第66話
店を出た祐毅は、スマートフォンを取り出した。入籍の話、異母兄弟の話、人生における重大事項と呼べそうな内容を、最低三人に話さなければならない。画面をスクロールし、最初は誰に連絡しようかと、彼等の連絡先を行ったり来たりさせる。だが、それはさほど悩まずに決まった。御武は、したり顔が頭に浮かんで気が立ったので却下。一番話がしやすい人物の連絡先をタップした。
長く鳴り続ける呼び出し音。彼に電話する時はいつもこうだ。スマートフォンを耳に当てたまま、歩道の端で突っ立っていると、音がぷつっと途切れた。
「……もしもし?」
「もしもし、さっちゃん?久しぶり。僕だけど……」
「地獄って、スマホ持って行けんの?」
挨拶に割って入って来る、神妙な声。別れ際にそんな気恥ずかしいことを言ったなと、僅かに羞恥心が湧く。だが、久し振りに聞く友人のおふざけに、口は反射的に動いた。
「ごめん、まだその検証は済んでないや」
「あ、あぁ。そうだよな。いやぁ、電話なんて一生かかってこねぇと思ってたから、ビビったわ」
電話を介して、はははっと笑い合う二人。逮捕前と何ら変わりない颯毅の対応と雰囲気に、祐毅からは自然と笑みが零れた。
「あのさ、さっちゃんに会って話したいことがあるんだけど、今から時間あるかな?」
「あぁ、いいぜ。でも、大丈夫か?俺、警察に目ぇ付けられねぇ?」
「大丈夫だよ。事件とは関係ない話だから」
じゃあいいか、と安堵の声を漏らす颯毅。この反応をするということは、裏を返せば彼には警察の手が伸びていないということ。そう悟った祐毅も、胸を撫で下ろした。
雰囲気が和むまでの速さは、長い付き合いの賜物。彼になら気兼ねなく聴けると、祐毅は率直に質問を投げかけた。それは、颯毅の後に連絡しようと考えていた、彼女の事。
「まさっ……じゃなくて、真島さんが最近どんな様子か、知ってたら教えてもらえるかな?」
「あいつなら、今寝てるけど。起こすか?」
「……は?」
彼女の最近の様子ではなく、今の状態が返って来る。それは一緒にいると言うこと。しかも寝ているとは、どういうことか。祐毅の頭では、想像と妄想が入り混じる。
「いつの間にそういう関係に?まさか、もう手出したの?」
「いや、一応客だから茶は出したけど、あんま飲まなくて……てか、なんで殴るんだよ」
すれ違う”手を出した”の解釈。普通わかるだろ、と悩む祐毅は、額に手を当てながら項垂れ、深く息を吐く。息と共に動揺を吐き出したのか、冷静さを少しだけ取り戻した彼は、まずは状況を把握しろと自分に言い聞かせた。
「で、どうして今、一緒にいるの?」
「お前が面倒見ろっつったからだろうが。元気ねぇからスイーツブッフェに誘ったけど、あんま食わねぇし、具合悪いっつうから、近場のおれん家で少し休ませてやってんだよ」
頼みを聞き入れ、様子を気にしてくれていることは素直に喜べた祐毅。だが、話を聞くにつれて、颯毅の行動に疑問や不満が湧いてくる。”普通は”その言葉が何度も頭を過るが、彼に普通が通じないことを思い出し、グッと言葉を飲み込んだ。
「これだからコミュ障は……」
「コミュ障じゃねぇ。付き合う人間を選んでんだよ、俺は」
口を衝いて出た小言は、高性能なスマートフォンのマイクによって拾われる。その後は一方的に文句を浴びせられる祐毅。言いたいだけ言わせておけと、顔をスンとさせながら、相手のネタ切れを待った。
「体調不良は心配だな。あとで症状と思い当たる原因を聞かないと」
「誰のせいだと思ってんだよ。事情聴取とか、マスコミ対応とか、大変だって言ってたぞ」
「……ご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした」
「俺に謝るなよ」
その場で会釈をする祐毅だが、颯毅のもっともな指摘に、頭はさらに下がる。彼の秘書だったのだから、逮捕の影響はある程度想定していた。だが、逮捕から1カ月以上経って、その影響はまだ残っているのかと、不思議に思うと同時に心配で、別れ際に見た雅綺の顔が頭に浮かぶ。
今から行く、そう一言だけ言うと祐毅は電話を切り、足早に颯毅の家へと向かった。
颯毅の家に到着すると、久し振りの対面にも関わらず、挨拶も早々にリビングへと通された。
10畳ほどのリビングには、壁際に大きなテレビがあり、それを望める位置にテーブルと三人掛けのソファーが置かれていた。ソファーには、両手で包み込むようにマグカップを持つ雅綺が、真っ黒いテレビ画面をぼんやりと見つめながら座っている。横顔だけ見て、彼女の暗い雰囲気を察した祐毅は、颯毅の脇を通り抜けてソファーにぐんぐん近づいていく。そしてその動きを察した雅綺は、振り向いて祐毅に気づくと、大きく目を見開いた。
「祐毅さん?!どうしてここに……」
慌ててマグカップをテーブルに置き、立ち上がる雅綺。既にソファーまで距離を詰めていた祐毅は、彼女の肩を両手でそっと掴む。
「君に話があって来たんだ。でも、とりあえず座ってくれるかな?具合が悪いと聞いたから、話をする前に少し診させて欲しい」
手でそっと肩を押し、ソファーの真ん中辺りに彼女を着席させると、祐毅はその隣に腰を落ち着ける。症状を尋ねながら、目の下のくまや下瞼の裏側を診たり、ペンライトを使って喉の腫れを確認したり。まるで子供を診察するように、ごめんねとありがとうを繰り返しながら一箇所ずつ丁寧に診察していく。雅綺が恥じらいに頬を染めていることなど、気づきもしない。医者として、と祐毅は思っているかもしれないが、実の妹とわかってから、彼は雅綺に対して無意識に過保護になっていた。
そんな二人を、壁に寄りかかりながら白けた目で見る颯毅。自分の順番はまだ先と判断した彼は、腹筋を使って壁から背中を引き剥がす。
「じゃあ、俺は隣の部屋にいるわ」
「いや、さっちゃんも一緒に聞いて欲しい」
隣の部屋のドアノブに掛けた手は、祐毅の言葉でピタリと止まる。颯毅が振り向くと、祐毅は雅綺の脈を測っていた。腕組みをしてドアにもたれ掛かること数十秒。脈を測り終えた祐毅は、そっと雅綺の手を降ろして礼を言うと、ソファーに座るよう颯毅に促す。彼が雅綺の隣に座ると、二人に聞こえるように診察結果を言い渡した。
「あまり眠れていないだろう?僕のせいで迷惑をかけてしまってごめん。でも、君が気に病む必要はないんだ。事件のほとぼりはいずれ冷めるから、仕事だからと割り切って、ただの作業だと思えばいい。病院を出たら、趣味や興味があるもののことを考えるんだ。こうして休みの日にさっちゃんとデートをするのは、気持ちの切り替えになるだろうから良いと思うよ。でも、さっちゃんも一応男だから、あまり信用し過ぎないようにね」
「えっ?あの、デー……」
「デートじゃねぇよ」
戸惑いを見せる雅綺と、ぴしゃりと否定する颯毅。そして、その二人の顔を交互に見て、ニコッと微笑む祐毅。この反応で何かを得たのか、冗談はさておき、と前振りを入れると、穏やかだが真剣な表情で雅綺だけを見る。
「雅綺。お母さんが、君に会いたがっているよ?」
”お母さん”という言葉で、雅綺は途端に顔を強張らせた。表情が見えない颯毅ですら、体を少し後ろに退くほど、彼女の纏う雰囲気がピリつく。
「君が家を出てからずっと、元気に暮らしているのか心配していたそうだよ。テレビで病院の取材映像を見た時、すぐに君が雅綺だと気付いたらしい。十数年、連絡を取っていないんだろう?そろそろ会ってあげてもいいんじゃないかな?」
雅綺の雰囲気を少しでも和らげようと、微笑を浮かべながら話す祐毅。だが、余程触れられたくない話のようで、眉間に皴を作ると、祐毅を見ないように顔を俯けた。
「君もわかっているんだろう?お母さん一人で君を育てるには、金が必要だったって。それに、悪いのはお母さんではなく、悪口を言う奴等だってことも。お母さんに仕事を変えてほしいと言ったのは、現状を変えたかったからだろう?その前にきっと、悪口を言う奴等にも抗ったはずだ。ずっと我慢していて、苦しかったから、家を出たんだろう?でももう、君を悪く言う奴はいないし、独り立ち出来ている。お母さんを避ける必要は、無くなったと思わないかい?」
諭すように、柔らかな声音で話し続ける祐毅は、彼女の顔を覗き込むように頭を下げる。上目遣いで視線を合わせようとすると、それに気づいた彼女は、顔を横に向けた。
「お母さんだって、今は元気だとしても、この先何があるかわからないだろう?僕は、雅綺が後悔しないか心配なんだ。会って、昔思っていたことや、今思うことを全部話したらいい。文句を全部、君の父親にも聞かせてやれ」
祐毅の言葉で、雅綺は一瞬氷のように固まる。バッと顔を正面に向け、彼の目を見ると、眉を顰めて再び顔を下げた。
「父は……私が物心つく前に、亡くなっています……」
「いや、君の父親は生きているよ。遺影を見たことも、墓参りをしたこともないだろう?今はお母さんと一緒に暮らしているんだ」
えっ、と困惑の声を漏らし、祐毅に視線を向ける。彼の目をじっと見て、嘘を言っていないと悟ると、神妙な面持ちで口を開く。
「どういうことですか?どうして祐毅さんが、私の父のことを知っているんですか?」
「それは……いや、その前に。事実を受け入れる覚悟はあるかい?」
覚悟はあるか、そう問われた雅綺は、唇をキュッと結ぶ。穏やかな声音とは相反する強い言葉に、何が隠されているのかを熟考するように、暫く黙り込んだ。
「……はい」
不安に眉を寄せつつも、瞳でしっかりと祐毅を見据える。準備はできたと主張する雅綺の瞳に頷いて見せると、彼は要点を絞って事実を話し始めた。




