第二十七話 我、旅人を目で追う
ヴィルという旅人が、アルブローゼンに滞在するようになって、幾日かが過ぎた。
彼は、不思議な男だった。
流れの旅人のくせに、妙に、物腰が洗練されている。かと思えば、街の子供たちと、泥だらけになって遊びゴブじいの工房に入り浸っては、その無茶な発明談義に面白そうに耳を傾けている。
「へぇーこの歯車を、こう噛み合わせるのか。……なるほど、考えたものだな!ダビン殿」
「かっかっか! 分かるか、若いの! そうじゃ、ここがキモなんじゃよ!」
偏屈で知られたゴブじいが、よそ者のヴィルと実に楽しげに笑い合っている。その光景を、少し離れた場所から眺めていたクラウディアは、ふと、足を止めた。
(……ヴィルさんまた、誰かと、仲良くなってる)
街の者たちは、もうすっかりヴィルに気を許していた。ヴィルの魔物も、人間も、関係ない裏表のない笑顔の前では、誰もが自然と心を開いてしまっていた。
クラウディアは、これまで人族の男というものをろくに知らなかった。知っているのは、自分を蔑ろにした婚約者と、その嘲笑うだけの取り巻きたち。人族の男とは、そういうものだと思っていた。
だが——ヴィルは、違った。
魔物の子を、分け隔てなく肩車し偏屈な老ゴブリンと楽しそうに語らう。誰に対しても、同じあたたかな目を向ける。
(……あんな男の人、初めて、見た)
気がつくとクラウディアの視線は、その青年の姿を追っていた。市場で見かければ、つい目で追ってしまう。子供たちと遊ぶ声が聞こえれば、ついそちらを見てしまう。
自分でも、よく分からなかった。ただ、あの男のことが——なぜだか気になって仕方がないのだ。
「——ねえねえ、クラウ」
「——きゃぁっ!?」
突然耳元で囁かれクラウディアは、飛び上がった。
いつの間にか隣にラナが立っている。その顔には、にんまりと意地の悪い笑みが浮かんでいた。
「さっきからさーヴィルのことじーっと見てるよね? ……ねえ、気になってるっしょ?」
「なっ……! ばっ、馬鹿を申すな!」
(ど、どうしよう、見られてた……!)
クラウディアの顔が、かぁっと赤くなる。
「我は、ただ……そう! あの者が、我が街に害をなさぬか。領主として監視しておるだけよ!」
(ち、違うの! べつに、そういうんじゃ……!)
「ふーん? 監視ぃ...ねぇ?」
ラナは、にやにやしながらクラウディアの顔を覗き込む。
「じゃあ、なんで顔真っ赤なの?」
「こ……これは、そ...その、ひ陽射しが、強いゆえ……!」
「へえー。今日、曇りだけど?」
「————っ!?!?!?!」
バシバシバシッ!!!
言葉に詰まったクラウディアに肩を叩かれてラナは、けらけらと笑い転げた。
◇
その日の午後。
街の集会所では、いつものように合議が開かれていた。
塩の生産量。農地の拡張計画。新しく移り住んできた者たちの、住居の割り当て。議題は、山積みである。皆真剣な面持ちで意見を交わしていた。
だが——その円卓の上座で
「……ふむ」
クラウディアの意識は、どこか上の空だった。
その視線は、しきりに集会所の窓の外へと向けられている。窓の向こうの広場では——ヴィルが、子供たちと鬼ごっこに興じていた。追いかけられて、わざと転んでみせる。子供たちが、きゃっきゃと、歓声を上げる。
(……ふふ。ヴィルさん楽しそう)
つい、口元が緩んでしまう。
「——おい、クラウディア」
「はっ!?」
低い、呆れたような声にクラウディアは、我に返った。
声の主は、ゴルドーである。太い腕を組み、じとりとこちらを見ていた。
「…はぁ…今、大事な話をしているんだぞ?農地の水利権の話だ。……聞いていたか?」
「む、無論よ! 聞いておった! 水利権であろう! この我が、聞き逃すはずが……」
(ご、ごめん、ぜんぜん聞いてなかった……!)
「……そうか。では、今のマーサの提案にどう答える?」
「……そ、それは……」
しどろもどろに、なるクラウディア。
その、あまりの様子に円卓の面々は、顔を見合わせた。あの、何事にも動じぬクラウディアの様子がどうにもおかしい。
「あはは! もう、クラウってば!」
と。
その空気を破ったのは、ラナだった。にやにやと、笑いながら窓の外を指さす。
「みんな大丈夫だよ!クラウってばさヴィルのこと気になってしょうがないんだもんね! そんなにチラチラ見てるくらいならいっその事……」
「ラナ! 待て、何を——」
「おーい、ヴィルー! ちょっと、こっち来てよー!」
「——っ!?」
クラウディアが、止める間もなかった。
窓から、身を乗り出してラナが大声でヴィルを呼ぶ。広場のヴィルがきょとんと顔を上げ、そして集会所の方へと歩いてくる。
「おい! ラナ! 貴様、何を勝手に……!」
ゴルドーが、慌てて声を上げた。
「ここは、街の重要事項を決める場だぞ! 部外者を気安く呼ぶな! ……まったく」
「いーじゃん、固いこと言わないでさー。ね、クラウ?」
「まぁヴィルなら良いだろう」
「そうさねヴィル君ならいい意見もらえそうだしねぇ」
とゴルドーとマーサがうんうんと同意しながらクラウディアの顔をみると――
「わ、我に、振るでない!」
(どうしようどうしよう、顔、見れない……!)
真っ赤になってわたわたしていた。その姿にラナは、ますます楽しそうに笑った。
アーシェもやれやれと、肩をすくめつつその口元は、やわらかくほころんでいる。
「失礼する。……呼ばれた気がしたのだが?」
そうこうするうちに、ヴィルが集会所の入り口に姿を見せた。
その、涼やかな双眸がぐるりと室内を見渡す。
円卓を囲む街の主だった面々。
広げられた、帳簿や地図。
真剣な議論の気配。
そして——その上座に、着いているクラウディアの姿を。
「…………」
ヴィルの動きが止まった。
(……この令嬢が。上座に? ……まさか)
彼の頭の中でこれまでの違和感が一つの線へと繋がり始める。
公爵の影がない街、それでも整然と回る統治。そして——街の重要事項を決めるこの場所の中心にいる少女。
(……いや、しかし。追放された令嬢が、まさか——)
ヴィルの推理は、今確信の一歩手前まで来ていた。
◇
その夜。
ヴィルが、宿にあてがわれた一室で一人物思いに耽っているとこつこつと、窓を叩く音がした。
音もなく窓から滑り込んできたのは——旅装の男だった。ヴィルが、ひそかに連れてきていた従者である。
「ヴィーザル様……火急のご報告が」
「……どうした。人目を憚るとは、穏やかではないな」
従者は、片膝をつき声を潜めて告げた。
「王都より、報せが……ジークフリート様が兵を率いこのアルブローゼンへと出立なさいました」
「——なに?」
ヴィルの、眉が跳ね上がる。
「かの御方...王の『好きにせよ』との言葉を討伐の勅命と解されたご様子……兵の数は、さほど多くありませぬ。なれど、本気でこの街を攻めるおつもりかと」
「……いつ、着く」
「道のり...そして兵の足を考えますれば……到着は、およそ二月ほどかと」
二ヶ月。
その言葉にヴィルは、窓の外へと視線を投げた。月明かりに照らされた静かなアルブローゼンの街並み...
魔物も、人間も、分け隔てなく笑い合うあのあたたかな街が。
二ヶ月後には——戦火に晒される。
「……ジークめ。あのバカ者――やはり、動いたか」
ヴィルの胸中は、複雑だった。この街を守りたい。だが自分は今...名を偽る身。迂闊に動けば、正体が露見する。そして——攻めてくるのは、ほかならぬ自分の弟なのだ。
月光の下、ヴィルは、しばし、沈黙した。
静かな、街の平穏に――
確かな、戦の足音が...今、忍び寄り始めていた。




