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友人A  作者: HRK
二〇一三年
15/21

15.





 二〇一四年九月八日月曜日。本日の空模様は晴れ。


 空の名前を認識できるようになったと聞きつけた両親や優、大地までもが祝福の連絡をくれた。念の為に脳や精神面の検査をした方がいいとRAITに勧められ、芸能人も通う大きな病院へ行った。記憶はないが、倒れた時に運ばれた病院らしい。

 この日初めて知ったことがいくつかある。

 俺の記憶がどれだけ失われているかの検査をしていなかったということ。記憶を戻すためのトレーニングを一切させないように空が提案したということ。馬鹿みたいに天才な俺が忘れるくらいショッキングな出来事を思い出させたくないと強く訴えたと聞いた。

 おおよそ原因が頭でなく心にあったとわかっていたから、特に通院することもなく日常生活を送れていたらしい。それを自力で思い出せたのだから、大したものだと褒められた。

 主に精神科で使用される病院内三階のカウンセリング室なる場所で、時系列を遡る形式で記憶の有無を検査した。思っていたよりも忘れている箇所がまだ多くあった。

 検査の結果で分かったのは、記憶が抜け始めたおおよその時期と関連性。一定期間の記憶が欠如するのではなく、限定的な人物に関わる記憶が所々消えている。

 空に関する記憶だ。空とともに過ごした時間や空に関係する内容を忘れている。記憶喪失のきっかけが空の家での出来事だったからそうなったのではないかと医者は言った。断言できない、と濁したが、俺自身もその通りだと感じている。


 「英語の練習って、その、ダニエルと話すってことかな。そうだとしたら中学英語からやり直さなきゃ…」

 ダイニングテーブルに項垂れる空が言う。

 確かに、目的を定めた方が勉強しやすい。話すのか、歌うのか。歌うだけなら歌詞の発音を丸暗記させればいい。

 「今更勉強とか、正直したくないんだけど」

 空にとっての勉強は苦痛を強いるものでしかない。嫌な記憶呼び覚ましてしまうから。

 RAITが家を出た後で俺にもLINEが来ていた。

 空専属のメンタルケアラーとしての契約依頼だった。『契約』ということは報酬が発生する。専門的な知識のない大学生に務まるのだろうか?疑問を抱きながらも、添付されたPDFに目を通した。そこら辺でアルバイトするよりも遥かに高額な金額が記されていた。

 夕飯をどうするか声をかけて空を見ると今にも眠ってしまいそうだった。

 「ここんところいろいろあって疲れた。まじ限界。寝たい」

 ゆっくりとした口調で返事をする空に一抹の不安が胸を掠める。こんなに体力がなくてドームに立てるのか?と。

 確かに、ここ数日は覚醒時間が長かった。普段、寝てばかりの空にとっては、だけど。

 今日は大地に呼ばれて都心まで出ていたし、バイトも休まず行っていた。その後で事務所の人と電話で何か難しそうなことを言われていたり。裁判とか、ドームだとか、日常離れした会話が続いていたから疲れるのはむしろ正常か。

 

 プチッ、プチッ、という乾いた音に、意識が引き上げられた。何かを押し出すような、覚えのある感触を伴う音。

 その後、少しの間を置いてから、ごり、ごりと鈍い摩擦が耳の奥に響く。

 何をしているのか――すぐには判断が付かない。

 枕元のスマートフォンで深夜三時を確認する。キッチンから聞こえる異音に、指先が冷えるのを感じる。

 足音を立てぬよう注意しながら部屋を出る。レンジフードのライトだけが、夜のキッチンを照らしていた。ぼんやり壁に映る人影。近くに来てようやく音の正体がわかった。

 すり鉢で何かをっている。固形の、例えば、そう。薬とか。


 「空」

 キッチンの電気を付けるとともに名前を呼ぶと、特に驚くことなく手を止めた。

 からになった錠剤シートが歪な形になって散らばっているのが見えた。

 大きくため息をついて振り返り、微笑む。

 「バレた」と、まるでいたずらっ子のように。

 「それ、どうするの」

 「酒と混ぜて、飲む」

 「いつから」

 「いつだろう。覚えてない」

 「それ、なんの薬」

 距離を保ったまま、一定のトーンで問う。否定しないように気を付けて。

 手元にある調剤袋を持ち上げてはらはらと名称を確認しているようだった。

 「なんか、全部」

 否定しないように、刺激しないように。

 「なんで」

 「なんでって…うーん、一気に飲んだら早く治るかなって」

 感情を殺して話すから、本音でないことはすぐに分かった。きっと今すぐにでもそれらを飲み干したい欲求に囚われているのだろう。

 こんなとき、どうしたらいいのかなんて、俺は知らない。

 「…酒が飲みたいなら、一緒に飲もうよ」

 服薬中は飲酒しないのが鉄則だけれど、薬の過剰摂取を止められるなら、どんなに深夜でも早朝でも、一緒に酒を飲んで、孤独感を紛らわせたい。

 「どちらかというと、まずい薬を酒で流し込みたいから、できれば止めないでほしいんだけど」

 「酒なら、一緒に飲める」

 食い気味に遮った。聞きたくなかった。

 「酒じゃ、ないんだよな。言っても、わかんないだろうけど」

 諦めたように笑う。俺は空のこんな顔が嫌いだった。

 「てか、耳良すぎじゃない?普通、こんなんで起きてこないでしょ」

 段々と、口調に苛立ちを含んでいく。その気持ちを落ち着かせるために日常的にオーバードーズしていたのかもしれない。

 返答に困って、ジッと見ているしかできなかった。これ以上口を開いたら、攻撃してしまう気がして。

 数秒の沈黙が乱暴な物音で掻き消された。

 空がすり鉢をシンクへ投げ落とした音。

 俺なんかより、よっぽど耐えているのだ。自分の身体を傷付けて抑えていた破壊衝動のようなものを。

 棚に収納しているウイスキーを取り出して、瓶ごと飲み出すまで動けなかった。

 我に帰り、瓶を奪取した時には既に半分飲んでいた。普段から滝のようにアルコールを飲む空にとって液体を流し込むことなど造作もないのだ。それがたとえ、四十度を超える高アルコール飲料だとしても。

 「酒じゃ、意識は飛ばせないんだよ。薬で強制的に脳を眠らせなきゃ、家どころか、広太を傷付ける。俺は普通じゃないからさ、普通の量じゃ眠れないし、気持ちが落ち着くこともない。初めて全部飲んだ時は感動したよ。なんの感情も無くなって気付いたら朝。今までは寝てても嫌な感じがあったのに、全部混ぜて飲んだら、死んだのかと思うくらい、何も感じなかった。普通に寝て普通に起きる人には一生分からない感情だと思うよ。頭がおかしいから、こうすることでしか自分を保てない。天才なんだったら楽に死ねる方法教えてよ。いつまでこんな気分で生きなきゃいけないんだよ」

 一気に捲し立てる空がどれだけ異常かなんて考えなくてもわかる。

 元々口数の多い奴じゃない。いつも自分で考えて完結する性格の空が、自分を制御できないほどに追い詰められている。

 専属のメンタルケアラーなんて笑える。一般人にどうにかできるほど簡単な問題じゃない。限界まで頑張ってしまう空には理屈ではどうにもできないものがある。

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