第二十九話 我、苦渋の策を呑む
その報せは、ボルクの口からもたらされた。
グラウフェルトから、アルブローゼンへ久方ぶりに顔を見せたボルクは、合議の円卓に着くなり、深刻な面持ちで切り出した。
「クラウディア様……火急のご報告がございます」
ボルクが伝えたのは、信じがたい内容だった。
第二王子ジークフリートが兵を率いこのアルブローゼンへと向かっているというのだ。
狙いは、街の制圧。
到着は、二月ほど先——
無論その出どころが身分を隠した第一王子ヴィーザルであることは、おくびにも出さない。ボルクは、ヴィルとの約束を固く守っていた。王都に残した、己の伝手から掴んだ報せ。そういうことにしておいた。
「……なるほど」
話を聞き終えたクラウディアは、しばし沈黙した。
円卓の面々の顔が険しくなる。ゴルドーが、太い腕を組み低く唸った。
「ジークフリート?……あの、クラウディアとの婚約を破棄したっていう第二王子か」
「ああ……あの愚か者よ」
(ジーク……わたしを捨てた、あの人が...今度は、街ごと潰しに来るんだ)
クラウディアの声にかすかに苦いものが滲む。
だがそれも一瞬のことだった。クラウディアの瞳には、為政者としての冷静な光が戻っていた。
「して、我が眷属よ。グラウフェルトの民は、どうしておる?」
(グラウフェルトのみんなは大丈夫?)
「それが……」
ボルクの顔が曇る。
「もはや、限界にございます。飢饉で田畑は枯れ蓄えも尽きました。そこに今回ジークフリート様がいらっしゃればまた徴収が待っています。いくら手前が支えようとも……あの街で暮らしを立てることは、もうできませぬ」
その言葉にクラウディアは、迷わなかった。
「ならば、是非もなし。……グラウフェルトに息づく、ことごとくの魂を我が闇の都アルブローゼンがその懐に抱いてみせよう。飢えに喘ぐ者あらば、人も魔物も分かつ道理などあるものか」
(グラウフェルトのみんなも、うちで受け入れよう。人でも魔物でも、飢えてる人を放っておけないよ)
「——!」
ボルクが、息を呑んだ。
「よ、よろしいのですか……!? 人間を、それも、一つの街まるごと……!」
「ふ……何を、今さら驚く。この闇の理において、種族の別など塵芥に等しい。人の子であろうと、魔の眷属であろうと……飢えて涙する魂は、ことごとく我が庇護のもとにある」
(人も魔物も、関係ないよ!困ってる人は、みんな助けるの!!それだけ)
クラウディアの迷いなき言葉。それを聞いた円卓の面々も静かに頷いた。
「クラウの言う通りだね」
ラナが肩を、すくめる。
「あたしらも飢えて死にかけてたとこ拾われた口だしさ。……今度は、あたしらがやる番でしょ」
マーサも、深く頷いた。
「あの町の子らもずいぶん痩せちまってるだろうねぇ……うちで、たーんと食わせてやろうじゃないか」
かつて、飢えを知る者たち彼らの言葉に迷いは、なかった。差別された側が今差別してきた側に手を差し伸べる。それが、アルブローゼンの理だった。
「……かたじけない」
ボルクが、深々と頭を下げる。その目には、うっすらと涙が滲んでいた。
「――なんと...街一つ分の受け入れを即答とは....それにそれを当たり前のように受け入れている面々...」
ヴィルは、そのやり取りを聞いて自分ならどうするか――と考えている最中にクラウディアはすぐに救うと決め、それを当たり前のようにアルブローゼンの面々は受け入れていることに驚愕していた。
「では、早速移住の段取りを——」
「お待ち下されクラウディア様」
ボルクが、顔を上げたがその表情は、どこか覚悟を決めたもののようにも見えた。
「民を移すにあたり……一つ手前からの願いがございます」
「む? なんじゃ申してみよ」
「移住させるのは、グラウフェルトの市民のみ……このボルクは、あの街に残らせていただきとうございます」
その言葉にクラウディアの動きが止まった。
「…我が眷属よ…何を申しておる?」
「お聞きくだされ。もし、代官たる手前までもがアルブローゼンに移れば。……どうなりましょうか。『グラウフェルトの代官が魔物の街に寝返った』……そう王都に喧伝されましょう。さすれば、クラウディア様にあらぬ謀反の疑いがかかりまする」
ボルクは、淡々と続けた。
「ですから手前は、残ります。……飢饉で民に、見捨てられた哀れで無能なただの代官としてジークフリート様に進言させていただきます。そうすれば、クラウディア様に累は及びませぬ」
その、ボルクの献策に黙って聞いていたヴィルは、内心で舌を巻いていた。
(……見事だ。代官が残り無能を演じることでクラウディア殿への政治的な追及を根こそぎ断つ。しかも、ただ逃げるのではない民だけを救い己は泥をかぶる……これほどの忠義と知略を併せ持つ者がこんな辺境にいようとはな)
ヴィーザルは、数多くの廷臣を見てきた。だが、自らのすべてを投げ打ってまで主君を守ろうとする者など王都の、権謀術数にまみれた宮廷では、見たことなどなかった。
それは——己の名誉も立場もすべてを投げ捨てる覚悟だった。
かつて、保身のためなら何でもしたあの俗物が今、クラウディアを守るために、自ら泥を、かぶろうとしている。
「……ならぬ」
クラウディアの声が低く震えた。
「ならぬ、ボルク。それは、断じて認めぬ!」
(ダメだよ!そんなの危ないこと絶対にダメ!!)
「クラウディア様……」
「汝を、あのような危うき場所に一人残すなど。……我が理が許さぬ。一人も見捨てぬと……そう決めたのだ」
(あなたを一人危ない場所に置いていくなんてできない。わたしは、誰も見捨てないって決めたの...それにボルク……やっと、仲間になれたのに……置いていけるわけないよ!!)
その剥き出しの拒絶にボルクは、言葉を失っていた。かつて、自分が蔑み欺いた相手でもあるクラウディアが、今こんなにも必死に自分の身を案じてくれている。
円卓に、重い沈黙が落ちる。
ボルクの覚悟も本物。だが、クラウディアの拒絶も揺るがない。互いの想いが真っ向から、ぶつかり誰も言葉を継げずにいた。
——その、沈黙を、破ったのは...
「……クラウディア」
ゴルドーだった。
太い腕を、組んだまま彼は、静かに口を開いた。
「ボルクにも、考えがあるんだろう……こいつの覚悟は、本物だ。それを頭ごなしに潰すのは……違うんじゃねえか?」
「ゴルドー……でもぉ——」
「なに...心配は、いらねえ」
ゴルドーが、ニヤリと口の端を上げた。
「俺がついていくからな……こっそり隠れて、ボルクに何かありゃ俺がすぐに飛び出す。……お前に直してもらったこの足なら、もう間に合わねぇもんはない!」
その言葉にクラウディアは、ゴルドーを見た。
ゴルドーの揺るぎない瞳がクラウディアを見つめていた。
「俺が、こいつの命を預かる……だから、クラウディア――ボルクの覚悟を汲んでやってくれ。それにこいつがちゃんとしねぇとガキどもがまた菓子をねだれなくなるからな」
「…………」
クラウディアは、しばらく逡巡した。ボルクの覚悟。ゴルドーの申し出。そして街を守るという現実。
やがて——小さく息を吐いた。
「……相分かった。ゴルドーかの者の命、汝に託す。……ボルクよゆめゆめ無茶をするでないぞ。汝はもう我が闇の眷属の一人なのだからな」
(ゴルドー絶対にボルクを守ってね!……ボルクも、危なくなったらすぐ逃げるんだよ。約束だよ)
「ははっ!!……ありがたき幸せ」
ボルクが、深く平伏する。
「このボルク、必ずや大役を果たしてご覧に入れまする。……ご安心、くだされ」
その一部始終をヴィルは、ただ黙って見守っていた。
本当は、言いたいことがあった...自分が何者で、何ができるのか。
攻めてくる弟を兄として止められるかもしれぬということを――
だが...今はまだ言えない。今は、まだ――
そしてヴィーザルは、気づいていた。……もしかしたら言う必要すらないのかもしれないと。この者たちは、誰の力も借りずに自らの知恵と絆だけで血を流さぬ道を見出してみせた。
(……俺は、この街を守るために来た。守ってやらねばとどこかで驕っていた。……だが、違ったな)
ヴィーザルの視線が円卓の中心で仲間たちと頷き合うクラウディアへと注がれる。
(守られているのは——むしろ俺の諦めかけた理想のほうだ。……クラウディア殿。あなたという人は、本当に)
その瞳に熱がともる。それが、為政者としての敬意なのか――それとも、一人の男としての想いなのか……ヴィーザル自身にもまだ答えは分からなかった。
こうして――
グラウフェルトの民の移住が決まった。そしてボルクは、泥をかぶる覚悟を胸に...ゴルドーは、その守り手として。迫り来る、第二王子の軍勢へと——静かに対峙の時を待つこととなった。
誰も、血を流させない。それが、クラウディアの、選んだ戦だった。




