四十三 アリソンの白魔法
時は、少しばかり遡る。
アリソンとドウェインがカフェテリアから駆け戻り、燃え盛る旧校舎の元までやって来たところであった。
「な、なんなんですかこの炎……!? なんか、色が異様に黒くないですか……っ!?」
古びた校舎を見上げたアリソンが、戦いたように呟く。
炎の色が黒いのは黒魔法の影響にあるせいなのだが、込み入った事情を説明するわけにもいかない。
ドウェインは「……もう夕暮れで辺りが暗いから、黒く見えるだけじゃねえか?」と、自分でも苦しいと思う言い訳を口にした。
「それにしても、くそっ……! さっきよりも火の勢いが増してやがる……!」
ドウェインは、忌々しげに呻いた。
常日頃から鍛錬を積んでいる彼は、足が速い。
そのため助けを呼びにいった時間はそう長いものではなかったが……旧校舎の外壁を舐める火の手は、明らかに彼が飛び出していった時よりも広がっているようだった。
半焼……とまではいかないまでも、すでに小火で済むレベルではなくなっている。
「ベリンダ様! いらっしゃいますか!? ベリンダ様!」
アリソンは建物の周囲に視線を巡らせながら、声をあげた。
しかし、ベリンダのあの不遜な声が返ってくる気配は無い。
「ダメです、ドウェイン様! ベリンダ様は外にはいらっしゃらないようです!」
「つーことは、嬢ちゃんはまだ中か……」
「一体、何があったんですか? 燃え崩れた部屋に閉じ込められてしまったとか?」
「……まあ、そんなところだ」
まさか黒魔法の使い手であるスコットと交戦中だ、なんて言えるはずもない。
ドウェインは轟々と音を立てて炎の範囲を広げている旧校舎を見上げながら、チッと舌打ちを放った。
エレンに助けを呼びに行ってもらった以上、すぐにこの火事は学園の知るところになるだろう。
学園の教師たちは、皆、優秀な魔法使いだ。
彼らが集まれば、この程度の火事などすぐに消し止めてくれるはず。
「後、俺ができることといえば……」
ベリンダを助けに向かうか?
だがこの火事は、そもそもスコットの黒魔法によって、ドウェインの魔力が暴走させられた結果引き起こされたものだ。
迂闊に飛び込んでは、むしろ事態を悪化させかねない。
その時だった。
バチン、と木材弾ける音が響いた。
それから熱に耐えきれずに破裂したと思しき外装の破片が、炎をまとったままアリソンの方まで飛んでいく。
「危ねえ!」
ドウェインは叫びながら、一抱えほどもある破片を蹴り飛ばした。
地面に叩きつけられた破片は、ガシャンッ、と音を立てて砕け散る。
「あ、ありがとうございました。ドウェイン様」
「大丈夫だ。それより、危ないからもうちょっと下がってろ」
「は、はいっ」
アリソンを下がらせながら、ドウェインは何の気なしに地面に落ちた外装の破片を踏みつけた。
そして、すぐに違和感に気がつく。
「……え?」
「どうされましたか、ドウェイン様?」
「いや……おかしくねえか、この炎?」
ドウェインは再度、黒い炎に包まれた破片を、靴の裏で踏みつける。
普通であれば簡単に消えてしまうだろうと思われるが、しかしなぜか靴をどけてもその下の破片は、破片自体がすでに粉々に潰れているにも関わらず、しぶとく燃え続けていた。
「確かに……不思議ですね。これくらいの小さな火であれば、踏みつければ酸素供給が絶たれて消えてしまうと思うんですけれど」
「じゃあ、なんで消えねえんだ……?」
「それは分かりません……けど、これと同じ、消えない火が旧校舎を燃やしているんだとしたら……!?」
言いながら、アリソンの顔色がさっと青くなっていく。
もし本当に、これが消えない炎なのだとしたら、事態は想像以上に深刻だ。
「消えない炎……。もし、それに理由があるとしたら、それは……っ」
と、呟いた時。
ドウェインの脳裏に、嫌な言葉がくっきりと浮かび上がる。
この黒い火が消えない理由って、まさか……。
「黒魔法……」
ポツリと呟いたのは、ドウェインではなかった。
弾かれたように、ドウェインは声の方へと目を向ける。
彼の視線の先にいたのは、アリソンだ。
しかし、呟きを発したのは、彼女ではない。
彼女の頭の上を宿り木のようにしてとまり、さっきからひっきりなしに辺りをキョロキョロ見回していたインコだ。
……なんで、たかがインコが黒魔法のことを……!?
目を見張るドウェインに気付いた様子もなく、インコはアリソンの気を引くように、彼女の頭をツンツンと突いた。
「アリソン! アリソン!」
「えっ……あ、インコちゃん? なに? どうしたの? 悪いんだけど、今、あなたに構ってる時間は……」
「白魔法! 白魔法!」
「……えっ? なにっ!?」
「白魔法ッ! アリソンッ! 白マフォーッ!」
「どうしたのインコちゃん!? あたしになにか伝えたいの!?」
「クエエエエエエッ!」
「きゃああっ!? なになになにっ!?」
なかなか意図を理解してくれないアリソンに嫌気がさしたのか、インコはバサバサを羽を羽ばたかせながら暴れている。
インコが頭を下げて肩に飛び移っていくのを、手で払うこともできずにアリソンはきゃあきゃあと悲鳴をあげていた。
これにはたまらずドウェインも駆け寄って声をかける。
「おいおいっ! あんた何やってんだこんな時に!?」
「わ、わかんないんですっ! なんか、インコちゃんが、急に……!」
「ピーヒョロロロロロロ!」
「きゃあっ! インコちゃん! む、胸元を突っつかないでくださいっ! ひゃああっ! た、助けてくださいドウェイン様あっ!」
「お、俺!?」
俺!? もなにも、その場にはドウェインしかいないのだが。
インコに一心不乱に胸元を突かれているアリソンの姿は、なんともあられもない扇情的な雰囲気で……。
「ぬうう……! な、何を考えてるんだ俺は!? しっかりしろ……! 俺はベリンダ一筋!」
なにやら覚悟を改めた様子のドウェインは、白目を剥いたとんでもない形相でアリソンの胸元に手を伸ばした。
インコの小さな体を両手で掴むと、暴れて羽が抜けるのも構わず、グイッと引き剥がす。
すると。
「あっ……!」
アリソンが小さく声を漏らした。
ま、まさか強引に引っ張ったから、制服の胸元が破けたか!?
「ち、違うんだわざとじゃない俺はそんなつもりではだがしっかりと償いはさせてほしい腹を切るから見ててくれ」
「ロケットペンダント……」
「……ペンダント?」
きょとんとしたアリソンの声に、我に返ったドウェインが聞き返す。
彼が引き剥がしたインコの嘴には……アリソンの首元からチェーンの伸びる、ロケットペンダントが咥えられていた。
どうやら彼女が胸元にしまっていたものを、強引にインコが引っ張り出したらしい。
だが、一体なぜインコは、そんなことを?
「あ……」
と、アリソンが小さく呟いた。
「どうした?」
「いえ。……このペンダントは、祖父の形見なんですけれど……それで、これ見て思い出したんです。そういえば以前、祖父があたしに言っていたことを……」
「爺さんが? あんたにか?」
「はい」
アリソンは眉間にシワを寄せて、はるか遠くの記憶を呼び覚ますように、こめかみに手を当てる。
それを見たドウェインは、慌てたように声をあげた、が。
「お、おい……。悪いけど、今はそんな悠長に思い出に浸ってる場合じゃ」
「違うんですっ。祖父が……おじいちゃんが言っていたんです。もしも、アリソンが、黒い靄のようなオーラを帯びた魔法に襲われて、危険な目に遭った時は……、って」
「黒い靄のようなオーラ……!?」
アリソンの言葉に、ドウェインは目を見開く。
黒い靄のようなオーラを帯びた魔法。
それはまさしく、この火事を引き起こした張本人、スコットの扱う黒魔法のことに違いあるまい。
だがなぜアリソンの祖父が、黒魔法のことを……!?
わけもわからず呆然とするドウェインをよそに、アリソンは黒い炎に巻かれる旧校舎を見やった。
「……あたしの、魔力は。祖父から受け継いだ、……特別な力があるそうです」
「なに? お前の爺さんって……」
「アーリントン・アーチボルト。かつて、王宮で魔法の研究も行っていたという、……すごい魔法使いなんだぞって、お爺ちゃんは言ってましたけど」
「なっ……アーリントンっていや、おま……っ」
アリソンの言葉に、ドウェインは思わず言葉を失ってしまう。
アーリントン・アーチボルト。
それは、歴史の教科書でも名前を見るような、とんでもない偉人だ。
確か……歴史的な魔法の研究者であり、当時すでに禁術とされていた黒魔法の研究すら、特例によって許されていた、という。
そして、アーチボルト氏が黒魔法の研究を許されていたのは、彼が非常に優秀な研究者だったから、だけではない。
彼が、白魔法という……黒魔法に対抗し得る唯一の魔力の、使い手であったからであるという。
そんで……まさか、まさか!
こいつが、そのアーチボルト氏の、孫娘だっていうのかよ!?
アリソンは、黒く燃える炎を見やりながら、自らの体内で魔力を練り上げていく。
ふわりとそよ風のようなものが体の周りを巡っていくような感覚があり、制服や髪が勝手にたなびいているのを感じた。
そして、体の内側から、生命力のようなものが、次々と溢れ出てくる感覚も……。
「……ま、まじかよ……」
……集中しているアリソンは気付かなかったが、隣で見守っていたドウェインには、ハッキリと見えていた。
アリソンの体が……白い、靄のようなオーラに包まれていく。
それはまるで、スコットが操る黒魔法の、真逆。
炎魔法を、水魔法を、それぞれ有害な魔法へと替えてしまったものとは、根本から異なるオーラ。
アリソンが練り上げた、その魔力は……そう。
「……炎たち。道を空けてください」
白魔法と、呼ばれるものではないだろうか。
「あたしたちは、ベリンダ様を助けに行くのです!」
アリソンが決意を込めてそう叫ぶと同時。
彼女がバッと前につきだした右手の先から、魔力が奔流となって溢れ出ていく。
そして、破片を燃やしていた小さいものすら消すこともままならなかったはずの黒い炎が、まるでアリソンの魔力を嫌がるようにして、見る見るうちに消えていった。
「う、うお……! すげえなあんた! 火事が収まったぞ!」
「……いえ。まだ、入り口の辺りを消火できただけです。ベリンダ様が奥にいるのなら……焼け落ちてしまう前に、急がないと!」
「お、おう! そうだな! 待ってろベリンダ! すぐに迎えに行くからな!」
活路を見いだせたためか、雄叫びを上げるドウェインをよそに、アリソンは肩にとまったインコに手を伸ばした。
インコの小さな頭を、指の腹でくすぐるように撫でてやる。
すると嘴の奥から、クルクルと気持ちよさそうなさえずりが聞こえてきた。
「ありがとう、インコちゃん。あなたのおかげで、ベリンダ様を助けに行けるよ」
「お安いご用っす。姉御をしっかり守ってあげてほしいっす」
「そうだね、姉御をしっかり守っ……えっ?」
「クルッポー」
目を丸くするアリソンの前で、インコはハトのようにすっとぼけて鳴いた。
けど……え? 今。インコちゃん、ものすっごく流暢に喋ってなかった?
いや、そりゃインコだから、喋ることもあるだろうけど……え?
「おいどうした!? 早く行こうぜ! 古い建物だから、もう今にも崩れちまいそうだ!」
「あ! そ、そうですよね!」
ドウェインに促され、アリソンは旧校舎へと飛び込んでいく。
そして。
……ふたりが燃え盛る旧校舎に飛び込んだ、その直後。
じゃり、と砂を踏む音が小さくなった。
それが、カフェテリアからここまでやって来たローザリヤの足音だと気付く者は、この時点ではまだ誰もいなかったのである。
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