第一話 闇に選ばれし我、婚約を破棄される
シャンデリアの光が、水晶の脚付杯に躍っておった。
夜会...ヘルミオンシュタイン王城の大広間。
着飾った貴族どもが、蜜に群がる蟲のごとくさざめいておる。管弦の音、笑い声、香水の匂い——すべてが我には遠い。我はこの華やかなる宴の隅で、ただ一人壁を背にして佇んでいた。
(別に、ぼっちじゃない!断じて違います!)
我が名はクラウディア・フォン・ヴァルンシュタイン。ヴァルンシュタイン公爵の娘にして、闇に魅入られし者。
そう——我が身に宿るは、忌み嫌われる闇の魔力ただひとつ。魔物どもが操るとされる、闇に愛されし属性。
(本当は全属性使えるし、回復もつかえちゃいます!でもそれは言わないほうがいいよね?)
コツ、コツ、と靴音が近づいてくる。
顔を上げれば、そこに我が婚約者にして第二王子ジークフリート・ヘルミオンシュタインが立っておった。金の巻き毛、仕立ての良い夜会服...顔だけは良い...顔だけは。
その隣にぴたりと寄り添うは、モルゲンシュテルン侯爵が娘エルネリーナ様明けの明星の名を持つ、たおやかな美姫。彼女は何やら顔色を失くし、ジークの袖を控えめに引いていた。まるで「やめて」とでも言うように。
「クラウディア!」
ジークが我を指差し、高らかに叫んだ。
「僕様は、貴様との婚約を破棄する!」
しん、と大広間が静まった。
そして次の瞬間、ざわり、と貴族どもがどよめいた。
我は静かに目を閉じ、ゆるりと腕を組んだ。
「……ふ。ついに来たか、断罪の刻」
「な、何だその態度は!」
「闇に選ばれし我が運命、貴様ごときに違えられるものではない」
(どういうこと? なんで急に!?)
「破棄の理由を述べよう!」
まるで自分が舞台の主役だとでも思っているように、ジークが芝居がかった仕草で手を広げた。
「クラウディア...貴様はエルネリーナに、数々の嫌がらせを働いたであろう! ドレスを汚し、階段で突き飛ばし、心無い言葉で彼女を傷つけた!」
(やってない!会話すらほぼしたことないんですけど!?)
我は片眉を上げた。エルネリーナがびくりと肩を震わせ、いよいよ蒼白になっていく。
その瞳が「違うのです、わたくしは何も」と叫んでいるのが、我には見えた。
哀れな...この娘も、被害者か。
「それだけではない!」
横合いから、するりと声が滑り込んできた。グラーフェン侯爵が令息、アルヴィン様。頭の回る男だが、回りすぎて悪知恵にしか使わぬ類だ。
「クラウディア嬢は常日頃より魔物に情けをかけ、あろうことか『種族に貴賤なし』などと口にされる。これは我が国の秩序への叛意。王子殿下が婚約を憂慮されるのも当然のこと」
もっともらしく言いおって。理屈で塗り固めれば正義になるとでも?
「そうだそうだ!」
すかさず追従したのは、ベルガー伯爵が令息ケヴィン、中身のない相槌だけは一級品だ。
「まったくもってその通り! さすがアルヴィン殿、言葉に理がある! 我々一同、殿下とエルネリーナ嬢をお守りせねば!」
(お前は今、何か一つでも自分の言葉を発したか?)
さらに、魔術師見習いのセドリック・フォン・ツァウバーが、これ見よがしに指先へ火を灯した。ぼ、と小さな焔が揺れる。
「闇しか使えぬ令嬢に、我ら光ある者の理は解るまい。属性とは人格の証。闇に染まりし者が魔物に肩入れするのも、血が呼ぶ道理よ」
火の玉ひとつで得意げになりおって。しかもそれ、初級魔法だが。
(わたしなら瞬きの間に、この広間を灰も残さず更地にできるけどね!)
「聞いたかクラウディア!」
ジークが勝ち誇る。エルネリーナを背に庇いながら——いや、庇うふりをしながら、その実、彼女の恐怖を自分への好意と履き違えて悦に入っておる。度し難い阿呆だ。
「エルネリーナはこんなにも怯えている! すべて貴様のせいだ!」
エルネリーナが必死に首を振る。違う、と。だがジークにはそれすら「健気」と映るらしい。
我はふ、と息を吐いた。
「よかろう」
「な……」
「その破棄受け入れてやろう。闇に選ばれし我が、光を騙る虚飾の宴に留まる道理もなし」(あんなクソ男こっちから願い下げ!べーっだ)
ぴき、とジークのこめかみに青筋が浮かんだ。
我の態度が、余程に癪に障ったらしい。この手の男は、相手が傷ついて泣き縋る画しか想像しておらぬ。飄々と受け流されることに、耐性がない。
「……その、澄ました顔が気に入らんのだ、貴様は!」
ジークの手が伸びた。
がし、と我が髪を鷲掴みにする。
「っ——」
ぐいと引かれ、そのまま床へ突き飛ばされた。
だん、と受け身も取れず床に転がる。結い上げた髪が乱れ視界がぶれる。頭皮が焼けるように痛んだ。
「これが貴様への——」
「痛ゥ……」
(いった……! なんでわたしが、こんな……!)
一瞬...ほんの一瞬だけ、我の仮面の下から素の声が漏れた。
誰にも聞こえぬ、我だけの叫び。
だが——
「——そこまでにしていただこうか」
凛と響く声が、大広間を裂いた。
人垣が割れる。そこを大股で進んでくるは、我が父——アルベラート・フォン・ヴァルンシュタイン公爵。夜会服の上からでも解る鍛えられた体躯、眉間に刻まれた皺。その後ろには、母ローゼリアが扇を手に静かに続いておった。
だが、父が我のもとへ辿り着くより早く。
しゃきん、と抜き放たれた白刃があった。
ロルフ・フォン・ダンハウザー。騎士を気取る脳筋の忠犬が、剣を我へ向けておったのだ。
「王子殿下に無礼な口を利いた上、その反抗的な態度! 令嬢とて容赦は——」
言い終わる前だった。
「貴様」
地の底から響くような声。
父の目が、据わっておった。
「公爵家の令嬢と知って、剣を向けておるのか?」
ずん、と空気が重くなる。ロルフの額に、つ、と汗が伝った。脳筋なりに、格の違いを本能で悟ったのだろう。だが、退けなかった。剣を下ろす機を逸したのだ。
「こ、これは王家の——」
「問答は要らぬ」
ぶわ、と父が踏み込んだ。
でかい図体が、掻き消えたかと思うほどの速さ。
「なっ——」
ロルフが反応する暇もなかった。
ごぉ——ん!!
父の握り拳が、ロルフの頬にめり込んだ。
鈍い音とともに、鎧を着た大男の体が宙を舞う。二回転はした。そのままシャンデリアの下を吹っ飛び、貴賓用の卓へ背中から突っ込んだ。銀器と料理が盛大に宙を舞い、皿の割れる音が連鎖する。
がしゃぁあん!!
しん、と静まり返る大広間。
(……父上!強い!!)
知っておったが。知っておったが、改めて見ると凄まじい。あれが素手か。
「クラウディア。立てるか」
父が我に手を差し伸べた。その手を取り、我は身を起こす。乱れた髪のまま、努めて厨二の面を保った。
「案ずるな父上。この程度の凶刃、闇の帳が我を守護する」
(正直めっちゃ痛かった。来てくれてありがとう)
父は微かに口の端を上げた。我の言葉の裏を、この人はいつも解ってくれる。
「殿下」
父が向き直る。ジークが、びく、と後ずさった。
「我が娘に、ずいぶんな仕打ちを——」
「——静まれ、ヴァルンシュタイン公」
新たな声が、玉座の方より降ってきた。
王だ。
ヘルミオンシュタイン国王その人が、悠然と歩み出てきた。ざっと貴族どもが一斉に頭を垂れる。
「息子の婚約破棄、事の次第は聞き及んでおる。クラウディア嬢の日頃の言動——魔物への肩入れ、秩序を乱す物言い。いずれも王家の名に泥を塗るもの。此度の破棄、正当と認めよう」
ざわ、と周囲が沸いた。それ見たことか、という空気。
「されど公爵家との縁を、無下にするつもりもない」
王が、勿体ぶった笑みを浮かべた。
「グスタフ大公が、ちょうど新たな妃を望んでおられてな。クラウディア嬢を、大公家へ輿入れさせてはどうか。王家と公爵家、双方の顔が立つ良縁であろう?」
——良縁。
我は内心で嗤った。グスタフ大公。齢五十を超え、側室をすでに五人囲う好色の老人。その悪評は、社交界の隅に潜む我の耳にすら届いておる。六人目の側室。それを「良縁」と。
父の背が、ぴくりと強張ったのが解った。
表情は、崩さぬ。だが我には解る。父上は今、腸が煮えくり返っておる。
周囲の貴族どもは、無責任にさざめく。
「まあ、大公家へ……」
「破棄された身では、それも致し方あるまい」
「むしろ寛大なご配慮。ありがたく思うべきでしょうな」
「お可哀想に……でも当然ですわね」
好き放題に。
その時だった。
ぱちん!!
音が、大広間の喧騒を断ち切った。
母ローゼリアが、扇を打ち鳴らしたのだ。ただ扇を閉じただけの音が、なぜか広間の隅々まで、びぃんと響き渡った。
しんと、再び静寂が満ちる。
「——発言の御無礼、平にご容赦を、国王陛下」
母が、優雅に礼をとった。声は絹のごとく柔らかい。柔らかいのに、逆らえぬ何かがあった。
「わたくしども、返す言葉もございませぬ。我が娘は、王子殿下に婚約を破棄されるほどの、未熟者。親の育て方が至らなんだのでしょう」
深く、頭を垂れる。
「されば、我が娘は——ヴァルンシュタインが辺境の領にて、しばし蟄居させまする。王家の御前を騒がせた不始末、それを以て償いとさせていただきとう存じます」
見事な。
我は舌を巻いた。これは——退路を「自分から」作っておるのだ。大公への輿入れを、正面から断れば角が立つ。ゆえに「娘は罪人ゆえ嫁がせるに値せぬ、蟄居させる」と、へりくだる形を装って、輿入れの話ごと封じておる。
王家の体面を立てながら。我を、あの好色老人から救い出しながら。
王が、む、と眉を寄せた。だが公爵夫人がここまで殊勝に「罪」と「蟄居」を口にした以上、無理に嫁がせよとは言えぬ。言えば、王家が罪人を大公に押し付けた形になる。
「……よかろう。公爵家の分別、しかと見届けた」
王は鷹揚に頷くしかなかった。
「では、これにて。御前を失礼いたします」
母が身を翻す。父が我の肩を抱き、歩き出す。
その、退出の途上。
母の歩みが、ほんの一瞬だけ止まった。
床に伸びたまま呻いておるロルフ。その顔の、ちょうど真上で。
——ぐりっ。
母のヒールが、ロルフの顔面を踏みつけた。
躊躇なく。体重を、乗せて。
「あら、ごめんあそばせ。ゴミが落ちておりましたので」
にっこりと微笑んで、母はそのまま優雅に歩み去った。
(母上……こわい)
我は心の底から、そう思った。
馬車の車輪が、石畳を規則正しく叩いておった。
がらがら、ごとごと。
王城を後にした公爵家の馬車の中。我は乱れた髪もそのままに、向かいに座る両親と揺られておった。
車内に、しばし言葉はなかった。
先に沈黙を破ったのは、父だった。
「……すまなかった、クラウディア」
低い声。窓の外へ目をやったまま、父は続けた。
「もっと早く駆けつけてやれれば、お前に痛い思いはさせなんだ」
「案ずるな父上」
我は胸の前で腕を組み、努めて厳かに答えた。
「あの程度の痛み、闇を統べる我にとっては、そよ風のごとし」
(めちゃくちゃ痛かったけど父上がたすけてくれたからどうってことなかったよ!)
「……ふ」
父が、小さく笑った。それから、ようやく我の方へ顔を向けた。その目に滲むのは、怒りの名残と——それ以上の、労わり。
「辺境行きの件だが」
父の声が、少し改まった。
「あれは、母さんの機転だ。だが……結果として、お前を王都から遠ざけることになる。友も、慣れた暮らしも、すべて置いて。……本当に、すまぬと思っている」
我は、ふと母を見た。
母は、扇を膝に置き、静かに微笑んでおった。あの夜会での氷のごとき凄みは、もうどこにもない。ただ、娘を案じる母の顔があった。
「クラウディア」
母が、口を開いた。
「あなたを蟄居などと申したこと、許してちょうだいね。あれは方便。あの場を収めるための」
「解っております、母上」
我は頷いた。
「大公への輿入れを、角を立てずに封じるための一手。見事な采配でありました」
母が、ほんの少し目を見開いた。それから、ふふ、と柔らかく笑う。
「あなたには、敵わないわね。……そう。あんな好色な老人のところへ、大事な娘をやれるものですか」
「そうだな。もし強制されていれば今日で王国最後の日になっていた」
きっぱりと。そう言い切った母の横顔と父の物騒な発言に我はそっと目を伏せた。
——ああ。
この人たちは、ずっと。
魔物に肩入れし、種族に貴賤なしなどと世迷言を口走り、闇の魔力しか使えぬと蔑まれる、こんな厄介な娘を。
一度たりとも、恥じなかった。
見限らなかった。
(……ありがとう。父上、母上)
胸の奥が、じんと熱くなる。だが、それを言葉にするのは——どうにも、面映ゆい。
ゆえに我は、窓の外へ視線を投げ、ことさら厳かに宣言した。
「案ずるな。辺境とは、すなわち世界の果て。闇に選ばれし我が、真に力を振るうべき地よ」
腕を組み、口の端を吊り上げる。
「王都の虚飾など、我には元より窮屈であった。むしろ望むところ。我はかの地にて、我が理想の王国を築き上げてみせよう」
(新しい場所、ちょっとだけ楽しみかも。誰にも気兼ねせず、好きに生きたいね!)
「……まあ」
母が口元に手を当てて笑った。
「頼もしいこと」
父も、肩を揺らした。
「そうか。ならば存分にやってこい。……ヴァルンシュタインの名に、恥じぬようにな」
がらがらと、馬車は夜の街道を征く。
窓の外、王都の灯りが、少しずつ遠ざかっていく。
我は知らなかった。
この時はまだ——辺境で我を待つ者たちのことも。そこで我が本当に振るうことになる力のことも。そして、我が厨二の仮面の下に隠した「本当の顔」を、いつか彼らの前で晒すことになるなど、露ほども。
ただ一つ、確かなことがあった。
我の——クラウディア・フォン・ヴァルンシュタインの、真の物語は。
この夜、ここから始まったのだ。




