第61話
恐怖と不思議が混ざり合い、顔を歪める祐毅。崇志は一瞬目を点にするが、すぐ穏やかに笑って見せた。
「お前や仁田、小夜子が変えてくれたんだ。今までの私は、有り余るほどの金と人を意のままに操れる権力があれば、幸せだと思っていた。だが、その考えは間違いだと、小夜子と一緒に暮らすようになって気付いたよ。彼女と過ごす時間は心が満ち足りて、苛立ちや不安を感じない。自然と”幸せだ”という感覚が芽生えた。そして、お前が逮捕された時には、いくつもの過ちを犯していたと痛感したんだ。小夜子は、雅綺に会えない悲しみをずっと抱えている。私の過ちが、今も彼女を苦しめていると思うと、胸が痛かった。そして彼女を見ていて、お前にも同じことをしていたと気が付いたよ。家族と引き離してしまっただけじゃない。父親という肩書を利用して、お前に非道な行いばかりした。小夜子は、会えずとも雅綺の身を案じていたのに、私は近くにいたお前の身を案じるどころか、傷つけていたとな。仁田の方が、余程お前の父親らしいことをしていた。金で育てるだけが親ではないということが、今になってわかったよ」
力を失ったことで初めて知った、己の幸せ。最初は、全てを奪った祐毅を恨んだであろう崇志も、幸せを実感するなかで、祐毅がいなければ得られなかったと考えを改めていった。そこから少しずつ、愛する人や友人、息子の影響を受けて、彼の思考は変化し続け、祐毅から見れば別人だと思うほどの変貌を遂げた。
「私はこれまで犯した過ちに対して責任を取りたい。だが、償うべき家族は、もうお前しかいないんだ。だから、皆の願いである、お前を幸せに長生きさせるために、手を尽くそうと思っている。それに私も、願いは同じだ。私が幸せに気づくきっかけは、お前がくれた。これは本来、親が子にしてやるべき事だ。だが、私が幸せを履き違えていたせいで、何もしてやれなかった。今更ながら父親として、お前の幸せを願いたい。私の償いは、お前を生き永らえさせる事、そして、お前が罪を償い終えた後に幸せを掴むための道を作る事だ」
崇志は、過去の行いを過ちと認め、反省し、可能な限り償おうと決めた。彼なりに見つけた償いの道は、戸籍だけではない父親としての役目を果たすための道でもある。
面と向かってここまで言われれば、記憶にある崇志を上書きせざるを得ない祐毅。罪を犯した自分を見捨てない人間が、ぽつりぽつりと現れる現実に、僅かに思想が揺らぐ。
「でも……僕が死刑を回避できるとは、とても思えません……」
「御武君が色々と考えてくれている。法の解釈は、私には難しくてわからないが、法律の専門家である彼を信じよう」
伏し目がちで話す祐毅に、微笑みながら励ましの言葉をかける崇志。
「きっとお義父さん達も守ってくれる。それに、多くの人を救ってきたお前なら、運が味方してくれるだろう。お前は私とは違い、誰かを救うために自らが犠牲になることを厭わない。そういう人間には、救いの手が差し伸べられるはずだ」
崇志の話の途中で、祐毅はバッと顔を上げた。目をぱちくりとさせ、口をポカンと開け放つ彼を見て、崇志はどうしたと言いたげに首を傾げる。
祐毅には、崇志と自分の関係において、ずっと嫌悪していた言葉がある。双方と会った者からは、必ずと言っていいほど浴びせられてきた。その言葉を、相手が目の前で否認した事実に、開いた口が塞がらなかった。
「僕が……あなたとは違う……?」
祐毅が何に驚いていたのか、その言葉で察しがついた崇志は、あぁ、と納得した声を出す。
「度々言われたな、似ている親子だと。小夜子にも言われたよ。初めて店を訪れたお前が、出会った時の私にそっくりでとても驚いたと。だが、それは外見の話だ。私達の性格や思考はまるで違う。周囲を踏み台にして自己満足に浸っていた私と、罰を受けようとも誰かを救おうと行動したお前とでは、似ても似つかない」
祐毅は今まで、崇志と似ていると言われることが、嫌で嫌で仕方がなかった。容姿だけでなく、彼だけが知る残忍な性格までもが似ていると言われているようで、不愉快だった。だがその言葉は、祐毅の人柄を知らぬ者が、崇志の裏の顔を知らぬ者が、第一印象を述べたに過ぎない。崇志への深い恨みから、言葉に囚われ過ぎていたのかもしれないと、彼は気づき始める。
「私は反面教師だったろう。育ててやったなどと恩着せがましいことを言ったが、お前は自分の力でここまで成長したんだな。過ちは犯したが、人を救うために行動できる立派な大人に……立派な医者になったな」
取り消すことのできない過去の言動を悔い改めると同時に、当時は気づけなかった息子の成長を褒める崇志。彼の言葉にも、微笑みにも、当時は感じ得なかった温かみが籠っていた。
祐毅は、父や祖父の偉業に憧れ、医者を志した幼少期を思い出す。褒められたい、背中を押してほしい。当時抱えていた気持ちが想起されると、無意識に唇を噛み締めていた。
「祐毅。お前は自分の幸せが何か、明確に理解しているか?仁田には、人を救うことに命を費やすことが幸せだと言ったそうだが、本当にそうなのか?だとしたら、生き永らえてもっと多くの人を救いなさい。今回の一件のように、お前だからこそ救える人がいるはずだ。世の中を変えたいなら、手法を変えて、また挑戦すればいい。だがもし、自分の幸せが何かわからないようであれば、生き永らえて探すんだ。私だって、この歳になって幸せが何かを知ったのだから、自分の力で生きてきたお前なら、きっと本当の幸せを見つけることができる。罪を犯したのだから幸せなど求めてはいけないと思っているかもしれないが、お前は人を救ってきた。人を救うということは、その人が幸せになる手助けをしたと言えるんじゃないか?因果応報、これは悪行ばかりを指すのではなく、善行にもそれ相応の報いが返って来ることを言う。お前にも幸せが巡って来てもいいんじゃないか?御武君や私は、その手助けをしたいんだ」
祐毅が自殺を止め、仁田に紹介した者の中には、治療を終えて社会復帰した者もいる。脳死状態にした者から移植を受けた患者がいるとすれば、幾人を救ったことになるのか。祐毅が積み重ねてきた、善行と悪行。後者の報いばかりを考えていた彼には、虚を衝かれる提言だった。
身に寄せた左手は太ももの上にだらりと垂れ、右手は日記を持ち上げる力を無くし、その重みをテーブルへと預ける。眉を顰め、日記に視線を落とす祐毅。似たような表情で様子を伺う崇志は、言葉が返ってこないと見ると、フッと微かな笑みを浮かべた。
「何年も前に下した決断を、急に考え直せと言われても難しいだろう。初公判までまだ時間があるから、じっくり考えなさい。ただ、お前に幸せに生きてほしいと願う人もいるということは、忘れないでくれ」
「……わかりました」
弱々しい声ではあるが、はっきりと承知したことを言葉で表す。崇志は、その言葉が聞けて満足とばかりに深く頷いた。続けて崇志は、再び鞄の中に手を入れる。取り出した物は、カチャッと音を立てて祐毅の前に置かれた。
「裁判所にはあの家に住むと申請した。いると気まずいだろうからと、小夜子は数日中に出て行くそうだ。私と暮らすことになるが、不満であれば私も出て行くか、どこかにお前の住む部屋を借りよう。逃走の恐れがないか、随時確認ができれば同居は必須ではないし、裁判所の許可が下りれば住所変更も可能だそうだ。だが、あの家はお前の実家なのだから、一度くらいは帰ってきなさい」
それはキーリングすら付いていない、実家の鍵。祐毅は、大学進学と同時に家を出る時、自室の机の引き出しにこれを置いてきた。もうこの家には帰らない、その決意と共に。
「……はい」
低く力のない声で、これも承知したと最小文字数で返す。それもそのはず。彼が住んでいたのは、あの廃業したクリニック。今は事件現場として差し押さえられてしまい、戻ることは叶わない。
数グラム程度の鍵を、重たそうにゆっくりと拾い上げると、数秒見つめてから鞄に仕舞い込む。その動作を終わりまで見守った崇志は、少しだけ上げていた口角を定位置へと下げ、短く、だが大きく息を吸う。
「それと祐毅……お前に、頼みがある。私の償いに協力してくれないか?」
鍵を仕舞い終えた祐毅は、ゆったりと正面を向く。その顔は、意を決した崇志の力んだ表情とは裏腹に、何も考えていなそうな無気力な表情をしていた。
「雅綺を、説得してくれないか?小夜子に会わせてやりたいんだ」
二人の名が耳に入ると、祐毅の瞳が僅かに力を取り戻す。別れ際の雅綺を思い出し、次に雅綺と小夜子が笑顔で抱き合っていた昔の姿が脳裏に蘇った。家族を亡くした自分と同じように、離れ離れになってしまった家族がもう一組いる。そう思い至ると、少しずつ顔が引き締まっていった。
「小夜子も、私が苦しめてしまった一人だ。雅綺に会わせてやりたいが、私だけではどうすることもできない。図々しい頼みだと承知しているが、手を貸してくれないだろうか?」
肩をすくめ、眉を顰め、時々声が震える崇志。全身から強い後悔が滲み、その中に僅かな羞恥心がちらりと伺える。
「私は会えなくても……父親と名乗れなくてもいいんだ。だが小夜子には……小夜子にだけは会わせてやりたいんだ!……頼む、祐毅」
ゴンッという鈍い音と共に、崇志はテーブルにピタリと額をくっつける。頭を下げたのは、今日だけで二回。まだ崇志の性格を上書き途中の祐毅は、再び毒気を抜かれた。
自身のためだけであれば、恐らく頭は下げなかった。愛する人のためだからこそ、彼は懇願している。自身を陰ながら支え、不満の一つも表に出さなかった小夜子。彼女の苦しみから長年目を逸らしていた崇志は、その原因が自分であると認識し、ようやく現実を直視した。愛する人の幸せのためなら、自身のプライドも父親としての存在証明も二の次。祐毅の沈黙の長さと比例して伏し続けるその姿勢は、了承してくれるまでは動かない、そんな覚悟を示しているように見えた。
人生は、いつ何が起きるかわからない。一方に大事が起これば、他方は後悔を背負って生きていく事になる。それがどれほど辛く苦しいことか、身に染みている祐毅は、それほど待ち時間を与えずに返答した。
「わかりました、説得はしてみます。ですが、会うかどうかは彼女次第です」
祐毅の声が聞こえた崇志は、勢いよく顔を上げた。額に汗を滲ませ、目を白黒させ、口は開いているが、なかなか言葉が出てこない。祐毅がすんなり頼みを受け入れるとは、想定していなかったようだ。
「あ、あぁ、すまないな、それで構わない。それと、私のことは話さなくてもいいが、お前が異母兄弟だということは話しておきなさい」
「いや、それは!……犯罪者が血の繋がった兄だなんて、知らない方が雅綺も幸せだと思います……」
祐毅の頭に、別れ際の雅綺が過る。逮捕されると知りながら、最後は”兄”と呼んでくれた。ままごとではなく、本当の兄だったと話せば喜んでくれるかもしれないが、犯罪者という己の存在が、彼女の人生に悪影響を及ぼさないか、不安で仕方がなかった。
「判断はお前に任せよう。自分の家族は小夜子だけでなく、紬祈も含めて兄妹だと知れば、雅綺も嬉しいのではないか?それに、家族を大切に想うお前にとっては、心の支えになると思うんだ。私もいつまでお前を支えられるかわからないから、雅綺がいてくれれば、安心なのだがな」
苦笑する崇志の言葉は、祐毅の将来を想っての提案だった。意見が一致する部分もあるが、これは家族間だからこその意見。世間では、優しい反応を示す人が少数派。繊細な話ゆえ、ここで答えは出せなかった。
概ね話し終えた二人は、店外へと出る。扉が閉まると、崇志は振り返り、祐毅に向き直った。
「家に日用品は揃っているが、衣類は買い揃える必要がある。私は先に帰るから、買い物をしてくるといい。何かあれば、連絡しなさい」
「……わかりました」
受け答えはするが、崇志と目を合わせずに小さく頷く祐毅は、細々とした声をしていた。必要な話は終えた崇志だが、その様子に違和感を覚えると、眉を寄せ、祐毅をじっと見つめる。尚も目が合わぬ状況の中、彼はそっと祐毅の肩に手を置いた。
「あまり心配はしていないが……帰って来るんだぞ」
「っ!……はい」
肩をビクッと震わせ、見開いた目でようやく崇志に視線を向ける祐毅。目が合うと、一拍間を置いてから崇志は微笑を浮かべる。肩を2回軽く叩き、首を縦に2回振ると、後でな、と言い残して祐毅に背を向けた。
自身の様子から、彼は何を察したのか。最後に掛けられた言葉の意味を考えながら、祐毅は崇志の背中を見送った。




