三十五 黒魔法使いとご対面だな
そこには数瞬前まであったはずのローザリヤの姿は、影も形も残ってはいない。
細いフレームの眼鏡越しに覗く切れ長の瞳は、涼やかな笑みを湛えていた。
薄暗く埃の舞う廊下にあって、威光に包まれた彼はなおも美しく、そして圧倒的な威圧感をまとっている。
「たまたま手に入ったものだから、たまには婚約者らしいことでもしてやるかと思って、気まぐれ手贈っただけのものだったのだが。まさか、そこまで大事にしていたとはね」
困った様子で肩を竦めるスコットは、まるで悪びれた様子はない。
だからこそ、そんな姿がドウェインには一層不気味に思えた。
「魔法で、姿を変えてやがったのか……? しかし、なんでまた……」
ドウェインが疑問を口にするが、スコットはそれに応じることはなかった。
代わりに彼はベリンダに対して、キラリと粒子の溢れる瞳を差し向ける。
「キミの洞察力には感服したよ。そこまでローザリヤのことに詳しいとはね」
「ま、取り巻きBだからね」
「取り巻き……“B”?」
不思議そうなスコットには取り合わず、ベリンダは脳内で一言だけ付け加える。
……まあ、一番の違和感は、ヤンスが一言も喋んなかったことの方なんだけどな。
ローザリヤがいつも肩に連れている、セキセイインコ。
その正体はベリンダの舎弟であり、この世界の元となったゲームの愛好者、ヤンスだ。
だがローザリヤがこの部屋に現れてから、あのインコは一言として喋らず、そのうえベリンダと視線を合わせることすらなかったのである。
あまりに、インコ過ぎた。
いくらスコット王太子殿下であったとしても、まさかあのインコの中身が人間であるだなんて思いもしなかったのだろう。
と、そこでドウェインが、ハッとした様子でスコットに言った。
「て、ていうか殿下、大丈夫なんですかい!? さっき嬢ちゃんに蹴り入れられて……っつーか嬢ちゃんさっさと謝れって!」
慌てふためくドウェインに対し、しかしベリンダは未だ鷹揚とした態度を崩さない。
「気にするこたぁねーよ。確かに蹴りは入ったけど、衝撃は綺麗にいなされた感触だった。直前で気付いて、咄嗟に防御したんだろ」
「だとしても謝罪しとけって! お前、王太子殿下相手に蹴り入れてんだぞ!?」
「黒魔法使ってオレに危害を加えようとしたヤツ相手に、何を謝る必要があるってんだ?」
「は!?」
思ってもみない言葉を聞き、ドウェインは今度こそ絶句する。
「く……黒魔法!? 殿下がか!? それに危害って……!?」
「気付かねえのかよ、ドウェイン。この廊下や、さっきの部屋ん中にも、ずうっと黒い靄が充満しまくってるってことによお?」
「な……!?」
ベリンダに指摘されて、ドウェインは気がつく。
確かにさっきから、チラチラと黒い塵や埃が辺りを舞っているような、黒い影が視界には映り込んでいた。
古く打ち捨てられた旧校舎の中だから、俺たちが歩き回ることで埃が舞っているだけだろうと無意識に決め付けていたけれど……。
もしも、さっきっから辺りに舞う、これらの黒い影の正体が、単なる塵や埃ではないとするならば。
その原因は……魔力に黒いオーラをまとうことを特徴とする、“黒魔法”に他ならない。
その魔力が部屋や廊下を包みこむように充満しているかもしれないという事実に気付くと、ドウェインはビリビリと肌の表面が焦げ付くような緊張感を覚えた。
「オレは今朝も黒魔法によるものらしい攻撃を受けて、立ちくらみに襲われたんだ。そん時はうまいこと誤魔化されたけど……よくよく考えてみりゃあ、あん時もスコットはオレの教室に来てたんだ。特に大した理由も無く、挨拶したらさっさと帰っちまったが、今から考えりゃそれすら不自然だったよな。王太子殿下ほどの立場にあるヤツが、たったそんだけのことで、わざわざ新入生の教室に? んなわけねーだろ」
「……まったく。キミには驚かされてばかりだね」
表情を険しくするドウェインとは対照的に、スコットはどこまでも余裕を感じさせる態度である。
否定しないってことは、ほとんど肯定しているようなものじゃねえか……! と、ドウェインは内心で悲鳴を上げた。
「それにしても、キミはなぜこうも早く黒魔法に辿り着いたんだい? キミが黒魔法に襲われたのは、その今朝の一度だけのはずだろう? なのに、なぜその日の放課後には、もうキミはこの黒魔法研究室のある旧校舎に来ているんだ? 後学のために聞かせて欲しいな」
スコットの疑問はもっともである。
あの一度の機会で仮に黒魔法を疑ったとしても、その足で立ち入り禁止の旧校舎にまで探索に来るのはあまりにも性急だ。
その疑問には、ベリンダはハハンと不敵に笑って応える。
「女の勘ってヤツかな」
……本当は、ゲームの世界の情報を知ってたからだけどな。
なんてことは、言っても詮無きことである。
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