三十八 ローザリヤのお茶会
「ローザリヤ様ぁ~。そろそろ機嫌直してくださいよぉ~」
「何を言ってますのエレン。わたくしは別に機嫌など損ねてませんわよ。戯れ言も大概になさいな」
「その言葉がもうなんかすでにチクチクしてるんですよぉ~。ローザリヤ様ぁ~」
時刻は、旧校舎でベリンダとスコットが激突するよりも、半刻ほど遡る。
場所は学園内にある、学生向けのカフェテリアだ。
校舎から張り出すかたちで作られたテラス席には、瀟洒なデザインの白いガーデンテーブルがいくつか並べられている。
放課後には学生同士の交流の場として賑わいをみせるカフェテリアであるが、この日ばかりは客はひと組だけしかいなかった。
テラス席の真ん中の席を陣取っている、ローザリヤと、その取り巻きのエレンである。
ローザリヤは磁器のティーカップを持ち上げると、ろくに香りを楽しもうともせずに、ぐいと乱暴に紅茶を流し込んだ。
ガチャンと音を立ててソーサーにティーカップを置くと、エレンはビクッと震えて「勘弁してくださいよ~」と漏らしながら涙ぐむ。
およそ貴族令嬢のたしなみとはほど遠いローザリヤの振る舞いは、彼女の周りの空気をひどく剣呑なものにしてしまっていた。
いつもは賑やかなカフェテリアが静まりかえっているのは、ひとえに彼女が原因である。
「エレン。紅茶が無くなりましたわ。お代わりを頂いてきてちょうだい」
「飲み過ぎですよローザリヤ様ぁ~」
「うるさいですわよ! わたくしを誰だと思ってますの!?」
「ろ、ローザリヤ様ですぅ~!」
「分かったなら、紅茶を頂いてきなさい!」
「あと1杯だけですよぉ~っ? ほんとにこれで最後にしてくださいね~っ?」
「ったく……気の利かない子ですこと!」
まるで居酒屋でくだを巻く酔っ払いのようであるが、彼女が飲んでいるのは紅茶である。
当然酔っ払うはずもなく、素面だ。
素面でこんな振る舞いをしている方が、酔っているよりもよほど問題があるといえなくもないが。
ローザリヤは肩にとまるインコを指で撫でながら、フンと鼻を鳴らして言った。
「まったく、どいつもこいつもですわ。このわたくしの気持ちを分かってくれるのは、あなただけですわね、インコ」
「クックドゥードゥルドゥー!」
「ぎゃ! 指を噛むんじゃありませんわよバカインコ!」
紅茶のお代わりを淹れてもらってきたエレンは、ローザリヤの顔を心配そうに見やる。
「……なんですのよエレン?」
「いえ。そのぅ~……」
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってちょうだい。貴女とわたくしの仲でしょう?」
「では、僭越ながらぁ……。……ローザリヤ様、やっぱり、ベリンダと仲直りされた方がよろしいのではないでしょうかぁ~?」
「…………」
エレンの言葉を受けて、ローザリヤはティーカップを持つ手をピタリと止めた。
それから、少し逡巡するような時間をおいて、結局そのティーカップを口元に運ばずにソーサーの上に戻す。
その彼女が思い浮かべるのは、寝ても覚めても頭にこびりついて離れないあの情景。
昨日行われた魔法演武披露会の終わり際、ローザリヤの婚約者であるスコットとキスをしていた、ベリンダの姿。
脳裏にその光景が蘇った瞬間、ローザリヤはカッと頭に血が上るのを自覚した。
「誰が、あんな泥棒ネコと和解するもんですか!」
スコットはローザリヤが小さな頃からの婚約者である。
親が決めた政略結婚に過ぎないことは分かっていた。
だが幼い女の子にとって“将来の結婚相手”という情報は、ただでさえ見目麗しいスコットを、より一層眩く見せるには十分すぎたのである。
いつか、王国を背負って立つスコットの隣に。
そんな未来予想図を思い描くだけで、うっとりと溜息をついた夜が、幾度あっただろうか。
なのに……なのに!
「ローザリヤさん。ちょっとお時間よろしいですか」
またしても怒りが沸々と湧き上がり、ティーカップに当たり散らしかけたその時。
ガーデンテーブルについたローザリヤに近づき、声をかけてきた者の姿があった。
ローザリヤはそちらに顔を向けると、思いっきり顔をしかめてみせる。
「様をつけなさい! 様を! わたくしはもう何度も言ってるわよ、アリソンさん!」
カフェテリアに現れたひとりの少女。
茶色い後ろ髪を風になびかせる彼女……アリソンは、キッとローザリヤを睨み付けた。
「フン。何なのよ、庶民のくせにその挑戦的な目つきは? 喧嘩売ってらっしゃるの?」
「喧嘩売ってるのはあなたの方じゃないんですか? あたしじゃなくて、ベリンダ様相手に、ですけど」
ベリンダの名前を耳にしたローザリヤは、反射的にアリソンに鋭い視線を返す。
「アリソンさん。そのこと、ベリンダから聞いたの?」
「いえ。でも、見てれば分かります。ベリンダ様はいつもあなたと一緒にいらしたはずなのに、今日はずっと別行動でしたから。……やっぱり、昨日のあの一件のせい、ですよね?」
アリソンもまた、昨日の魔法演武披露会の時、同じ現場に居合わせている。
そして誰よりもベリンダに心酔している彼女のことだ。
彼女もローザリヤと同様、周りがリーアムの演奏に注目している中にあっても、ベリンダたちの様子を……つまりは、あのキスシーンを目撃していたのだろう。
ローザリヤはフンと鼻を鳴らし、アリソンから顔を背けて言う。
「分かっているのなら、口出ししないでくださいまし! これはわたくしとベリンダの問題ですわ!」
「でも……」
「ああ! もう! うるさいですわね! どいつもこいつもベリンダベリンダ! そんなにベリンダのことがお好きなら、ベリンダの方へ行きなさいな! なにもわざわざ、わたくしの方に来なくったっていいじゃありませんの!」
ローザリヤに大声を出されたアリソンは、怯んだように目を丸くする。
けれど彼女はグッと足を踏みしめると、身を乗り出してガーデンテーブルに両手を叩きつけた。
「お言葉ですけれど、ローザリヤさん!」
「様!」
「ローザリヤさん! アナタ、あれからベリンダ様としっかりお話しされたんですか!?」
アリソンの叫んだ言葉に、ローザリヤはうっと喉にものが詰まったかのように言いよどむ。
「お話しって……別にあの子と話すことなんて、なんにも……」
「やっぱり! お話しされてないんですね!」
アリソンに指摘されたことで、ローザリヤは「そういえば……」と心の中で小さく漏らす。
そういえばあの時は、目の前の光景にカッとなるあまり、ベリンダから弁解の言葉を聞いてあげる余裕など一切無かった。
一方的にこちらの怒りをぶちまけて、それっきりである。
今朝も、居なくなっていたインコを探していた際にたまたま顔を合わせはしたものの、苛立ちのあまり、すぐにその場を離れてしまった。
図星を突かれたことで気まずげに顔を伏せるローザリヤに、アリソンはそれ見たことかとばかりに息巻いてみせる。
「ほら、全然ベリンダ様の言葉を聞いてないじゃないですか!」
「でも、それがだからなんだというの! それでもベリンダが殿下とキスをしていたのは事実じゃない!?」
「それが事実なら仕方ないです! ベリンダ様が殿下を横恋慕するつもりだっていうんなら、あたしもこれ以上口を挟むことはありません! むしろあたしはベリンダ様を応援しちゃいますね!」
「はあ!? なにそれ!? 貴女、何が言いたいのよ!?」
口論がヒートアップしたローザリヤは、苛立たしげにその場に立ち上がる。
かわいそうに、エレンがまたしても困ったようにアワアワしているが、気に掛けてやることもできやしない。
「ハン! アリソンさん、貴女の考え分かりましたわよ! 貴女、ベリンダにかこつけて、その実ただわたくしの傷心を抉りに来ただけなんでしょう! とんだ悪女ですこと!」
「誰もそんなこと言ってないじゃないですか!」
「じゃあ、なんだというの! 貴女は、わたくしに何を言いたいんですのよ!」
「そんなの、決まってるじゃないですか!」
アリソンはすうっと大きく息を飲み、そしてハッキリとローザリヤに言い放つ。
「あたしはただ、喧嘩するんなら、一方的に嫌うんじゃなくって、ちゃんとお互いに殴り合うべきだって言ってるんです!」
「は……」
「ローザリヤさん、いっつもそうですよ! あたしのこと、ろくに話を聞きもしないで、ただ庶民だってだけで目の敵にして! かと思ったら今度は、友人のはずのベリンダ様を突き放して!」
「だ、だってそれは……! そんなの……!」
「嫌うなら、嫌うでいいんです! あたしだって、今更ローザリヤさんと仲良しこよししたいとか思いません! でも……ベリンダ様は、違うじゃないですか! ご友人だったはずじゃないですか!」
「それ、は……」
「そうですね! 友人同士だって、嫌いになることはあると思います! それは否定しないですし、仕方ないなとも思います! でも、少しでも仲良かったんだったら、誤解であってほしいって気持ちがあるんだったら、……喧嘩して、お互いの考えてることぶつけ合ったら、そしたらもしかしたら、お互いの気持ちが分かって、和解できるようになるかもしれないじゃないですか!」
「…………」
「今のローザリヤさんは、傷付くことから逃げてるだけです! ベリンダ様のことを本当に友人だと思っていたのなら……潔く、悪口言い合って罵り合って、もうこれはだめだってとこまで傷つけ合ってから、嫌いになってくださいよ!」
アリソンはそこまで言い切ると、ハアハアと呼吸を荒くしながらローザリヤを見やった。
彼女の細い肩が、興奮からゆっくりと上下しているのが見て取れる。
そしてローザリヤは、もはや「様をつけろ」と訂正するような気力も残ってはいなかった。
ベリンダ。
……彼女は、ローザリヤの友人である。
エレンも含めて魔法学校入学以前からの付き合いで、お互いの家柄の繋がりで知り合った、幼馴染みのような関係だ。
ここ数日はなぜか人が変わったように乱暴になって、がさつで、めちゃくちゃで、手に負えない問題児になってしまっているけれど。
そんなベリンダが、スコット王太子殿下とキスをした。
自らの婚約者を奪われると、想像するだけで恐ろしい。
それもよりによって、友人のベリンダに、だなんて。
でも、どうなのだろうか。
ベリンダは。
ローザリヤが、「貴女、本当にわたくしの殿下を横取りするおつもりなの?」と尋ねたら。
あの子は、なんて返すのか。
そんなわけねーだろ、と、心底呆れたように言われたら、どんなに安心することか。
けれど、「ああ、実は……」とか言われたらと思うと、足が震えて立っていられなくなる。
だからローザリヤは、致命的な傷を負ってしまうよりも前に……自ら見切りを付けて、ベリンダを突き放した。
真実を知るのが怖い。
思えばローザリヤにとって、未来とは明るく光り輝いているものが当たり前だったのだから。
伯爵家令嬢として成功を約束され、順風満帆に、蝶よ花よと育てられてきてしまったのだから。
でも。
嗚呼。
あの子は。
あの子は、本当に、このわたくしを容赦なく傷つけるだけの行動を、とるような子なのだろうか……?
黙って俯いてしまうローザリヤを前に、アリソンは興奮してしまったのを恥じるように口を噤んでいる。
それから……エレンが気遣わしげにローザリヤの肩に手を置こうとして、その指先が触れるかどうかというタイミングのことであった。
「くそっ! 放課後だからか、全然人がいねえじゃねえか! 誰でもいいから、いねえのかよ!?」
苛立ち混じりに吐き捨てられた、慌てた様子の男性の声が彼女たちの耳に届いたのは。
お読みいただき、ありがとうございます!!
執筆に励みになりますので、ブックマークの登録、評価など、ぜひぜひよろしくお願いいたします!!




