第二十八話 我、知られざる守り手を得る
ラナに呼ばれて集会所に足を踏み入れたヴィルは、しばし言葉を失っていた。
円卓を囲む街の主だった面々。その誰もが上座のあのクラウディアを中心に、議論を進めている。
「ふむ。水利権の件、話を戻すとしよう……ゴルドー、先ほどのマーサの案我も一理あると見た。上流の三区画ひと月ごとに割り当てを回すがよい。その間に新たな水路を整備せよ。さすれば、諍いも起こるまい」(上の畑と下の畑で、順番こに水を使えばいいよね。そしたらケンカにならないでしょ)
クラウディアが、裁定を下す。
一見芝居がかった大仰な物言い。
だが——その中身は、驚くほど的確で公平だった。誰も、損をせず、誰も、不満を抱かない。見事な采配だった。
(……なるほど)
ヴィルの中で残っていた最後の疑念が音を立てて消えていった。
この街を動かしているのは、公爵でも誰でもない...この目の前の小柄な令嬢....つまりクラウディア・フォン・ヴァルンシュタインその人だったのだ。
追放された哀れな令嬢。そう聞いていたが実際は、どうだ?彼女は、たった一人でこの辺境に理想の街を築き上げた。種族の壁を取り払い飢えた者を受け入れ誰もが笑って暮らせる場所を――
(……とんでもない、御方だ)
ヴィルは、胸の内で深く嘆息した。
彼が、この国に夢見て諦めてきた理想の統治。それをこの令嬢は、言葉ではなく現実としてここに築いていた。
「む? ヴィル殿。……そのような所で突っ立っておらずともよい。入られよ」
クラウディアが、ヴィルに気づいて声をかける。
「うってつけよ。各地を流離いし旅人ならば、幾多の都をその目に焼き付けてきたであろう……ならば問おう!我が闇の都アルブローゼン汝の眼には、いかに映る? 世辞は無用。思うままを申してみよ」
(旅してるヴィルさんなら、いろんな街を見てきたでしょ? うちの街どう思う? 正直に教えて)
そのまっすぐな問いかけにヴィルは、少し考えてから口を開いた。
「……そうだな率直に、言わせてもらうなら」
彼は、円卓を見渡し静かに告げた。
「この街は、この国のどこよりも豊かだ……いや、富のことではない。人の心が豊かなのだ。奪い合うのではなく分かち合う。切り捨てるのではなく手を取り合う。……私は、各地を巡ってきたがこのような街を見たことがない」
よどみのない言葉だった。そしてその内容の鋭さに円卓の面々が、おや、と、顔を、上げる。
「ほう」
クラウディアの双眸が興味深げに細められた。
「ふ……ただの旅人と侮っておったがなかなかどうして慧眼の持ち主よ。汝の眼差し我が理と同じ景色を捉えておる……気に入ったぞヴィル殿。どうだしばし我が闇の円卓にその知恵を連ねてはくれぬか」
(ヴィルさん、すごく分かってる。わたしと同じこと考えてるみたい……ねえ、よかったら街のこと一緒に考えてくれない?)
「——よいのか? 私は、ただの旅人だが」
「構わぬ。善き知恵は、出自を問わぬ。……それが我が理よ」
(いい意見をくれる人なら、誰だって大歓迎。それが、うちの街のやり方だから)
出自を問わない。
能力とその言葉だけで人を評する。
その、一言にヴィルは——不覚にも胸を打たれた。
(……この御方は。本当に)
彼がずっと求めていた。
だが王都では、決して得られなかった。
その、価値観がここには、当たり前のように、息づいている。
「……感謝する。では、お言葉に、甘えよう」
こうして旅人ヴィルは、アルブローゼンの合議に名を連ねることとなった。
誰も知らない...この物静かな旅人がこの国の第一王子であることなど。
そして、彼がこの街に——ある重大な災厄を告げる使命を密かに、背負っていることなど。
◇
その夜。
ヴィルは、人目を忍び街外れのある一軒家を訪ねていた。
ボルクの仮住まいである。飢饉で荒れたグラウフェルトを行き来する彼が、アルブローゼンに来た折に寝泊まりする小さな家だった。
「夜分に、すまない……少し、話がある」
「おや、ヴィル殿……はて?手前に何用でしょうか」
ボルクは、突然の旅人の来訪に首をかしげた。
ヴィルは、戸を閉め人がいないことを確かめてから静かにボルクに向き直った。
「まず、詫びねばならん……私は、お前を欺いていた。いや、この街の全員を」
「……は?」
「私の名は、ヴィルではない」
ヴィルが、その旅装の襟元から小さな紋章を取り出しボルクに示した。
それを見たボルクの顔がみるみる青ざめていく。
「こ、これは……! 王家の……! まさか、貴方様は……!」
「——ヴィーザル・ヘルミオンシュタイン。この国の、第一王子だ」
「っ——!!」
ボルクが、その場に崩れ落ちるように平伏した。
「だ、第一王子、殿下……! し、知らぬこととは、申せ、数々の、ご無礼を……!」
「よい。面を上げよ。……今の私は、一介の旅人だ。そう扱え。……そしてこれから話すことは、くれぐれも他言無用に頼む」
ヴィーザルは、片膝をつき震えるボルクと目線を合わせた。
そして——告げた。
「私の弟第二王子ジークフリートが兵を率い、このアルブローゼンへと、向かっている。……到着は二月ほど先だ」
「なっ……!? ぐ、軍が……!?」
「狙いは、この街の、制圧。魔物の反乱の鎮圧という名目でな……愚かな弟だ...この街の価値も分からず」
ヴィーザルの声に苦い響きが滲む。
「私は、この街を...そして、クラウディア殿を守りたい。だが……今の私は、名を偽る身。表立って動けば正体が、露見する……それゆえ、お前に託す。この警告を、クラウディア殿に伝えてほしい」
「て、手前が、でございますか……? ですが、なぜ、直接——」
「言ったはずだ。私の正体は、伏せたい」
ヴィーザルは、静かにだがきっぱりと、言った。
「クラウディア殿に私が、王族だと知られれば。……あの御方は、きっと身構えてしまう。王家は、あの御方にとって仇に等しい……私は、一人の人間として。あの街と、あの御方の力に、なりたいのだ」
その、言葉にボルクは——はっと顔を上げた。
目の前の、若き王子の瞳に宿るもの。
それは、ただの、政治的な打算ではない。もっとまっすぐで熱い何かだった。
(……この御方は、本気でクラウディア様とこの街を——)
ボルクの胸に熱いものが込み上げた。かつて保身しか考えなかった自分。だが、今は、違う。この街を...クラウディアを守りたいと願う者がここにもう一人いる。それがたとえ王族であろうとも。
「……承知、いたしました」
ボルクは、深く頭を垂れた。
「このボルク、必ずや、クラウディア様に、お伝えいたします。……そして、殿下のご正体は、この命に代えても口外いたしませぬ」
「……助かる。恩に、着る」
こうして――
アルブローゼンには、二人のひそかな守り手が生まれた。
正体を隠した王子と。
泥をかぶる覚悟の代官と。
迫り来る戦の影に抗うための小さなけれど確かな楔が今、静かに打ち込まれた。




