四十五 これがローザリヤって女なのさ
ズシィィイン……ッ、と、重たい音を立てて、柱が床に倒れた。
その衝撃に埃が舞うが、幸いにしてベリンダは下敷きにされずに済んでいる。
しかしそれで一安心、とはならなかった。
「っ痛ぅ……っ!」
「おい! 大丈夫かローザリヤ!」
ローザリヤが、手袋に包まれた両手を握り締めて、その場に膝をついている。
苦悶の表情の浮かんだ額には、じっとりと脂汗が浮かんでいた。
どうやら柱を突き飛ばした際に、黒い炎が手袋に燃え移ったらしい。
判断は、一瞬だった。
ベリンダはローザリヤに飛びつくと、左右の手に包まれていた手袋を、半ば破くようにして強引に脱がしてしまった。
慌ててローザリヤのむき出しになった両手を検める。
上向きにした手のひらは赤く爛れ、火傷を負っているようだった。
……が、すぐに手袋を脱がしたおかげか、そうひどい傷ではない。
しばらくは痛むだろうが、手当てさえすれば痕も残らずに完治する程度だろう。
ベリンダがホッと溜息をつくと、代わりに今度はローザリヤが口を開いた。
「ベリンダ!」
「お、おう……なんだよ、ローザリヤ嬢?」
「無事なんですのね!?」
「……ああ。ローザリヤ嬢のおかげでな」
「そう……。よかったですわ」
心底安心したというように俯くローザリヤを見やり、ベリンダはポツリと呟いた。
「……手袋」
「はい?」
不思議そうな視線を返すローザリヤの方を見れず、代わりに彼女は傍らを見下ろす。
そこでは、白い手袋が、細い煙を上げながら無残に燃えてしまっているのがハッキリと見えた。
「この白い手袋。悪かったな。大事なもんだったんだろ?」
彼女がいつも大切に身につけている、白い手袋。
それは婚約者であるスコット王太子殿下から賜ったものだという。
その手袋はいつも眩いばかりに白く清潔に保たれていて、少しでも汚されようものなら彼女は烈火の如く怒り出す。
しかし今、彼女のその白い手袋は、もう取り返しのつかないほどに燃えてしまった。
ちょっと汚れたとか、傷がついた、どころの騒ぎではない。
彼女の大切な思い出の手袋は、二度とローザリヤの白い手に通されることは無いだろう。
指摘されて、焼かれた手袋を見やったローザリヤは、一瞬、痛ましげに唇を噛んだ。
しかしすぐにその表情を引っ込めると、ゆるりと首を横に振って。
「……ベリンダが無事に助かることの方が、大事ですわ」
と、そう言った。
その言葉を聞きながら、ベリンダはフフンと鼻を鳴らす。
顔を赤く染めたローザリヤは、自分がからかわれたとでも思ったのか「なんですのっ!?」と声を荒げるが、そうじゃない。
ベリンダはローザリヤを宥めながら、彼女たちのすぐ近くにある、入り口の扉が壊されてしまった旧教室の中を見やる。
そこには今もまだ、スコットが倒れていることだろう。
気を失ってはいないはずだ。
だからきっと、今のローザリヤの言葉も、彼に聞こえたはず。
……曲がりなりにもこのオレを取り巻きに従えてるあの女のこと、あんまり舐めねー方がいいと思うぜ?
この旧校舎でスコットと対峙した時、ベリンダが言い放った言葉だ。
スコットは婚約者であるローザリヤのことを、あまりにも軽んじていた。
ローザリヤを、世間知らずでワガママで、自分勝手で高飛車な女に過ぎないと高をくくっていた。
実際、そういった面も彼女にはあるだろう。短い付き合いだが、ベリンダもそれは否定しきれない。
だが。少なくとも……。
「ベリンダ様ぁーーーーっ! ローザリヤさん!」
ベリンダの思考は、そこで一度中断された。
アリソンが大きな声で、無事を確かめるようにふたりの名を呼んだためである。
それと同時、ベリンダたちとアリソンの間を分断するように立ち塞がっていた黒い炎が、またたく間に勢いを失っていった。
アレだけ苦しめられた、決して消えることのない黒魔法による炎。
それがいとも簡単に小さくなって消火されていくのを、ベリンダは目を丸くして見やっていた。
白魔法。
目の前の劇的な効果の正体が、そう呼ばれるものにあると、ベリンダはまだ知らない。
彼女の見ている前で、辺りの炎も見る見るうちに萎んでいくのが分かった。
アレだけ凶悪に建物を燃やしてまわっていた黒い炎が、急速にその勢いを削がれていく。
見れば、ローザリヤの白い手袋を食い荒らしていた炎も、シュンと小さくなって消えてしまっていた。
黒魔法があっという間に浄化されていく光景を目の当たりにしながら、ベリンダは「ああ、そうか」と心の内で納得する。
ゲームの中では、この黒魔法に対抗するのは、本来は主人公であるアリソンの役目である。
この物語がゲームである以上、クリアに向けて解決の手立てがあるのは当然のことだ。
そしてその解決の手だけこそが……このアリソンによる白魔法、だったのだろう。
ベリンダは、かき消えた炎の壁の向こうからこちらを覗き込む凜々しい表情のアリソン、その肩にとまった舎弟のインコを見やった。
どうやら今回はお前に助けられちまったみたいだな、ヤンス。
ベリンダの心の内の囁きに、ヤンスは「ホーホケキョ」と素っ頓狂な返事を返したのだった。
「ご無事ですか! ベリンダ様!」
「嬢ちゃん! 大丈夫か!」
ひとまず辺りを消火したアリソンは、焼け残った残骸を踏み越えてこちら側にやってくる。
その後ろからは、ドウェインもついてきていた。
「ああ。まあ、なんとかな……」
「よかった……」
アリソンは、緊張から力の入っていた両肩を、ゆっくりと下ろした。
「……ていうかローザリヤさん! なんでここにいるんですか!?」
ベリンダの無事を確認したことで安心したらしいアリソンは、今度は少しばかり怒りを滲ませた口調でローザリヤに問うた。
「ローザリヤさんは地位ある女性だって言ったじゃないですか! あなたは将来の女王なんですよ!? 自覚あるんですか!? なのにこんな火事の現場に飛び込んできて……しかも、倒れてきた柱に突っ込んだりして! 万が一にでも何かがあったら、どうするおつもりだったんですか!?」
するとローザリヤは「ん゛っ……」と喉に何かつっかえたような、奇妙な声を漏らす。
それでも、みんなからの視線が集まっているのを見て取ると……彼女は、気まずそうに顔を伏せて。
「仕方ないじゃない……」
こう、言ったのだ。
「ベリンダが心配で、いてもたってもいられなかったんですもの……」
……なあ、優男の殿下ヤロー。
そこで、ちゃんと聞いてるか?
ローザリヤは。
自らの危険を顧みず、火事の現場に飛び込んでくる。
そして危険な目に遭っているとみれば、我が身を省みず手を伸ばして助けようとする。
大切な、友人のために。
喧嘩をしている真っ最中の、相手のために。
たとえ、どれだけ大切にしている宝物を失うことになったとしても。
確かにコイツは、世間知らずでワガママで、自分勝手で高飛車な女だけれど。
でも。
ローザリヤは、そういう女なのだと。
少しは伝わっただろうか?
倒れた扉の向こうで、微かに小さく、誰かが息を飲む気配がした。
それが応えだと、ベリンダは思うことにする。
彼女はニッと笑みを浮かべると、ひときわ明るい声でみんなに言ったのだった。
「さあ! ここは危ねえ! さっさと脱出しちまうぞ!」
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