第二十三話 我が光、人の里を照らす
その男がアルブローゼンに駆け込んできたのは、その日の夕方だった。
「た、頼もう……! クラウディア様は、おられるか……!」
グラウフェルトから、息を切らして走ってきたのだろう。門をくぐった男は、痩せ細った足を、もつれさせながら必死の形相で叫んだ。
「なんだ、人間か?」
「どうした、血相を変えて」
門番の魔物たちが、戸惑いながらその男を集会所へと通す。
「——して。人の子よ。我に、何用か」
円卓に着いていたクラウディアが、鷹揚に問うた。
付き人は、その場に膝をつき絞り出すようにすべてを語り始めた。
隣町グラウフェルトを襲った、飢饉のこと。畑が枯れ、民が飢え、それでも王都の取り立ては止まぬこと。そして今日——王都から来た騎士ロルフが乗り込み、飢えた子供を蹴りつけ庇ったボルクを剣で打ち据えたこと。
「ロルフ様は、去り際にこう申しました……! 『期日までに、きちんと納税せよ。できねばこの町は、地図から消える』と……!」
聞いていた魔物たちが、ざわめいた。
「はっ?人間は同胞も救わないのか...?」
「地図から消えるってことはすんでる人たちはどうなるんだ?」
「「「ざわざわざわ」」」
飢えて死にかけている町になお税を課し、払えねば消し飛ばすと言う。
そのあまりの理不尽に。
「代官様は……ボルク様は、その騎士に打たれ今、血を流して倒れておられます……! もう、長くは……!」
付き人の声が、震えた。
「 ボルク様は、私財も、何もかも、投げ打って……! それでも足りず……クラウディア様に、お支払いすべき金貨にまで、手をつけてしまい……! ですが、言い出せず……!」
地面に額をこすりつけ付き人は、涙ながらに叫んだ。
「あの方は……! ご自身を犠牲にして...我らを、守ろうとしてくださいました……! どうか、どうか……! ボルク様を、お助けください……! クラウディア様へのお支払いは……! 我々が、何としてでもいたしますので……!」
飢えて、痩せ細った、その体で...付き人は、必死に主人の命を乞うていた。
使い込みの罪を、正直に告げながら。それでも、主人を見捨てはしなかった。
集会所が静まり返る。
クラウディアの取り分を、無断で使った...それは、確かに背信だったが、その罪の裏にあったのは——民を飢えさせぬために、我が身をも顧みぬ一人の男の覚悟だった。
「……ふ」
クラウディアは、静かに笑った。
「面を、上げよ。人の子よ」
その声は、怒りでも、失望でも、なかった。
使い込み、と申したか。……戯言を。その言葉、我が理は、断じて認めぬ」
(使い込みなんかじゃないよ。……ぜんぜん、違う)
「——っ! も、申し訳……!」
「早合点、するでない」
クラウディアは、ゆっくりと立ち上がった。
「聞くがよい。黄金とは、天地を巡りゆく大河の如きもの。それが、飢えたる者の腹を満たすために注がれたのなら——それは、罪に非ず。もっとも尊き、循環の理よ。ボルクは、我が財を、我が理のために還したに過ぎぬ。何一つ、恥じることはない。……ゆえに、贖いなど、無用ぞ」
(お金は、困ってる人を助けるために巡るものでしょ。ボルクは、なんにも悪くない。……むしろ、えらいよ)
「く……クラウディア様……!」
付き人の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「それどころか——あの男よ」
クラウディアの双眸が、す、と細められる。そこに宿るのは、深い感嘆だった。
「己が財を、己が肉を、ことごとく捧げ尽くし。命の灯が、消えなんとする、その刹那まで、民を守り抜かんとした!……天晴れ!まさに闇に選ばれし我が認むるに足る気高き魂よ」
(ボルク……。あなた、そんなになるまで、一人で抱え込んで……。バカだなあ。……なんで、頼ってくれなかったの)
かつて、保身のためなら街を焼こうとしたあの俗物が今や、我が身を燃やし尽くしてでも、民を守ろうとする。その、あまりの変わりようにクラウディアの胸に熱いものが、こみ上げた。
「ゴルドー! ラナ! アーシェ!」
クラウディアが、声を張り上げる。
「備蓄の食料を、荷車に、ありったけ積め! ノルンは、我と来い! ……グラウフェルトへ、向かう」
「クラウ、それって……」
「無論、救援よ」
問いかけるラナにクラウディアは、迷いなく告げた。
「飢えた民がいる。ならば、救う。……人であろうと、魔物であろうと、我が知ったことではない。腹を空かせた者の前では、種族など些末なこと」
(お腹を空かせてる人がいる。それだけで、助ける理由には十分でしょ?)
その言葉に、魔物たちは、息を呑んだ。
「まぁそうだな」
「腹減ってたらつらいもんなぁ」
「おっしゃみんな準備だ準備!」
——人間の町を...自分たちを蔑み、虐げてきた、その人間たちを魔物達は、クラウディアの一言でためらいもなく救う準備を始めた。
かつて、自分たちがそうされたように見捨てるのではなく...手を差し伸べると。
「……まぁ、お前はそうだよな」
ゴルドーが、ふ、と口の端を緩めた。
「全員準備出来次第グラウフェルトへ向かうぞ!!……野郎ども! 荷車を引け! 代官どのを、助けに行くぞ!」
「「「おうっ!!」」」
魔物たちが、一斉に動き出す。文句を言う者は、一人もいなかった。ボルクは、もう彼らにとっても、大切な仲間の一人だったのだ。
◇
隣町ゆえ道のりは、遠くない。
救援隊がグラウフェルトに着いた時町は、絶望に沈んでいた。
飢えて動けぬ民。傾いた家々...その家の中で、血にまみれ横たわるボルクの姿があった。
町の者たちが、なす術もなくその周りを囲んでいる。
「……ボルク!」
クラウディアが駆け寄り、その傍らに膝をついた。
痩せこけ、傷つき、息も絶え絶えのボルク。
かつての脂ぎった姿は、もう、どこにもない。あるのは、民のために、すべてを捧げ尽くした、一人の老いた男だった。
「……っ、く、クラウディア、様……」
薄く目を開けたボルクが掠れた声で立ち上がろうと身体をおこそうとする。
「儂は……あなた様の、金を……申し訳、ござい……」
「そのままでよい。我が眷属よ」
(大丈夫じっとしてて!)
クラウディアは、その傷に、手をかざした。
「その件は、不問だ!……今は、大人しく我が光を、受けるがよい」
(もう、しゃべらなくていい。……今、治すからね)
ふわ、と。あたたかな白い光が、ボルクの体を包み込む。
裂けた傷が塞がり、折れた骨が繋がっていく。血の気の失せた顔に、赤みが戻る...
奇跡の様な回復魔法が、今一人の人間の命をこの世に繋ぎとめていた。
「……あ……」
「聖女様...」
町の民たちが、その光景に言葉を失う。
回復魔法。それは、彼ら人間ですら、聖女か高位の司祭しか使えぬ、奇跡の御業。それを、目の前の令嬢が、自分たちのために使っている。
「傷は塞いだ。だが、衰弱が酷いな……しばらくはじっとしておるのだ」
「……クラウディア様。なぜ、儂如きに、ここまで……! 儂は、あなた様を、裏切った身ですぞ……!」
「くどいぞ、ボルク」
クラウディアは、ふ、と笑った。
「汝は、我が民を守りし者。……ただ、それだけよ。この闇の理において、民を守護せし勇者を、断罪する法など——ありはせぬ。胸を張るがよいボルク」
(あなたは、困ってる人を助けようとしただけ。それを、罰するわけないでしょ?……よくがんばったね!ボルク)
その言葉に...
ボルクの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「……っ、うう……! も、もったいなき、お言葉……!」
かつて、魔物を蔑み、保身に汲々としていた、俗物の代官。その男が今、クラウディアの慈悲に、人目もはばからず男泣きに泣いていた。
「儂はきめましたぞ!何があってもクラウディア様についていきます!」
そして——
その日からグラウフェルトの光景は、一変した。
アルブローゼンから運ばれた、ありったけの食料を使い、魔物たちが、炊き出しを始めたのだ。
大きな鍋で、あたたかな粥が炊かれ、次々と飢えた民へと配られていく。
それを担うのは、マーサをはじめとするかつて飢えを知る魔物たちだった。
「ほら、あんたらよくお食べ……大丈夫だよ!クラウディア様がひもじい思いは、させないからね」
マーサが、痩せた人間の子供達に、粥の椀をそっと手渡す。
その、あたたかな手つきに子供達は、おそるおそる受け取り——一口、また一口とすすっていた。
「……あった、かい……」
「...おい...しい...」
食べながら子供たちはぽろぽろと、涙をこぼした。
人間の町と、魔物の街。
長きにわたり、隔てられ、差別があった。しかし、今初めて——あたたかな、湯気が立ち上っていた。
差別も、憎しみも、飢えの前では、意味をなさない。ただ、腹を空かせた者に食を分ける。その、当たり前のことが...この国で、初めて、種族を超えて行われていた。
「……ふ。よき、眺めよ」
その光景をクラウディアは、静かに見つめていた。
(人も、魔物も、関係ない。……みんなが、笑って、ごはんを食べられる。そういう世界に、してみせるんだから)
だが——この、あたたかな救済が...
やがて、再び、あの理不尽な騎士を...ジークフリードを呼び寄せることになる。
それを、まだクラウディアは知らなかった。




