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四十 黒魔法ってのは思ったよりヤベえぜ

 燃え盛る旧校舎の三階。

 ドウェインが助けを呼びに走り去ってから、ベリンダとスコットは炎の熱気で対峙し、互いを睨み合っていた。


「……くっそ。どーしたもんかな」


 ベリンダは顎から垂れ落ちる汗を手の甲で拭いつつ、呟いた。


 辺りの気温は、炎によって急上昇している。

 黒魔法使いと相対しているという極限の集中状態も相まって、ベリンダは全身から嫌な汗が流れ落ちているのを感じていた。


「くそっ。こんな状況だってーのに、殿下ヤローは涼しい顔してやがるぜ。乙女ゲームのイケメンってのは、汗腺がねえのかよ?」


 ベリンダは忌々しげに毒づきながら、スコットを睨み付ける。


 するとこちらの出方を窺っていたスコットが、不意に右腕をこちらの方へと差し向けた。


 辺りの空気が不可視の手のひらで掻き混ぜられたような、肌の表面を撫でる違和感。


「…………ッシ!!」


 ベリンダは咄嗟に左にステップを踏み、その場から飛び退いた。


 すると彼女が一瞬前までいたはずの位置に、黒い炎がぶわっと襲いかかってくる。

 どうやら彼女が背にしていた辺りの炎の勢いを高めて、大きく膨らませてきたようだ。


 直撃していれば、仮にすぐに炎を引っ込めていたとしても、ただでは済まなかっただろう。


 スコットからすれば、ベリンダは黒魔法の口封じをする必要のある相手なのだ。

 そのくらいの容赦のなさは、むしろ自然なことだろうと彼女は考える。


「……っと、やべっ」


 ステップを踏み飛び退いたベリンダだったが、自らの制服を見下ろして舌打ちを放った。


 ヒラヒラと揺れる彼女のスカートの裾に、小さな黒い炎が燃え移っていたのである。

 どうやら至近距離で噴き上がった炎を、完全には避けきれていなかったようだ。


「くっそ! 消えろ! このっ、このっ! 熱ちちっ! だあ、くそ!」


 ベリンダは慌ててスカートを手のひらでパタパタと叩くが、炎は一向に消える気配は無い。

 むしろスカートを食い漁るように、黒い炎がゆっくりとその燃え盛る範囲を侵食していった。


「フフ。無駄な足掻きだよ、ベリンダ」

「なにぃ……?」


 スコットの余裕の呟きに、ベリンダは訝しげに眉根を寄せた。


「この炎には、黒魔法の魔力が込められている。水をかけても簡単には消えないし、叩いた程度じゃあどうにもならないだろうね」

「なっ……!」

「さあ、そのままじゃキミは消えない炎に食い荒らされて、またたく間に焼死体だ。降参するなら、早い方がいいと思うがね?」

「ざっけんな! 殿下風情が!」


 ベリンダは吐き捨てるように言うと、自らのスカートに両手を伸ばした。

 燃え盛る裾の辺りを左右の手で掴むと、彼女は躊躇することなく自らのスカートをビリビリッと引き裂いてしまう。


「なっ……」


 その思い切った行動には、さしものスコットも目を見張った。


 破りとったスカートの裾をその辺に放り捨てたベリンダは、改めてスコットを睨み付ける。


「ヘッ。女の服をボロボロにするのが趣味なのか? ローザリヤが知ったら悲しむぜ」

「……とんでもないな、キミは。じゃじゃ馬程度では、到底収まり切りそうにもない」


 およそ女性らしさとはかけ離れたその振る舞いに、さしものスコットも一筋の冷や汗を流した。


 いけ好かない殿下のそんな表情を引き出せたことに、ベリンダはハンと鼻を鳴らす。


「どーした? オレの気迫にビビっちまったのか? テメエがボーッと突っ立ってるだけだってんなら……今度はこっちから行くぜ?」


 ベリンダはそう言うと、勢い込んでスコットへと迫るべく、黒ずんだ床を強く蹴りつけた。


 それを見たスコットは、咄嗟に右手を横に振る。

 すると彼の前方の空間から、どろりとした粘性の液体がベリンダに向かってまっすぐに噴き出してきた。


「ああん!? んだ、そりゃあ!?」


 ベリンダは慌てて身を捻り、その謎の液体を回避する。

 液体の色は黒く、これもまた黒魔法によるものであることが察せられた。


 目標物を失った液体は、先ほどまでベリンダが立っていた辺りの床に落ち、ビシャリと広がる。

 チラリと目の端でそちらを見やった彼女は、続けて起こった事象を前に「ウゲッ……」と言葉を失った。


 廊下の床が、見る見るうちに腐食していくのである。

 まるで倍速ビデオかのように、およそ理外の速度で腐っていった床は、自重にすら耐えきれなくなったかのようにパキパキと音を立てて沈んでいった。


 どうやら今の水は、触れたものを腐敗させる魔力を帯びていたようである。


「……あんなもん直撃したら……、消えねえ炎に焼かれるより危ねえだろ……!」


 改めて黒魔法の恐ろしさに冷や汗を垂らし、ベリンダはスコットを見やった。


 そういえば、昨日の魔法演武披露会で、スコットが用いていた魔法は水魔法だったはずである。

 自らの得意とする水魔法に、黒魔法を絡めてきたということか。


「ドウェインに黒い炎に、殿下ヤローの黒い水……。ったく。好き勝手やってくれるぜ。学園の旧校舎がどうなってもいいってのか? 生徒会役員なんだろ、お前?」

「黒魔法研究室が燃えて無くなるなら、むしろ好都合だよ。たとえノートの1冊しか見つからなかったとしても、それが巡り巡って何に繋がるか分からない。後顧の憂いは絶っておくに越したことはないからね」


 スコットはそう言うと、思い出したかのように服の内側からノートを取り出した。

 先ほど、黒魔法研究室でベリンダが机の裏から発見したノートである。


 彼はそれを、なんの躊躇いもなく、辺りで燃え盛る炎の中に放り投げた。


「あっ、おい! 何してんだ!」


 と、ベリンダが抗議するも、間に合うはずもない。

 薄っぺらなノートは、消えない黒い炎によってあっという間に消し炭にされてしまった。


「せっかく見つけたのに!」

「黒魔法は俺だけが使えれば、それでいい。これ以上、無関係なヤツらに余計な情報を持っていかれるわけにはいかないんだ。たとえ、それがどれだけ些末な内容に過ぎなかったのだろうとしてもな」

「ケッ! 独占欲の強い男は、好かれねえぜ?」


 ベリンダはそう吐き捨てると、スコットを睨み付けた。


 別に、あの黒魔法のノートが本当に惜しかったわけではない。

 スコットという黒魔法の使い手たる黒幕を引きずり出した時点で、彼女の目的は達せられたようなものなのだから。


 だが。

 気には食わない。


 人の見つけたモノを横取りして、挙げ句勝手に燃やしてしまうスコットの振る舞いは、気に入らなかった。


「まるで自分が正義って疑いもしてねえって感じだな」

「俺は王太子だからな。俺が馬だと言えば、それが鹿であっても、馬になる」

「気に入らないねえ。ますます吠え面かかせてやりたくなってきたぜ」

「なんとでも言うがいい。俺はより高みへ至るためであれば、黒魔法でもなんでも使う覚悟でいる」

「んで、その行き着いた先が、黒魔法の罪を婚約者のローザリヤになすりつけて、代わりにオレを手に入れよう計画か? 女ナメんのも大概にしろよなコラ」


 スコットは応える代わりに、再び黒い水をベリンダに向けて噴きつけた。

 ベリンダがまたさっとそれを避けると、黒い水は黒い炎にビシャリとかかる。

 水のまとった黒い魔力によって床が腐敗し、燃え盛る黒い炎と共に、水のかかった辺りが音を立てて階下に崩れ落ちた。


 幸いにしてスコットはそこまで喧嘩慣れしていないらしい。

 黒魔法は脅威だが、それを差し向ける動作は見え見えだ。

 所作は見事に見えるけれど、それはどちらかといえば武道の型のような決められた動きを極める技術のように思える。


 ベリンダは敢えて余裕ぶった表情で、犬歯を覗かせカカッと笑った。


「ストリートファイトの経験も()え、黒魔法使いのお坊ちゃんが。オレからすりゃあ、ドス持った途端にイキる三下とそう変わんねえぜ」

「言っている意味はいまいち分からないが……馬鹿にされているらしいことだけは、分かるな」

「オレと対等に喋りたきゃ、これからはスラングも勉強するんだな王子様!」


 とはいえ。

 決定打を打ち込みきれないのは、ベリンダとて同じであった。


 近付こうとすれば腐食効果のある水魔法を打ち出され、距離をとれば周りで燃え盛る黒い炎が襲いかかってくる。


 こちらに攻めようとする動きこそ分かりやすいスコットではあるが、逆に守りの動作は堅かった。

 武道の基礎に忠実であるがゆえに、こちらから視線を切ることもない。

 黒魔法に触れればただでは済まないベリンダにとって、油断せずにジッとこちらを注視し続けるスコットは非常に相手が悪いといえた。


 一瞬でもいい。

 隙さえ出来れば、オレなら一撃でぶちのめせる。


 何か……なんでもいい。

 一瞬だけでも、スコットの気が逸れるような何かが起こってくれれば……!


 燃え盛る炎の中、熱気に目を眇めたベリンダが、ちろりと舌先で唇の端を舐める。


 その、時だった。


「ベリンダ様!」


 停滞しつつあった状況を打破する、女の子の悲鳴が響き渡ったのは。

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