第10話 悪役令嬢,断罪される側ではなく断罪する側になる
学院記念式典の日,大広間には朝から緊張が漂っていた.
王族,貴族,教師,学生.王立学院に関わる主だった者たちが一堂に会する年に一度の式典である.
表向きは,優秀な学生の表彰と学院の成果報告の場だった.
だが,ヴィオレッタは知っていた.
ダリウス侯爵が,この場を利用するつもりであることを.
エミリアは少し緊張した様子で,学生席に座っていた.
彼女は試験で首席を取ったため,奨学金候補者の代表として短い挨拶をする予定だった.
ヴィオレッタは開式前,彼女の前に立った.
「背筋」
「はい」
エミリアはすぐに背筋を伸ばした.
「声は前へ」
「はい」
「手元を見るのは三回まで」
「三回まで」
「噛んでも止まらない」
「止まりません」
「よろしい」
エミリアは小さく笑った.
「ヴィオレッタ様」
「何ですの」
「怖いです」
ヴィオレッタは一瞬だけ黙った.
「怖くても立ちなさい」
「はい」
「逃げなければ,上出来です」
エミリアは深く頷いた.
一方,ルシアンも王族席にいた.
彼はヴィオレッタのそばへ来ると,小声で言った.
「侯爵は動くと思うか」
「動きますわ」
「証拠は十分?」
「十分すぎて,資料箱が重いです」
「頼もしいね」
「頼らないでくださいませ」
「でも,今日は頼る」
ルシアンの声は真剣だった.
ヴィオレッタは彼を見た.以前なら,彼はこういう場面で不安を隠すように笑っていただろう.今は違う.不安を認めた上で,逃げずに立っている.
「殿下」
「何だい」
「王太子らしく,最後まで座っていなさい」
「それは簡単そうで難しい命令だ」
「王族の仕事の半分は,難しい顔で座っていることですわ」
ルシアンは少し笑った.
式典は予定どおり始まった.
学院長の挨拶,教師代表の報告,優秀学生の表彰.
エミリアは壇上で短い挨拶をした.声は少し震えていたが,最後まで止まらなかった.
「学ぶ機会をいただいた者として,私は,学べない人たちのことを忘れずにいたいです」
その言葉に,一部の学生が拍手した.
ヴィオレッタは,誰にも見えない角度で小さく頷いた.
式典の中盤,ダリウス侯爵が立ち上がった.
「発言をお許しいただきたい」
大広間が静まり返る.
ルシアンは落ち着いた声で言った.
「侯爵,何事です」
ダリウスは重々しく一礼した.
「王太子殿下,そしてご列席の皆様。近頃,王太子殿下の周囲で不穏な動きがございます」
ざわめきが広がった.
「公爵令嬢ヴィオレッタ・ローゼンベルクが,男爵令嬢エミリア・ベルを利用して殿下へ取り入り,学院制度と予算改革を私物化している疑いです」
エミリアの顔が青ざめた.
ヴィオレッタは静かに立っていた.
「奨学金制度の第一号候補が,彼女と親しい男爵令嬢であること。正式な役職もない公爵令嬢が,学院予算や地方水利調査に口を出していること。これは,身分秩序と王宮運営を乱す危険な行為ではありませんか」
会場にざわめきが広がる.
悪役令嬢が断罪される場面.
多くの者が,そう思った.
ヴィオレッタ自身も,幼いころから何度も想像した場面だった.
大広間.
人々の視線.
罪を告げる声.
けれど,想像と一つだけ違っていた.
彼女は,何も恐れていなかった.
ヴィオレッタはゆっくりと扇を開いた.
「終わりましたか?」
ダリウスは目を細めた.
「何?」
「では,次はわたくしの番ですわ」
セシリアが会場の端から資料箱を運んできた.重い箱だった.中には,ヴィオレッタが集めた証拠が整然と収められている.
ヴィオレッタは一枚目の資料を取り出した.
「まず,エミリア・ベルの奨学金選考について」
彼女の声は,広間の隅までよく通った.
「一次審査では家名を伏せ,成績,推薦文,提出課題のみで評価しました。こちらが審査記録です。エミリア・ベルは,全候補者中最高点です」
学院長が立ち上がった.
「事実です。審査時点で,彼女の家名は伏せられていました」
教師代表も頷いた.
「提出課題の質も高く,首席の成績とも矛盾しません」
ヴィオレッタはエミリアを見た.
エミリアは震えていた.
だが,立ち上がった.
「私は,ヴィオレッタ様に口利きをお願いしたことはありません」
声は小さい.
けれど,逃げなかった.
「奨学金制度のおかげで,学ぶ機会をいただきました。その機会に恥じないよう,努力しただけです」
ヴィオレッタは,わずかに口元を緩めた.
よろしい.
次に,彼女はダリウスを見た.
「では,制度改革を私物化しているのは誰か,確認いたしましょう」
資料が配られる.
地方水利組合の会計記録.
修繕費の見積もりと実際の工事内容の差.
学院納入業者の名簿と,侯爵家との血縁関係.
奨学金候補者の家へ送られた圧力の手紙.
会場の空気が変わった.
ダリウスの顔色が悪くなる.
「これは,捏造だ」
「そうおっしゃると思いましたわ」
ヴィオレッタは微笑んだ.
「ですので,証人も用意しました」
会場の後方から,一人の男が進み出た.
侯爵家の元会計係だった.
彼は震えながらも,水利組合の帳簿改ざんについて証言した.
次に,学院への納入業者が証言した.侯爵家の縁戚業者が,競争入札を形だけにしていたこと.
さらに,奨学金候補者の保護者が証言した.候補を辞退するよう,遠回しに圧力を受けたこと.
一つずつ,逃げ道が塞がれていく.
ダリウスは叫んだ.
「小娘の策に惑わされるな! この女は王太子を操っている!」
その瞬間,ルシアンが立ち上がった.
広間が静まる.
彼は王太子として,まっすぐダリウスを見た.
「侯爵。制度改革は,私が責任を持って進めている」
その声は,震えていなかった.
「ローゼンベルク嬢の指摘は厳しい。だが,私は自分で資料を読み,自分で判断した。彼女に操られているのではない。私が,これまで見ようとしてこなかった現実に向き合うことを選んだのだ」
ヴィオレッタは,少しだけ驚いた.
ルシアンは続けた.
「そして,エミリア・ベルの努力を,身分を理由に侮辱することは許さない」
エミリアが息を呑んだ.
ダリウスは歯を食いしばった.
「殿下は,まだお若い。こうした急激な改革が,国を乱すと分からないのですか」
ヴィオレッタは扇を閉じた.
その音が,広間に鋭く響いた.
「国を乱す,ですか」
彼女は一歩前に出た.
「水利費を横流しし,学院予算を食い物にし,努力する学生を脅し,それを伝統の名で隠す。ずいぶん便利な秩序ですこと」
ダリウスは睨んだ.
「悪女め」
ヴィオレッタは美しく笑った.
「ええ。わたくしを悪女と呼ぶなら,ご自由に」
彼女の声は冷たく,誇らしかった.
「ですが,悪役令嬢を敵に回す覚悟くらい,お持ちでしたでしょう?」
誰も言葉を発しなかった.
それは,悪役令嬢が断罪される場ではなかった.
悪役令嬢が,不正を断罪する場だった.
式典後,ダリウス侯爵は王宮の正式な調査を受けることになった.彼の派閥は大きく揺らぎ,これまで沈黙していた地方代表や下級貴族からも,不正の訴えが出始めた.
大広間の外で,エミリアはヴィオレッタに深く頭を下げた.
「助けてくださって,ありがとうございました」
「あなたは自分で証言したでしょう。わたくしは舞台を整えただけです」
「それでも,怖かったです」
「怖くても逃げなかったなら,上出来ですわ」
エミリアは泣きそうな顔で笑った.
ルシアンも近づいてきた.
「ヴィオレッタ,君は本当にすごい」
「当然ですわ」
「それと,怖い」
「それも当然です」
彼は真剣な顔で言った.
「でも,僕は君がいてくれてよかった」
ヴィオレッタは扇で顔を隠した.
「……そういうことは,もう少し王太子らしく堂々と言いなさいませ」
「今のは堂々と言ったつもりだった」
「まだ足りません」
「では,もっと練習する」
「努力ではなく,成果を出してください」
遠くで,グレアム宰相が二人を見ていた.
彼は静かに呟いた.
「王太子殿下には,よい王妃候補がおりますな」
この式典を境に,物語は学院内の騒動では済まなくなった.
ダリウス侯爵の不正は,多くの制度に根を張っていた.それを正すには,本格的な改革が必要になる.
そして改革とは,誰かを救う一方で,誰かの恨みを買う仕事でもある.
ルシアンは,その重さをまだ知らなかった.
ヴィオレッタもまた,自分がこれからさらに王宮政治の中心へ引き込まれていくことを,まだ十分には理解していなかった.




