍勢が、ついにグラウフェルトへと到達した。
「ふん。これが、辺境の町か……まあ、ここで軍を休ませ兵糧を整えてからあの魔物どもの街を叩くとしよう」
馬上のジークは、上機嫌だった。王都を華々しく出立してから長い道のりだったが、ここグラウフェルトでたっぷりと補給を受け。英気を養ってから、アルブローゼンを攻め落とす。そういう...算段だった。
ところが——町に、足を踏み入れたジークの顔がみるみる強張っていった。
「……なんだ、これは」
人の...気配がない。
立ち並ぶ家々は、もぬけの殻。扉は、開け放たれ商店には、品物の一つもない。井戸端にも広場にも誰一人いない。まるで時が止まってしまったかのように打ち捨てられた廃墟だった。
「お、おかしいですね、ジーク様。町に人が……」
「どういうことだ! 話が違うではないか! ここで補給する手筈だっただろう!」
取り巻きの一人アルヴィンが青ざめる。ジークが苛立たしげに怒鳴り散らした。
「こ、こんな、バカな……! 町がまるごと消えているなど……!」
その時だった。
「……これは、これは...ジークフリート様ようこそおいでくださいました」
ひび割れた声が響いた。
一同が振り返ると一人の痩せこけた老人がとぼとぼと歩いてくる。みすぼらしい身なり。落ち窪んだ頬。
——ボルクだった。
「貴様は…誰だ…この町の代官か?……どういうことだこれは! 町の者は、どこへ行った!」
ジークが詰め寄るとボルクは、力なく首を振った。
「……お恥ずかしい限りにございますがご覧の通りこの町は、もう終わりましてございます」
そしてボルクは、語り始めた。
「この数年、続いている王国辺境での飢饉。田畑は枯れ、蓄えは尽き、民は、飢えてゆくばかり……グラウフェルトも同様に不作が続いており手前どもは、対策として幾度も、幾度も、王都へ支援を嘆願いたしました。なれど——」
ボルクの声に微かな恨み言が滲む。
「王都からのご支援は……ついぞございませんでした。それどころか税の取り立てだけは、容赦なく……かくして民は、一人、また一人とこの町を去ってゆきました。残されたのは、この老いぼれ一人、というわけにございます」
それは、見事な芝居だった。
実際には、民はアルブローゼンへと迎え入れられ今やあたたかい暮らしを得ている。
だがボルクは、おくびにもそれを出さない。ただ、ひたすらに「飢饉で、民に、見捨てられた哀れな代官」を演じきっていた。
(……ふん。王都の無策のおかげでこの嘘が真実味を帯びるとはな)
心の中でボルクは、ほくそ笑んでいた。王都が本当にこの町を見捨てていたことは、紛れもない事実だったからだ。だからこそ、ジークにも反論のしようがないのだ。
「で、ですから。ジークフリート様が、ご希望されるような兵糧の補給や軍の休息……そのようなものこの町では、もはや何一つ用意できませぬ。どうか、どうか、お引き取りを……」
「—っふざけるな!!」
ジークの怒声が響いた。
「僕様は! この僕様は、わざわざ、わざわざだっ!!!王都から出向いてやったのだぞ! それを!何も!ない!だと!?このっ...役立たずめがっ!」
その時...ジークの傍らにいたロルフがつかつかとボルクへと歩み寄った。
その顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
「おい、代官……貴様、まぁた痛い目にあいたいのかぁ? あの時のようになぁ」
ロルフにとってボルクは、あの忌々しいアルブローゼンで己が無様に打ちのめされた、記憶と結びつく相手だった。その鬱憤を晴らすかのように――
バキッ!!!
「ぐっ——!」
ロルフの拳がボルクの頬を打つ。痩せた体が、地面に転がった。
◇
——その一部始終を町外れの崩れた塀の陰からじっと、睨みつける影があった。
ゴルドーである。
「……っ、のやろう」
彼の太い腕にみしと青筋が浮かぶ。今すぐにでも飛び出してあの驕り高ぶった騎士の顔面を、殴り飛ばしてやりたい。その衝動が喉元まで込み上げていた。
だが——ゴルドーは、動かなかった。
出立の前夜にボルクから固く言い含められていたのだ。
『ゴルドー殿。手前が多少殴られるのは……覚悟の上にございます。なれどそれは芝居を、成立させるために必要なこと。ですから、どうか——剣を抜かれぬ限りは、決して出てこられませぬよう』
(……分かってる。分かって、いるが……!)
歯を食いしばると...みしり、奥歯が鳴った。
「多少」とボルクは、言った。だが——ロルフの暴行は、明らかに「多少」の範疇を超えていた。二発、三発と、痩せた老人の体を容赦なく蹴りつける。
(……耐えろ。耐えるんだゴルドー……お前が飛び出せば、ボルクの覚悟が無駄になる)
ゴルドーは、剣に手をかけていないことだけを確かめながらただひたすらに、その場に留まり続けた。気が付けばゴルドーの掌には、血がにじんでいた...
◇
「ぐ……ごほっ……」
血の混じった唾を吐き出しながらそれでもボルクは、気丈に顔を上げた。
「……仰せの...通り.....手前は、役立たずの無能.....者にございます。この町を守る.....こともできませんでした……ですから」
ボルクは、よろよろと立ち上がると深々と頭を垂れながらジークをにらみつけ――
「このボルク、一切の責めを負い!代官の職を辞させていただきまする!!ごほっ……もはや、守るべき民もおらぬ町の代官など……無用の長物でございましょうっ!!!!!」
「……ちっ。勝手に...しろ」
ジークは、苛立たしげに吐き捨てた。使えない代官などもはや興味もないとばかりに。
だが——そこで。
取り巻きのケヴィンが先ほどの失態を取り戻そうと何か、思いついたように下卑た声を上げた。
「お待ちを、ジーク様……ふふ、ただで転ぶのも癪ではありませぬか。おい、代官。貴様の財産を残らず、没収してやる! 屋敷も、金目の物もすべて接収だ!」
町一つ無駄足を踏まされた腹いせにせめてこの代官から何か搾り取ってやろうというなんとも浅ましい魂胆だった。
だが、それを聞いたボルクは——
「……はあ...財産でございますか?」
なぜかひどくあっさりと頷いた。
「どうぞ、ご自由に……と、申しましても手前には、もう財産と呼べるものなど何一つございませぬが。すべて、王国の民のために、使い果たしましたゆえ」
「な……」
「屋敷も、お好きなように……ああご案内は、できかねますがこの道をまっすぐ行かれたところに屋敷が、ございますゆえごゆるりと、ご検分くださいませ」
ボルクは、空っぽの屋敷への道を指し示した。
そこには、もう接収すべき財宝もかしずく使用人も何もなかった。あるのは、がらんどうの建物だけがありすべてを民のために投げ打ったボルクには、もはや奪われて困るものなど何一つ残っては、いなかったのだ。
「……っ、こ、この、負け惜しみを……!」
ケヴィンが、顔を赤くする。だがボルクは、もう相手にしていなかった。
「では手前は、これにて失礼を……どうか、皆々様道中お気をつけて。あっご忠告がございますれば...この辺りは夜になると狼の群れがうろつきますゆえ建物の中でお休みになられることをおすすめしますぞ。建屋だけは、ございますので。」
「「「ひぃぃぃぃぃぃっ」」」
「お...おい僕様があいつの屋敷を使う!お前らは勝手にしろっ」
「そ...そんなジーク様!!せめて俺達だけでも――」
慌てふためくジークたちを横目に、ボルクは、よろよろとたちあがりながらもどこか、晴れ晴れとした足取りで茫然とする一団に背を向け町の外れへと去っていった。
後に残されたのは、何もない廃墟の町と補給のあてを失い、狼の襲撃に無様にもおびえ呆然と立ち尽くすジークと取り巻きが残された。
◇
町を出てしばらく歩いた人目のない林の中。
ボルクは、ぷらぷらと歩を進めながら傍らへと声をかけた。
「……ふう。いやはや、どうでしたかな。手前の一世一代の大芝居は」
その傍らには、いつの間にかゴルドーが並んで歩いている。
ゴルドーは、ぶっきらぼうに鼻を鳴らした。
「……演技なんざ俺には、分からん」
そして、ふと口の端を緩める。
「……だが。名演技、だったと思うぜ……代官どの」
「かっかっか! それは、何より」
ボルクが愉快そうに笑った。だがその体は、殴られた傷のせいで今にも崩れ落ちそうにふらついている。
「……おい。無理すんな」
ゴルドーは、太い腕を伸ばすとよろめくボルクの体をぐいと、支えその肩を、自らの肩へと担ぐ。
「…これは…かたじけ、ない。ゴルドー殿」
「気にすんな……お前は、よくやった。あとは、俺が運んでやるさ」
かつて互いを蔑み、憎んだ、人間と魔物。片や魔物を人と思わなかった代官。片や人間に、裏切られ続けたオーク。その二人が今、肩を貸し合い同じ道を歩いている。
「……さあ、帰るぞボルク……クラウディアたちが、待ってる」
「ええ……我らの帰る場所へ」
夕日が二つの影を長く長く...伸ばしていた。
その背後で、立ち往生した第二王子の軍は、これより、ひと月もの足止めを食らうことになるのだが——それは、まだ彼らの与り知らぬことであった。




