第二十四話 我、驕れる者を討つ
炊き出しの湯気が、あたたかく立ち上るグラウフェルトの広場。
そこに、再び、あのロルフ達が姿を現した。
「……なんだ、これは」
先頭のロルフが、馬上からその光景を訝しげに見下ろす。
飢えて、死にかけていたはずの町。それが今、活気を取り戻していた。民の顔には、生気が戻り大きな鍋からは、あたたかな粥が振る舞われている。そして、それを配っているのは——魔物たちだった。
「おい!あれは、魔物ではないか。なぜ、魔物が人間の町で……」
「ロルフ様。あそこに、あの代官がおりますぞ……ぴんぴんしておりますな」
取り巻きが、指をさした先には、打ちのめしたはずのボルクが傷一つない姿で炊き出しを、取り仕切っていた。
「馬鹿な……あいつは....半死半生だったはず……」
理解の追いつかないロルフの前で取り巻きの一人が、つかつかと炊き出しの鍋へ歩み寄っていく。
「ふん!!汚らわしいっ!!!人間様の町で、魔物ごときが炊き出しだと? ……こんなものっ」
ガッ
その男が、粥の入った鍋を蹴り飛ばした。
あたたかな粥が、地面にぶちまけられる。
「あーっはっは!家畜の餌が、台無しだなぁ? ひひっ」
配膳に並んでいた、飢えた民たちが絶望の表情を浮かべる。その中で——一人の小さな子供が、こぼれた粥を見てぽろぽろと泣き始めた。
「うぇ……ごはん、が……」
その泣き声に、とてとてと歩み寄る影があった。
うさぎ耳の女の子である。アルブローゼンから、炊き出しを手伝いに来ていた。彼女は、自分の粥の椀をそっと泣いている人間の子供へと差し出した。
「……どうぞ!これあげる。いっしょにたべよ?」
「……いい、の?」
「うん!おなかすいてるのつらいもんね」
かつて、飢えを知り差別を受けてきた魔物の子が今、飢えた人間の子に自分の食を分け与える。そこには、種族の壁などどこにもなかった。
「——おいおいぃ、そこの魔物のガキィ」
その、あたたかな光景に水を差す声があった。
取り巻きの男が、うさぎ耳の子へと歩み寄る。
「家畜風情が、人間様に施しだとぉ? 身の程を知らんのか?……いい加減にぃ——」
男の手が、うさぎ耳の子へと振り上げられうさぎ耳の子が目をきつく閉じた。
——だが
バキッ!!
その手が、子供に届くよりも早く。
丸太のような、拳が男の顔面に、めり込んでいた。
「——がはっ!?」
男の体が、宙を舞い地面に叩きつけられる。白目を剥き、ぴくぴくと痙攣していた。
「……大丈夫か?」
「ゴルドーおじちゃん!」
拳を握りしめ、そこに立っていたのは——ゴルドーだった。
「……子供に、手を上げようとはな...俺の目の黒いうちは、指一本触れさせねえぞ」
ゴルドーが、うさぎ耳の子と人間の子供をそっと背に庇い騎士の一団に向かい立っていた。
「き、貴様……! 魔物ごときが、王国騎士に手を出しただと……!?」
「だからどうした!子供を害するような奴は騎士とは俺ぁ騎士とはみとめんぜ?」
残った取り巻きが青ざめる。
そこへ——
パチパチパチ
拍手をしロルフがゴルドーへ近づいてきていた。
「ほぉぅ。これは、これは勇ましい家畜だ」
「ふん」
そして、ロルフの視線が広場の一点に注がれていた。炊き出しの、指示を出していた——一人の公爵令嬢へと。
「……見覚えのある顔だなぁ。クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン」
ニヤァっとロルフの、口の端が吊り上がった。
——クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン。かつて、第二王子ジークフリートに、婚約を破棄され、辺境へと追放されたあの令嬢。そしてあの夜会で恥をかかされたロルフにとってそれは、復讐の獲物だった。
「ふん。追放された身で、まだ生きていたか……ちょうどいい。あの時の、礼をさせてもらおう」
かつて、王城でクラウディアの父に殴り飛ばされ、母に顔を踏まれた、あの屈辱。ロルフは、それを、忘れていなかった。だが——目の前の公爵令嬢の本人の力を彼はまるで知らなかった。
「おい!クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン。貴様ァッ!こんな、汚らわしい魔物どもを率いて、一体何のつもりだ!……どうせ、行き場をなくしてけだものに拾われでもしたかぁ?哀れなものだなぁっ!!!あの公爵令嬢が、地に堕ちて魔物の飼い主ごっこか?」
ロルフはクラウディアを見つめ嘲笑するかのように悪態をついていた。
しかしクラウディアは、その下卑た嘲りを一顧だにしなかった。
「ゴブじいに告げよ。かの俗物どもが蹴散らせし糧、疾く新たなるものを再臨させよ。……我が民に二度も飢えの淵を覗かせはせぬ」
(早く、新しいごはんを子供たちにお腹すいてるもんね!)
「マーサ。冷えたる幼子らを暖炉の温もりへ導け……この地の宝を凍えさせるわけには、ゆかぬ」
(みんな、風邪ひかないようにね!子供たちをあったかくしてあげて)
淡々と、復興の指示を出していく。
まるでそこにロルフなど、存在しないかのように。
「……おい!クラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン。貴様ァッ、この俺を無視するかっ」
ロルフのこめかみに青筋が浮かぶ。
「聞いているのか! 王国の騎士たる、この俺を——!」
「……ああ、すまぬな」
クラウディアが、ようやくロルフを見た。その目は、凍てつくほどに静かだった。
「案ずるな。ただ、我が理の営みに名も無き羽虫が一匹。……取るに足らぬと切り捨てただけよ」
(あなたのことなんてどうでもいいの!子供たちのごはんが先です!!!)
「——っ、クラウディアァッ貴様ァ!!」
激昂したロルフが、クラウディアを力任せに、突き飛ばした。
ドンッ
「キャッ――」
「クラウ!」
「クラウディア!」
仲間たちが叫ぶ。だが——
「……ぐ!?」
突き飛ばした、ロルフの方が呻いた。まるで、岩でも押したかのよう...クラウディアは、その場から、一歩も動いていない。
突き飛ばされたクラウディアの体を、がしりと支える者があった。
「——クラウディア様に御手を出すなど……! このボルク断じて、許しませぬぞ……!」
ボルクだった。痩せた体で、クラウディアを庇うようにロルフの前に立ちはだかる。
「ぬ? 貴様は……あの時の代官か。……ふん...この死にぞこないがぁっ」
「……ええ、そうです。あなた様に殴られ死にかけておりました」
ボルクは、震える足でそれでもまっすぐにロルフを見据えた。
「ですが……! 民が、飢えて、死にかけている時に!!指一本、動かさなかったどころか子供にまで手を挙げるようなあなた方に……! このボルク、頭を下げるなど常闇の盟主に誓って出来ませぬ!!」
かつて、保身のためなら誰にでもへつらった、あのボルクが今、王国の騎士を前に一歩も、引かず啖呵を切っていた。
「……ふ。言うではないか、ボルク」
その姿に、ラナが、感嘆の息を漏らす。
「へえ。あのおっさんが、ねぇ……見直したっしょ」
「この……! 下郎の分際で……! この、ロルフ・フォン・ダンハウザーに……!」
ロルフの顔が、怒りで朱に染まる。そして——腰の剣を抜き放った。
「——貴様のような下郎は……! ここで、斬り捨ててくれるわ!!」
白刃が、ボルクへと振り下ろされる。
——だが、その剣は....
キィンッ!!
澄んだ音を立てて。宙で弾かれた。
「——そこまでだ」
いつの間にか、ボルクの前に剣を構えたアーシェが、立っていた。その剣で、ロルフの剣を受け止めていたのだ。
「この者は、我が主、クラウディアの臣下だ。……その者に、手出しはさせぬ」
凛とした、エルフの戦士の揺るがぬ眼差し。
「な……エルフ、だと……! おのれ、魔物どもが揃いも揃って……!」
ロルフは、すでに我を失っていた。次から次へと、立ちはだかる魔物たち。
踏みつけたはずの、下郎ども。それが、一歩も退かない。その、あり得べからざる光景に、彼の誇りは、ずたずたに引き裂かれていた。
そして——
「……戯れは、終いよ。ロルフ・フォン・ダンハウザー……我が眷属を虐げし罪、その身に贖わせるとしよう」
(もう、我慢の限界。ロルフ...あなたには、償ってもらう)
静かな、声が響いた。
その場の、空気がぴたりと凍りつく。
声の主は——クラウディアだった。
我が民に、我が友に、我が臣に……ここまで牙を剥いておきながら……この闇より、無傷で立ち去れると……そう、驕っておるのか?」
(子供のごはんを蹴って、ボルクを傷つけて、みんなに手を上げて……そんなの、絶ぇ対にっ許さない)
その双眸に、ぶわり、と漆黒の闇が揺らめいた。
「——闇よ」
クラウディアの、全身から黒い闇の霧が噴き上がる。かつて、兵士たちを震え上がらせた、あの、禍々しい力。今、それが驕れる騎士へと向けられた。
「な……なんだ、その、禍々しい力はっ……!? き、貴様、闇魔法……!? 令嬢が、闇魔法だとぉ……!?」
ロルフの顔から、血の気が引いていく。
初めて——彼は、気づいた。目の前のこの令嬢が、父や、母の庇護の下にいた、あの令嬢では、ないことに。それどころか、この者自身が、途方もない化け物であることに。
だが——気づくのは、あまりに遅かった。
「刮目せよ、下郎。……これが、我が眷属に手を上げた者の末路よ」
(子供やみんなを傷つけたこと、体に教えてあげる)
ずどんっ!!
闇を纏った拳が、ロルフの鳩尾にめり込んだ。
「がはっ……!?」
「一つ」
ずどっ、ずどっ、と。
「二つ、三つ……我が眷属の流した涙の数だけ……罪過の業をその身に受けるがよいっ!!」
「ぐ、あ、や、やめ……! ゆ、許——ごぶっ!?」
クラウディアの、闇の拳が逃げることも庇うことも許さずロルフの全身を打ち据えていく。飢えた民を、痩せた代官を、無抵抗の子供を、蹴りつけた、その報いを....一つ、また一つと。
やがて——
「や...べて...ぇ――」
「……ふ。この程度で音を上げるか。……存外、脆いな」
ぼろ雑巾のように、地面に転がったロルフの姿は、先ほど彼が、ボルクを罵った言葉、そのままだった。
「……お、覚えて、い...ろ……!」
血を吐きながら、それでもロルフは、恨みがましく呻いた。
「こ、この、こと……! ジーク様に、ご報告...するぞ……! 魔物どもが、徒党を組み、王国の騎士に...手を出したと…反...乱の兆...しありと…! 王国が、貴様らを……! ただ...では...おかぬ……!」
這うように、取り巻きに支えられてロルフは、逃げるようにその場を後にした。
その、捨て台詞を——
クラウディアは、静かに、聞いていた。
「……好きにするがよい」
ぽつり、と、呟く。
「王とやらに、伝えるがいい。この地に汝らの理は、通じぬと。……我が理が、この地を統べるのだと」
(王様に知られても、平気……だって、わたしは、間違ってないもん)
去りゆく、騎士の背を見つめながら。
クラウディアは、知っていた。この一件が、いずれ、王都との大きな戦へと、繋がっていくことを。
だが、その、双眸に恐れは、微塵もなかった。
——差別に、塗れたこの国といつか真正面から対峙する。
その覚悟は、とっくに決まっていたのだから。




