第6話 奨学金制度を作ってしまいました
学院予算の見直しは,思った以上に大きな問題を浮かび上がらせた.
王立学院は,王国中の優秀な若者が集まる場所である.
しかし実際には,十分な家庭教師を雇えた上級貴族の子女が有利だった.地方の下級貴族や裕福でない家の子女は,入学できても教材費や寮費に苦しむ.成績以前に,学び続けるための条件が違いすぎるのだ.
ルシアンは会議で言った.
「優秀な学生が,家の財政事情で学べないのは国の損失だ。奨学金制度を作りたい」
その言葉に,役人たちは一斉に頷いた.
王太子が熱心に改革を語る姿は,彼らにとって喜ばしいものだった.
ただし,ヴィオレッタは喜ばなかった.
彼女は配られた制度案を読み,三秒で言った.
「穴だらけですわ」
会議室の空気が止まった.
ルシアンは肩を落とす.
「やはり?」
「やはり,ではありません。なぜ自覚がありながら提出しましたの」
「まず形にしようと思って」
「形だけの制度ほど危険なものはありません」
ヴィオレッタは資料を机に置いた.
「この申請条件では,貴族の縁故で枠が埋まります。審査員の選定も甘い。返済条件も曖昧。これでは悪用してくださいと言っているようなものです」
役人の一人が反論した.
「しかし,身元を確認しなければ不正申請が」
「身元確認は必要です。けれど,最初の審査で家名を見せる必要はありません」
「家名を伏せるのですか」
「一次審査では,成績,推薦文,提出課題のみを見るべきです。家名は二次審査で確認すればよろしい。最初から家柄を見れば,無意識に評価が歪みます」
グレアム宰相が顎髭を撫でた.
「興味深いですな」
ヴィオレッタは続けた.
「また,学費だけを支給しても不十分です。地方出身者には寮費,教材費,制服代,帰省費まで負担になります。特に教材費を軽視すれば,入学後に差が広がるだけです」
ルシアンは真剣に聞いていた.
「では,支援項目を分けるべきか」
「ええ。全員に同じ金額を渡すのではなく,必要に応じて分類すべきです。学費支援,生活支援,教材支援,特別研究支援。目的を分けなければ,予算の使い道が曖昧になります」
「審査員は?」
「学院,王宮,地方代表から分けること。単一派閥に握らせてはなりません」
「成果報告は必要だろうか」
「当然です。ただし,成績だけで評価してはいけません。研究,地域貢献,後輩指導,教育活動も見るべきです」
「教育活動?」
ルシアンが尋ねた.
ヴィオレッタは一瞬だけ,エミリアの姿を思い出した.
教科書のノートをきっかけに,他の学生へ学び方を教えていた姿.お茶会で,地方の子どもたちに読み書きを教えたいと語った声.
「学ぶ力だけでは足りません。学びを広げる力も,国には必要ですわ」
会議室は静まり返った.
それは,悪役令嬢の嫌味には聞こえなかった.
ルシアンは静かに頷いた.
「分かった。制度案を作り直す」
「作り直すのではなく,作り直させます。殿下も逃げずに見なさい」
「もちろん」
「もちろん,という返事は簡単です。実務は面倒ですわよ」
「君がそう言うなら,本当に面倒なんだろう」
「ええ,とても」
その日から,奨学金制度の再設計が始まった.
ヴィオレッタは自分では関わらないと言いながら,毎日のように資料へ赤入れをした.
「この文言では抜け道になります」
「審査記録の保管期間が短いです」
「地方代表の選定基準が曖昧です」
「受給者への報告義務が重すぎます。支援するはずの制度で潰してどうしますの」
役人たちは最初,彼女を恐れていた.
やがて,恐れながらも頼るようになった.
「ローゼンベルク嬢,こちらの条文は」
「読みづらいです。書き直し」
「こちらの申請書は」
「項目が多すぎます。困っている人ほど途中で諦めますわ」
「こちらの不正防止策は」
「悪用する側の気持ちになって考えなさい。善良な人間だけを想定した制度は,悪人の餌です」
ルシアンはその言葉を書き留めた.
「なるほど」
「何を感心していますの」
「君は悪人の思考に詳しい」
「悪役令嬢ですもの」
「助かる」
「感謝しないでください」
数週間後,奨学金制度は正式に発表された.
王立学院初の本格的な支援制度である.
一次審査では家名を伏せ,成績と提出課題を評価する.二次審査で身元と経済状況を確認し,必要な支援項目を決める.受給後は年に一度,成果報告を行う.ただし,成績だけでなく,地域貢献や学習支援活動も評価される.
制度の第一号候補者の一人に,エミリア・ベルの名があった.
その知らせを聞いたエミリアは,放課後,ヴィオレッタのもとへ駆けてきた.
「ヴィオレッタ様!」
「廊下を走らない」
「すみません。でも,私,奨学金の候補に選ばれました!」
「知っています」
「ありがとうございます」
「わたくしに礼を言う必要はありません。制度設計上,あなたの成績と活動が条件に合っただけです」
「でも,ヴィオレッタ様がいなければ,この制度はできませんでした」
ヴィオレッタは顔を背けた.
「ヒロインを学院に残してしまうなんて,悪役令嬢として最大の失態ですわ」
「ヒロイン?」
「こちらの話です」
その日の夕方,エミリアはヴィオレッタに一冊の薄いノートを見せた.
「何ですの,これは」
「私の計画です」
表紙には,拙い字でこう書かれていた.
『地方の子どもたちのための小さな学校案』
ヴィオレッタはページをめくった.
内容は,まだ粗かった.
村の空き家を使う.読み書きと計算を教える.年長の子が年少の子を見る.収穫期には授業日を調整する.教師が足りない場合は,学院生が休暇中に手伝う.
穴は多い.予算も甘い.人材確保も不十分.
けれど,そこには確かに,エミリアが見てきた現実があった.
「無謀ですわね」
エミリアの肩が落ちる.
「やはり,そうですか」
「ええ。かなり無謀です」
ヴィオレッタはノートを閉じた.
「だから,計画書にしなさい」
エミリアは顔を上げた.
「見てくださるのですか」
「穴だらけなら破ります」
「はい!」
「嬉しそうにしないでくださいませ」
エミリアはノートを抱きしめた.
「私,頑張ります」
「頑張るだけでは足りません。休むことも計画に入れなさい」
「休むことも?」
「倒れる人間に改革など任せられません」
その言葉は,後に大きな意味を持つことになる.
なぜなら,ヴィオレッタ自身が次の悪事で,その大切さを思い知ることになるからだ.
その夜,ヴィオレッタは日記に書いた.
「悪事,また失敗。奨学金制度を作ってしまった。ヒロインは学院に残留。王太子は少し真面目になった。非常にまずい」
そして少し間を空けて,もう一行書き足した.
「ただし,制度の出来は悪くない」




