第二十話 我、不覚を取る
黄金の実りが満ちた畑を、夕暮れの光が照らしていた。
収穫を終えた者たちが家路につき始めた頃、クラウディアはゴルドーと二人でその畑を見渡していた。
「……見事なものだ」
ぽつりと呟いたゴルドーの厳つい顔には、深い感慨が浮かんでいた。
「思えば、お前が来てからあっという間だったな。俺たちは俯いて、諦めて生きていた。人間に奪われて当たり前だと、飢えや人間の理不尽で死ぬのが定めだと本気でそう思い込んでいた」
彼はそう語りながら、実りの畑へと目を細める。
「だが今はどうだ。家があって、飯があって、仲間がいる。子供らが腹一杯食って、笑っている……こんなに幸せな日が来るなんて...あの頃の俺には、想像もできなかった」
かつて人間を憎み、誰よりもクラウディアを疑ったこの男が今は豊かな街を心から慈しんでいた。
「クラウディア」
ゴルドーがクラウディアに向き直った。
「ありがとうな。お前が来てくれて、本当によかった」
そう言って彼は、大きな手を伸ばすと——ぽん、ぽん、と、クラウディアの頭を撫でた。
丸太のような、無骨な手のひらが感謝を込めて、優しく。
——瞬間。
クラウディアの思考が、真っ白になった。
「……ふぇ!?」
(え、え、え!? な、なに!? 頭、撫でられた……!?)
かぁっ、と...その頬が、みるみる赤く染まっていく。
厨二の仮面も、令嬢の気品も、どこへやら...
ぽん、ぽん、と頭に落ちる、あたたかな手の感触に、クラウディアはただ硬直するばかりだった。
無理もない。彼女は元々公爵令嬢なのだ。婚約者だったジークには蔑ろにされ、女性扱いされず、その取り巻き達にはまるで変なものを見るような視線や態度で接されていたのだ。
さらに追放されてからは、戦い、街を築くことに明け暮れてきた。男性からこんな風に優しく頭を撫でられるなど——生まれてこのかた、ほとんど、経験がなかったのだ。
規格外の魔力を誇り、精霊すら従える最強の令嬢...その唯一にして最大の弱点が今露わになっていた。
「な……なっ、汝、なにを……! ぶ、無礼、であろう……!」
(ど、どうしよう、顔、熱い……! 心臓、ばくばくいってる……!)
「……ん? どうした、顔が赤いぞ。熱でもあるのか」
きょとん、とするゴルドー。無骨なこの男は、自分がクラウディアの調子を完全に狂わせていることに、まるで気づいていない。
そこへ——
「あっはははは! ちょっと、なにこれ! クラウ、めっちゃ照れてるじゃん!」
いつの間に来ていたのか、ラナが腹を抱えて笑い出した。その隣では、アーシェも珍しく口元を緩めている。
「ふむ。あの泰然自若のクラウが、これほど狼狽えるとは。……存外、初心なのだな」
「ち、違うの! これは、その……! 断じて、そういうのでは……!」
(もう、やめてよぉ……! みんなで、からかってぇ……!)
真っ赤になって、あわあわと否定するクラウディア。その姿は、太古の精霊を従える偉大な魔導師でも、街を救った聖女でもない。ただのうら若き乙女だった。
ひとしきり笑って、ラナが目尻の涙を拭う。
「いやー、クラウにも、可愛いとこあるんだねぇ。ウケるー」
「うぐぐ……」
言葉もなく、俯くクラウディアのその様子に、ゴルドーもようやく事態を察したのかばつが悪そうに頭をかいた。
「わ、悪い。……嫌だったか」
「……嫌ではない」
ぽつり、と。クラウディアが、小さく答えた。
「嫌では、ないのだ。……ただ、その。慣れておらぬ、だけで」
(嫌なわけ、ないよ。……ゴルドーの手、あったかくて。ちょっと、びっくりしただけ)
その、素直な言葉に。ゴルドーは、ふ、と表情を和らげた。
◇
やがて、笑いのさざめきが落ち着いた頃。
それまで黙って見ていたアーシェラが、すっと前へ進み出た。
その面持ちは、先ほどまでのやわらかなものではない。武人の、引き締まった真剣なものへと変わっていた。
「クラウディア」
「……む? どうした、アーシェ」
アーシェは、背負っていた大弓を、そっと、両手で捧げ持った。そして、クラウディアの前で膝をついた。
「私は、ずっと考えていた。この地に来て、お前の在り方を見て……何を思うべきかを」
静かな、けれど揺るがぬ声だった。
「かつて私は、人間に故郷を焼かれ同胞を奪われた。人間などもう、二度と信じぬとそう心に決めていた。……だが、お前は違った」
アーシェラの切れ長の目がまっすぐにクラウディアを見上げる。
「お前は、我々を魔物としてではなく人として扱ってくれた。飢えた者に手を差し伸べ、暴走した精霊すら抱きしめて救った。……お前が守ろうとしているのは、種族でも血でもなくただ、目の前の命だったのだ」
彼女は、捧げ持った弓を、さらに、深く掲げた。
「クラウ!私は、この弓に誓う。エルフの戦士アーシェラの名においてお前が守るものを、共に守らせてくれ。お前の征く道のその先までもっ!」
それは、忠誠の誓いだった。だが、へりくだる臣従ではなく共に並び立ち同じ理想を守る戦士としての対等な誓約。
その、まっすぐな想いに。
クラウディアは...ふ、と。厨二の仮面を脱いだ。
「……うん」
笑って...頷いた。
「ありがとう、アーシェ。……一緒に、がんばろっ」
飾りのない心からの――本心だった。
それは、ただ友に応えた素直な笑顔。アーシェラが誓いを捧げてくれたのは、崇める主にではなく共に歩む友としてだとクラウディアにはちゃんと伝わっていたのだ。
「……ああ。任せておけ」
アーシェも、その意を汲んで頷き返す。
と——
「ちょっとちょっとー! なになに、二人だけで、いい話してんの!?」
そこへ、ラナがずいっと割り込んできた。
「あたしも混ぜてよー! 三人で、ずっと一緒だかんね! アルブローゼンも、みんなのことも、三人で守るの! いいでしょ、アーシェ! クラウ!」
その、屈託のない言葉に。
アーシェラが、ふっと笑った。
「……ふ。では、三人で...だな」
「うんっ! ……あ、ノルンも入れて、四人か!」
「あははっ、そうだね」
夕日の中で、笑い合う女たち。
厨二の令嬢と、ギャルの猫人と、武人のエルフ。そして、時を統べる幼い精霊。凸凹で、賑やかなこの絆こそがこの地を守る何よりの力になっていくのだろう。
ただ、実りの畑を照らす夕日が、彼女たちを見守っていた。




