第62話
一人になった祐毅は、誰の邪魔にもならない位置まで移動すると、鞄を漁り始めた。何かあれば連絡を、別れ際にそう言われてようやく、スマートフォンの存在を思い出したのだ。
スマートフォンは、証拠として押収されていたが、祐毅のもとへ戻って来た。彼の命に関わる事態が起きた時、すぐに助けを呼ぶことができるようにと、御武が返還請求をしていた。彼の犯行のほとんどはパソコンを介して行われており、スマートフォンはデータのコピーが終われば留置不要ということで、検察より返還されたのだ。尚、これは保釈請求ではないため、御武が祐毅の要望に背いたことにはならない。
保釈された直後から完全に周りのペースに飲まれ、スマートフォンを見る間もなく昼過ぎを迎えた。手探りで見つけたスマートフォンを引っ張り出し、電源ボタンを長押しする。こだわりのないロック画面をすいすいとなぞって突破して、電池残量やメッセージを確認。すると突然、スマートフォンは振動を始め、画面が切り替わった。落としそうになるも、なんとかキャッチしたスマートフォンの画面には、11桁の数字が並ぶ。それは、未登録の電話番号からの着信。その番号を暫し見つめてから祐毅は、顔を歪めた。彼は、電話の相手が誰なのか知っている。番号が未登録なのは、己が消したから。出たくない、でも出ないと御武が煩い、と葛藤している間に、長く震えていたスマートフォンは止まった。小さく息を零し、安堵する祐毅。だが、間髪入れずにスマートフォンは振動を再開する。画面に表示されたのは、先程と同じ電話番号だった。
御武に押された念が、頭にこびり付いて離れない。電話に出なければ、この番号から永遠にかかって来るか、御武から電話が来る。どちらにせよ、この相手とは話をしなければいけない。そう覚悟を決めると、一呼吸入れてから応答ボタンをタップした。
「……もしもし」
力のない沈んだ声で応答する。記憶に残っている声が聞こえるかと思ったが、電話の向こうはしんとしていた。聞こえなかったかと、相手の名を呼ぼうとした時だった。
「もしもし?祐毅君?」
懐かしい。そう感じると共に、少し震えているように聞こえた声。はい、と今度は先程より力を入れて答えると、良かった、という言葉の直後に、啜り泣く音が聞こえてくる。かける言葉を見つけられない祐毅は、そのまま沈黙を続けるしかなかった。
「御武君から、保釈されたって電話をもらったの。でも、繋がらなかったから、何かあったのかと思って……」
鼻声ながらも、電話の向こうから声が聞こえた。沈黙のお蔭か、話せる程度には気持ちが落ち着いたようだ。だが、今度は祐毅の気持ちが揺らぐ。聞こえてきた言葉が御武のしたり顔を思い出させてきたため、自然と眉間に皴が寄った。
「電源を入れ忘れていただけです。何もありませんよ」
安堵の吐息と共に、良かった、という一言が耳に届く。その後は暫く間が空いた。これは祐毅にもちょうどいい間で、相手に聞こえないように一呼吸。御武の顔と共に湧いた怒りを忘れようと努めた。
「今何処にいるの?時間があれば、会って話をしたいのだけれど……」
感情とは忙しいもので、相手の一言でコロコロと変わる。ゆっくりと俯いていく祐毅の顔は、酷く歪んでいた。
「……電話じゃダメですか?」
「ダメ。どうしても、会って話したいの」
祐毅の提案はすぐに拒絶された。しかし、そう簡単に”わかりました”と頷く男ではない。すぐに第二案を行使する。
「もう僕とは会わない方が良いと思います」
「どうして?」
「僕は犯罪者です。そんな奴と会ったなんて誰かに知られたら、あなたが有らぬ疑いをかけられますし、店が風評被害を受けるでしょ?」
”犯罪者”と彼は言うものの、実際”被告人”という立場は、犯罪の嫌疑をかけられてはいるが法律上は”罪を犯していない者”として扱われる。祐毅は、自分の立場を理解した上で、敢えてこの言葉を使った。自身が関わっていけない人間だと認識させるために。大抵の人間なら、我が身可愛さで祐毅の意図通りに動くだろう。
「そんなのどうでもいいわ。そう思いたい人がいるなら、勝手にすればいい」
「どうでも良くないでしょ。あなたは経営者ですよ?従業員の生活と安全を保障しなければいけない立場なんですから、立ち振る舞いは考えないと」
「だったら……」
耳に流れ込んでくる声が、ピタリと止む。途中で途切れた話の代わりに聞こえてくるのは、通行人の足音。だが、数歩も聞くと、続きの声が耳に飛び込んできた。
「私はオーナーを辞めて、お店は誰かに任せるわ」
「そんなっ!」
祐毅は、唐突に大声と顔を上げた。思いも寄らぬ言葉へ反射的に反応するも、視線の先に訴えかけるべき相手はいない。だが、視界の中には数人の通行人がいる。彼等の視線を感じると、温度の上がった顔を再び伏せ、声量を抑えて話を続けた。
「やっと叶った夢を捨てるんですか?こんなことで辞めるなんて、その程度の夢だったんですか?」
「こんなことじゃない!あなたに会うためなら、そのくらいのことをする覚悟はできてる」
何事にも例外は付き物。相手がそう簡単には諦める人ではないことを、祐毅は思い出した。残るは、多少酷い言葉でも、必要ならば言うしかないと考えていた最終案。深く息を吸い、意を決すると、その言葉を相手に聞かせた。
「僕は……会いたくないです」
想定外に声が震え、想像以上に心が騒めく。その言葉を相手がどう思い、どう行動するかは予想していたが、己に及ぼす影響までは考えきれていなかった。電話の向こうは静寂に包まれる。これで諦めてくれるならと、静寂が解けるまでは祈るしかなかった。
「……狡い」
「え?」
「自分ばかり言いたいことを言って、”はい、さようなら”って狡いじゃない!何も伝えられずに目の前から突然いなくなられた側の気持ちなんてわからないんでしょ!病院に行ったらもういなくて、御武君を頼っても私じゃ何もできないって突き返されて……電話で全部済ませようなんて、そんなに会いたくないの?!月に一回、お店に来るのも嫌だった?!そんなに……」
ポツリと呟かれた第一声が静寂を裂き、続けて早口の怒号が飛んでくる。それは当然の反応で、祐毅も想定の範囲内。黙って受け止めていると、次第に声は震えだし、ボリュームも下がっていく。
「そんなに私の事、嫌いだったの?」
「ちがっ!」
また反射的に大きな声が出る。今度は顔を俯けたままだが、顔を顰め、奥歯をギリッと噛み締めていた。更には、空いている手で、固く拳を握る。
「違うんです……そうじゃ、なくて……」
籠められた力で震える拳。その力は全身に広がっていき、肩や手に持つスマートフォンが小刻みに震えだす。自身の感情を宥めつつ、相手を傷つけずに諦めてさせる手段はないのかと、必死に頭を回した。
「一度だけでいいの。会って話を聞いて欲しい。そうしたら、ちゃんと気持ちの整理をつけるから」
相手から、気落ちした涙声が届く。一度だけ、という言葉が脳内で復唱された。会っていいものだろうか、本当に気持ちの整理がつくのだろうかと、彼は拳を解いた手でこめかみを押しながら考える。
「お願い……」
彼の思考に追い打ちをかける、悲痛な叫び。前回別れを告げた時も、同じようにか細く震えた声で懇願されたことを思い出す。
祐毅にも、相手の気持ちは理解できる。姉と祖父は突然亡くなり、母にも亡くなるまでにかけた声が届いていたのかわからないのだから。だが、その時抱いた感情と相手の抱いている感情が、同じかどうかは推し量れない。加えて、同じと仮定することは自惚れに当たる。しかし、相手が自分をどう想ってくれているか、察しの悪い人間ではない。
自身の心にのしかかるあらゆる感情を払いきれなくなった彼は、静かに瞼を閉じた。
「……わかりました」
承諾する以外の道が見つけられなかった。会って話して納得してくれるなら、もうそれでよいと、自身に落とし所を用意してやるしかなかった。
「ありがとう……」
明るさを僅かに取り戻した涙声。感謝の言葉に安堵する一方で、会うことに対する不安と心配が拭えない祐毅。だが、言葉とは撤回できぬもの。待ち合わせの詳細を相手と詰めながら、彼は徐々に覚悟を固めていった。




