第二話 辺境にて、我は猫と出会う
馬車に揺られること、五日。
がたごとと骨の軋むような道行きの果てに、我はついに辺境の地へと辿り着いた。
「ここが、ヴァルンシュタイン領の最果て……」
窓の外に広がるのは、王都とはまるで違う景色だった。石造りの立派な街並み——ではなく土壁と木材で組まれた、素朴で、しかしどこか活気のある町。その向こうには深い森と、稜線の霞む山々が連なっている。
(空気が、おいしい……!)
思わず、我は馬車の窓を開け放って深く息を吸い込んだ。王都のあの、香水と陰謀の入り混じった淀んだ空気とは大違いだ。
「ふ……辺境とは、まさに我が魂の還るべき原初の地よ」
(すごい、自然がいっぱい! なんかもう、それだけで来てよかったかも)
御者が、辺境の代官館へと馬車を進める。
代官館は、王都の貴族屋敷に比べればずいぶんと質素だった。だが、出迎えた代官は——見るからに俗物だった。
「これはこれは! クラウディア様! ようこそこんな田舎へ! いやはや、公爵家のご令嬢をお迎えできるとは光栄の極み!」
でっぷりと肥えた中年の男が、揉み手をせんばかりに駆け寄ってくる。名をボルクといった。笑顔は貼り付けたようで、目の奥がまるで笑っていなかった。
(うわぁ……こういう人、王都にもいっぱいいた……)
我は闇の眷属の面を崩さぬまま、鷹揚に頷いてみせた。
「大儀である。しばし、この地に厄介になろう」
「ええ、ええ! なんなりとお申し付けを! ……ああ、そうそう。ひとつだけご忠告を」
ボルクが、声を潜めた。まるで大事な秘密でも打ち明けるように。
「この町の外れには、魔物どもが住み着いておりまして...汚らしいのが、まぁうようよと。くれぐれもお近づきになりませぬよう。なにせ、あいつらは人じゃないので」
——人じゃないので。
あまりにも、なんでもないことのように。天気の話でもするように、その男は言った。
我の中で、スゥッ、と何かが冷えた。
「……ほう」
「ええ。言葉を話すだけの魔獣ですよ。臭いし、卑しいし。まあ、我々のように魔法の使える高貴な人間とは、住む世界が違うというわけで。ははは!」
(……なにそれ)
我は、笑わなかった。
(こんな辺境でもそうなの?見た目が違うから? 魔法が違うから? それだけで、人じゃないって……そんなの、おかしいよ)
胸の奥が、ちりちりと焦げるようだった。だが、ここで代官に噛みついたところで詮無きこと。この手の輩に何を言っても、通じぬのは王都で嫌というほど学んだ。
だから我は、ただ静かに——宣言した。
「ボルク卿。我が住まう場所は、我が自身で定める」
「は? い、いえ、お部屋はこの館に最上のものを——」
「無用。闇に選ばれし我が骸を横たえるは、我が選びし地でなくてはならぬ」
(自分の住むところは自分で決めるってこと。この人の世話にはなりたくない)
きょとん、とするボルクを置き去りに、我は踵を返した。
向かう先は—町の、外れ。
魔物たちが住まうというその場所へ我は足を運んだ。
◇
町の外周は.....なるほど...代官の言う通り「立派」ではなかった。
だが、汚らしくもなかった。
木で組んだ簡素な家々、それでも軒先はきちんと掃き清められ、干された洗濯物が風に揺れていた。畑を耕す者、薪を割る者、井戸端で語らう者——そこには確かに、人々の「営み」がたしかにあった。
ただ、その姿かたちが、人間とは少し違うだけで。
牙を持つ者、角を生やした者、獣の耳と尾を持つ者。彼らは我の姿——上等な旅装をまとった、明らかに「貴族」の娘である我を視認すると、さっと顔を強張らせ目を伏せた。
(あ……みんな、怖がってる)
それもそうか...と我でも思う。貴族が、こんなところに来る理由なんて、碌なものではないのだから、加害か搾取か...彼らにとって「人間の貴族」とは、そういう存在なのだ。
どう声をかけたものか。我が、柄にもなく逡巡した——その時だった。
「あれ〜? なになに、お貴族様がこんなとこに何の用〜?」
からり、と。
あっけらかんとした声が、正面から飛んできた。
顔を上げれば、そこに一人の少女が立っておった。
我と、同じくらいの年頃だろうか。頭の上でぴょこんと立った、猫の耳。腰のあたりで、ゆらり、ゆらりと揺れる尻尾。ぱっちりとした瞳に、人懐っこい笑み。獣人の娘だ。
彼女だけは、他の魔物たちのように目を伏せなかった。それどころか、興味津々といった様子で、ずいずいと我に近づいてくる。
「ってか、めっちゃ綺麗な服〜! うわ、生地やばくない? つやっつや!」
「な……」
ぐいと顔を寄せられ、我は思わずたじろいだ。
(ち、近い!? え、この子、全然怖がってない!?)
「ねね、お貴族様でしょ? なんでこんなとこ来たわけ? 迷子〜? それとも〜」
にっ、と少女が悪戯っぽく笑う。
「あたしらを、いじめにきた系?」
その言葉は軽い。軽いのに、奥にちくりと棘があった。試すような光が、その瞳の底にあった。
——ああ。この子は、軽いふりをして、ちゃんと間合いを測っておるのだ。
我は、息を整えた。そして、腕を組み、できる限り厳かに告げた。
「案ずるな、猫の眷属よ。我が名はクラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン。闇に選ばれし者にして——この地に、新たなる理を築きに来た者なり」
きょとん、と少女が目を丸くした。
「…………は?」
「我は汝らを虐げに来たのではない。むしろ逆よ。我はこの地に、汝らと我が共に生きる王国を築く。それが我が使命——我が、宿命なのだ」
(あなたたちをいじめたりしない! むしろ仲良くしたい! 一緒に暮らせる街を作りたいの!)
しん、と。
少女が、きょとんとしたまま固まっておる。
やがて。
「……ぷっ。あはははは! なにそれ! 何言ってんの、あんた!」
猫の少女は、腹を抱えて笑い出した。ぴん、と立った尻尾が、ぶんぶん揺れておる。
「やば! お貴族様なのに、めーっちゃ変なやつじゃん! ウケる!」
(笑われた……! で、でも、怖がられるよりは……いい、のかな?)
ひとしきり笑って、少女は目尻に浮かんだ涙を指で拭った。それから今度は少しだけ、真面目な顔になる。
「…うん…あんた、しゃべり方は変だけどぉ悪いやつの目は、してないっぽいね!」
「うむ」
「あたし、ラナ。この辺のこと、なんでも聞いてよ! お貴族様……じゃ長いな。えっと、クラウディア? も長いし...くらうでぃあ……クラウ! クラウでいい?」
「うむ、好きに呼ぶがよ——」
「よろしくね、クラウ!」
ぐいと差し出された、小さな手。
その屈託のなさに、我は一瞬、言葉を失って——そして、そっとその手を握り返した。
「……うむ。よろしく頼む、ラナよ」
(初めて……愛称で呼んでもらえた!)
温かい手だった。
だが——その温もりに、我がほんの少し気を緩めた....その時。
「——ラナ。離れろ」
低い。
腹の底に響くような、重い声がした。
はっと顔を上げる。
いつの間にか、そこに——巨大な影が、立っておった。
見上げるほどの、偉丈夫。丸太のような腕。緑がかった肌に口元からのぞく鋭い牙。
オークだ。
その双眸が、鋭くまっすぐに我を射抜いておった。
敵意。
いや——それ以上の警戒。
「貴族が、何の用だ」
地を這うような誰何に、あたりの空気が、ぴんと張り詰めた。
(う……っわ、大きい……! すっごい……!)
我は、ごくりと唾を飲み込んだ。だが——ここで退くわけにはいかぬ。
我は厨二の面を、ぐっと張り直した。
「……ふ。よくぞ問うた」
見上げるほどの巨躯を、まっすぐに見返す。
「我が名はクラウディア。この地に、汝らと共に生きる理を築きに来た者なり」
オークの——その男の眉が、ぴくりと動いていた。




