三十三 不意打ちは喧嘩の基本だろ
ローザリヤは白い手袋に包まれた右手を、ベリンダの方へと差し出す。
「ベリンダ。貴女が黒魔法に興味があって探索を行ったということでないのなら、その資料はわたくしに渡しなさいな」
「あ? なんでだよ。黒魔法が危ないモンだっつーなら、お前が持ってたって危ないんじゃねーのか?」
ベリンダは警戒するように言いながら、右手の資料を背中側に隠してしまう。
そんな彼女の反応に、ローザリヤはまるでだだをこねる幼子を前にしたかのような困った表情を浮かべた。
肩の上のインコは、我関せずとばかりにそっぽを向いている。
「ベリンダ。貴女ね。わたくしが誰だか分かってますわよね?」
「誰って、ローザリヤ嬢だろ?」
「そうですわ。ローザリヤ・ロービンソン。ローランド・ロービンソン伯爵家の一人娘、ですわ」
彼女がそう言ったところで、ドウェインが何かに気付いたように、あっと声を漏らした。
「おいおいマジかよ。ロービンソン伯爵っていやあ、確か魔法省のお偉いさんのはずだぜ」
「有名なのか?」
「有名なのかって、そりゃあお前。魔法に関する法整備に何度も改革を打ち出していて、魔法界で度々名前を聞く大物だぞ。そもそも黒魔法が非常に危険な代物だからって、一般市民の研究を禁じたのも確かこのロービンソン伯爵だったはず……って、むしろなんで知らねえんだよ。お前のお友達の親なんだろ?」
「生憎、親で友達選んでねーんでね」
「だとしても、お前は無関心すぎるっての」
「んで? そのローザリヤ嬢のパパンがどーしたって?」
ベリンダが尋ねると、ドウェインは少し考えてから、ローザリヤの方を見やった。
「ロービンソン伯爵なら、黒魔法を唯一研究している研究機関にも顔が利くはずだ」
「その通りですわ」
ローザリヤはひとつ頷いてから、さらに付け足すように言葉を続けた。
「先ほど、なぜわたくしがここにいるのかとお尋ねになったわよね。それはこの学園旧校舎にあるかつての黒魔法研究室に、面白半分で忍び込むおばかさんが出やしないかとお父様が案じられていたからですのよ」
面白半分で忍び込むおばかさん、と当てつけのように言われて、ベリンダはムッとする。
が、第三者から見ればそのように言われても仕方ない状況のため、抗議するわけにもいかなかった。
「わたくしもロービンソン家の娘。これからこの学園に通うにあたり、なにかお父様の役に立てればと思いましてね。この旧校舎の入り口に、不審者が通ったらすぐにわたくしに報せが行くよう、魔道具を仕掛けておきましたの」
「あんだって?」
ベリンダはそう言いながら、自身が旧校舎に立ち入った際のことを思い出していた。
確かあの時、旧校舎に足を踏み入れた瞬間、小石が割れるような音がしたはずである。
辺りが荒れ果てていたため気にもしなかったが、今思うと、あれはローザリヤの仕掛けた魔道具とやらのものだったのではないだろうか。
「それで何事かと思って駆けつけてみれば、いたずら盛りのベリンダがいたというわけ。これで理解していただけたかしら?」
「むう……」
「ま。わたくしの方から適当な理由を付けてお父様に届ければ、少なくともただ探検ごっこをしただけのベリンダに処分が下されるようなことは、まず起こらないはずですわよ。さ、分かったなら、さっさとそれをわたくしに渡してくださる?」
ローザリヤはそう言うと、ベリンダに向けて差し伸べた右手を、催促するようにクイッと動かした。
辺りは相変わらず埃っぽくて、細かな塵が舞っているらしい様子が視界にチラチラと映る。
思案するように俯くベリンダに、横から近付いたドウェインが小さく囁いた。
「なあ、嬢ちゃん。嬢ちゃんがなんの目的でここに来たのかは知らねえけどよ。ここは、素直に渡しちまった方が賢明だぜ。どのみちそんな古びたノート、大したこと書いてねえだろうしよ」
「…………」
それには応えず、ベリンダは手に持ったノートへと視線を落とした。
薄っぺらく、経年劣化で端がすり切れており、そして何より埃で真っ黒に汚れてしまっている。
その上、ベリンダはこの世界の文字を読むことができないのだ。
探索の成果、ではある。
だが、このまま意味も無く持ち続けていては、むしろこちらの立場が悪くなる一方だ。
「……それに、収穫自体は、他にもあったしな」
ベリンダは呟いた。
ローザリヤの父親が黒魔法研究に携わる機関と繋がりがある、というのは重要な情報である。
少なくともこれで、「なぜローザリヤが黒魔法を使うことが出来るのか?」という疑問のヒントにはなった。
伯爵家令嬢として、あれだけ家の威光を武器にしているローザリヤのことである。
推測でしかないが、彼女がその気になって父親の伝手を辿っていけば、黒魔法について詳しく知ることは、きっと不可能ではない、ということではなかろうか。
……このこと、ヤンスは知ってたのかな?
ベリンダはふとそう思い、ローザリヤの肩にとまるインコを見やる。
するとインコは、相変わらず素知らぬふりで、そっぽを向いていた。知らなかったのかもしれない。ゲームでは描かれなかった背景情報なのだろうか。
「ベリンダ。どうしましたの。渡すの? 渡しませんの?」
ローザリヤに再度問われて、ベリンダはハッと顔を上げた。
「ん。ああ、分ぁーった分ぁーった。こんな薄いノート1冊程度のことで罰されるなんて、割に合わねえからな」
ベリンダはそう言うと、ローザリヤに歩み寄り、薄汚れたノートを差し出す。
ローザリヤはひとつ頷くと、それを白い手袋に包まれた右手で無造作に受け取った。
長年の汚れをまとったそのノートは、彼女の手袋を侵すように汚してしまう。
「確かに受け取りましたわ。これはしっかりとお父様に届けておきますから、安心なさい」
ベリンダの隣で、ドウェインが安堵したように息を吐く音が聞こえた。
彼も彼なりに、意図せず黒魔法に関わることになって、緊張していたのだろう。
「これに懲りたら、貴女たちもさっさと帰りなさいな。あまり、おいたが過ぎるようですと……わたくしでも、庇いきれなくなってしまいますからね」
ローザリヤはそう言い置くと、くるりと踵を返し、ベリンダたちに背中を向けた。
コツコツと高らかに靴音を鳴らしながら、ゆっくりと部屋を後にする。
それを見て、ドウェインもすっかり気が緩んだ様子でベリンダに声をかけてきた。
「ったく。どーなることかと、冷や冷やしたぜ。なあ嬢ちゃん。アイツの言うとおり、俺たちもとっとと……って。あれ、嬢ちゃん?」
ドウェインの言葉は、途中で不自然に途切れた。
隣に立っていたはずのベリンダの姿が、そこに無かったためである。
ではあの子は一体どこに……と、目が彼女の姿を捉えるよりも前に、ドウェインは気付いた。
室内に一陣の風が吹いたみたいに、肌にふわりと空気の揺れる感触が届く。
見れば、ベリンダは。
こちらに背中を向けたローザリヤを追いかけるように、一直線に部屋を出て、廊下を駆け抜けていた。
「……ひとつ、教えてやるぜ。ローザリヤ嬢」
そしてベリンダは。
足音に振り返ったローザリヤに対し、駆け寄った勢いを乗せた右脚を高々と蹴り上げる。
「このオレを相手取るつもりなら、そう簡単に背中を向けるもんじゃねえぜ! マヌケ!」
ベリンダが勢いよく放ったハイキックは。
いっそ惚れ惚れするような美しい軌道を描きながら。
バギィィッ……! と、生々しい打撃音を響かせながら。
無防備にさらされたローザリヤの側頭部を、過たず打ち砕いてみせたのだった。
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