第二十五話 我なき王城にて、狼は牙を研ぐ
——アルブローゼンから、遠く離れた王都ヘルミオンシュタイン 。
そのきらびやかな一室で第二王子ジークフリートは、苛立たしげに爪を噛んでいた。
「おい、ロルフ。もう一度、言ってみろ」
その前に、片膝をついて頭を垂れているのは——ロルフだった。あちこちに、包帯を巻き腫れ上がった顔でジークフリートの前に頭を垂れていた。そしてクラウディアに叩きのめされた傷は、まだ生々しく残っていた。
「は……! ジーク様。辺境の魔物どもが徒党を組み……あろうことかこの私、王国騎士ロルフに手を上げたのです……!」
ロルフの報告は、巧妙に歪められていた。
飢えた民を虐げたことも。子供の食い物を踏みにじったことも。炊き出しを蹴り飛ばしたことも。何一つ、語られない。ただ——「王国の騎士が、無礼な魔物どもに襲われた」その一点だけを声高に繰り返した。
「しかも、その魔物どもを率いているのが……クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン、あの女狐にございます……!」
「……クラウディアだと?」
ジークの眉が跳ね上がった。
かつて、自分が婚約を破棄し辺境へと追いやったあの令嬢。わけのわからない言動で、周囲を辟易させていたあの女。それが、今——魔物を率いて、王国に牙を剥いているという。
「くっ、くくく……はははは!」
ジークは、突然下卑た笑いを上げた。
「そうか! あの女、辺境で魔物なんぞとつるんでおるのか! ふん、お似合いだ! けだものには、けだものか!」
そして、その目に野心の光が宿る。
「しかし……これは、好機やもしれん。……魔物どもの反乱をこの僕様が、鎮圧してみせれば……! 父上も、僕様の力を認めざるを得まい…そしてエルネリーナの事も認めてもらえるはず…!」
ジークの頭の中では、もう絵図が描かれていた。魔物の反乱を華々しく制圧し王位継承の確固たる地歩を築く。あの目障りな兄を出し抜いて。
「よし。父上に奏上する。……ついて来い、ロルフ」
◇
謁見の間。
玉座には、この国の頂点たる王が座していた。
でっぷりと肥えた体を、豪奢な衣に包み気だるげに頬杖をついている。
その顔には、あらゆることに対する拭いがたい倦怠感が貼りついていた。
「……で? ジークフリートよ。火急の用件とは、なんだ」
「はっ、父上! 辺境にて、由々しき事態が、出来いたしました!」
ジークは、芝居がかった仕草で床に跪く。
「魔物どもが、徒党を組み反乱を企てております! しかも、その首魁は、かのクラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン! 王家に、弓引く大罪人にございます!」
ジークの熱弁を。
王は——欠伸を、噛み殺しながら聞いていた。
「……魔物、とな」
「はっ! このまま捨て置けば、王国の威信に関わります!それにヴァルンシュタイン卿も押さえられます。 なにとぞこの僕様に、討伐の御下命を——!」
「あー……もうよい、もうよい」
王は、面倒くさそうに手を振った。
「魔物ごときが、少々、暴れたところでなんだというのだ。虫が、羽音を立てておるのとたいして変わらぬ。それにヴァルンシュタインを敵に回すなど考えたくもない」
その言葉には何の感慨もなかった。あるのは、ただ——全てがどうでも良いような。徹底した無関心だけ。この王にとって、ジークフリートの話は、考慮に値する存在ですらなかったのだ。
「されど、父上……!」
「くどい……好きにせよ、ジークフリート。討伐でも、なんでも。……ただし、余の手を煩わせるなあとヴァルンシュタインにも手を出すな。そして予算も、兵も、最小限だ……くだらぬことで、国庫を使うでない」
「は……! ありがたき、幸せ……!」
丸投げだった。
王は、この一件に、何の関心も示さなかった。息子の手柄争いにも、辺境の動乱にも...ただ面倒を遠ざけたい。その一心だけで。
——だが。
その謁見の間の隅で。
一人、静かにその一部始終を聞いている者がいた。
◇
「……ふむ」
謁見の間を辞したその男は、人気のない回廊で一人足を止めた。
すらりと背の高い青年である。整った...けれど、どこか影のある面立ち。その静かな双眸は、常に何かを見透かすように深い。
ヴィーザル・ヘルミオンシュタイン。
この国の第一王子であった。
妾腹の子ゆえ王位からは、遠ざけられ王城の片隅で息を殺すように、生きてきた男。有能さをひけらかせば、要らぬ疑いを招く。ゆえに彼は、いつも静かに控えていた。表舞台に立つことを避けるように。
だが——その、静かな水面の下で彼の頭脳は、常に鋭く回転していた。
「……ジークのあのはしゃぎよう。相変わらずだな」
ヴィーザルは、小さく息を吐いた。
今まで魔物が徒党を組み反乱をおこすなど聞いたことが無い。しかもその中心にいるのが公爵令嬢というのもおかしな話だと考えを巡らせていた。
「…何度考えても妙な、話だ」
ヴィーザルの、思考が巡る。
この国の常識では、あり得ない。魔物は、人間に虐げられる側。搾取され、奪われる側だ。その魔物達が、徒党を組みかつ公爵令嬢にしたがっているというのはにわかに信じがたい話だった。
「公爵令嬢が王国に反乱を企てるメリットはなんだ?……何故差別の対象とされる魔物を集めるのか?」
辻褄が合わない。ジークの言う「反乱」の構図は、説明がつかないのだ。
ヴィーザルは、目を細めた。
彼が常々この国に抱いてきた疑問。なぜ?種族や身分で人を隔てるのか。なぜ能力ある者が、出自ゆえに虐げられ無能な者が血筋ゆえに玉座に近いのか?——この腐った王国の慣習...それにヴィーザルは、ずっと辟易してきた。
そんな彼の心の琴線に、その辺境の街の話が、触れたのだ。
「種族の別なく手を差し伸べる統治者…………もし、それが本当なら」
それは——彼が、この国に夢見てそして諦めてきた理想の統治の姿ではないか?
「……ふ。柄にも、なく心が逸るな」
ヴィーザルの、口元にかすかな笑みが浮かんだ。
それは、久しくこの男が見せることのなかった表情だった。
「ジークに、任せておけば……あの短慮だ。どうせ事をこじらせる。……最悪の場合は、私が収めねばなるまい」
それは、建前だった。
弟の尻拭い...王家の体面……そんなものは、後付けの理由に過ぎない。
彼の本当の、望みは——ただ一つ。
自分の目で確かめたい。その街をその街を築いた人物を。
「…どんな人物なのだ?クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン…王子としてだと警戒されるか...なら、一人の旅人としてならどうだ?」
ヴィーザルは、静かに歩き出す。
腐敗した王城に、背を向けて彼が、長年夢見てきた理想の光の灯る方へと。
「面白くなってきた。……クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン。あなたは、一体何者だ」
かつて弟に捨てられた哀れな令嬢としてしかヴィーザルはまだ認識していない。
しかしクラウディアこそが彼の運命を大きく変える相手であることを.....
——この時のヴィーザルは、まだ知る由もなかった。




