こうして夫は辺境に送られました
エリウス視点です。
とにかく、何度も繰り返すようだが、あの頃の俺は浅はかだった。同じ志を持つ者、貴族としての責務を全うし民を守る政治を行おうとする者が身近にいなかった分、民の苦しみや貴族の腐敗を見る度に焦りを覚えていたのだ。だから、あのようなことをしでかしてしまった。
王城は、確かに俺の生まれた家である。だが、家に帰るのではなく城に乗り込む。物語の勇者のような気持ちで、普段は通らない正門を抜けた。
兵士や貴族の静止を振り切り、時には剣を抜いてその抜き身を晒し、相手が怯えたところで押し退けて前に進む。こんなに堂々と、抜刀した状態で王城の中心部を歩いたことなど、今の今まで一度もなかった。この光射す眩き舞台を歩けるのは国王や王妃、そして王妃が産んだ兄王子だけで、身分の卑しい女を母とする俺はここを歩くことが許されなかった。
身分の貴賤は確かにあるとはいえ、言ってしまえば王妃も、母も、つまるところ国王の妻で、兄も俺も、たかが腹が違うだけの国王の子なのだ。それが何故、どうして、このような扱いの差へと繋がってしまったのだろう。幼い頃から不思議で仕方がなかったが、この日を境にそのようなくだらないものも壊してしまおう、とも考えていた。
王の謁見の間。二つ並んだ玉座のうち片方、国王のものには誰も座していない。そのかわり、隣の王妃のものには王妃カトリーナ本人が。そして領民を苦しめることを良しとする悪しき貴族らと、彼らの悪行を容認している兄王子キースも、その場にいた。好都合だった。
「! お前は……エリウス! 何故ここに!?」
王妃カトリーナがそう叫び、貴族たちがざわめく。あれが庶子の、だとか、近頃暴れまわっているあの、だとか。だが、俺が少しだけ手首を捻って剣に光を反射させてやれば、瞬時にその場が静まり返る。彼らは愚かではあったが、馬鹿ではなかった。殺されるやもしれぬ、と危機を察したのだ。
だが、この場で唯一動く者がいた。兄王子のキースだ。
「エリウス……お前、何をしてるんだ! 早くその剣を仕舞え!」
相変わらずの細い体に白い肌。日頃から剣を握る男に抵抗さえもできそうにない王子が、何の警戒心もなくずかずかとこちらに近づいてくる。その顔はまるで弟のおいたを叱る兄のよう。今更そのような顔をしたところで、もう遅いというのに。
迷わずに抜き身の剣を振るう。キースは何が起こったのかわからない様子だったが、鼻筋から血が溢れてきたことでようやく事を理解したらしい。
「あっ……え、い、痛イイイイイイッ!」
「キース! ……エリウス、お前!」
たかが鼻筋を少し掠っただけだというのに、キースは情けなく崩れ落ちて痛みに悶える。我が子が苦しむ様子に母のカトリーナが俺に怒りを顕にするが、ほんの少しだけ血のついた剣をちらつかせれば再び口を閉ざした。憤りはしても、この場で救うための力は何も持っていないのだ。権力や富を貪り続けた末路がこれなのだろう。
この、己の体で戦う術を持たない者たちを前にした時、ふと、悪魔の囁きのようなそれが聞こえた気がした。
王妃を倒しても、その次に政治を行う者が王妃の息がかかったものでないとは限らない。本来の予定であれば、このままひ弱なキースの身柄を盾に王妃をその椅子から引き摺り下ろすつもりだったが、例えキースが改心したとしても現国王の二の舞になるのではないのか。貴族たちに都合がいいように利用されるだけの傀儡になるかもしれない。そうなれば、王妃を下ろす意味がない。
──なら、俺が王になればいい。
王位継承権を持つ兄を殺し、権力を持つ王妃を排除し、俺が王となって弱きを助け悪を挫く。そうだ、そうすればよかったんだ。上に王位を継ぐ者がいるのなら、それを消してしまえば。
騒ぎを聞きつけた兵士たちが一斉に謁見の間に雪崩れ込む。が、それらを斬り伏せてキースだけを狙う。兄は案外、逃げることだけは上手だった。何回切り刻もうとしても、掠ったり、時には深く剣が入り込んでもすんでのところで止まってしまったり。見た目に反して骨が太いのか、それとも俺の技量がまだまだだというのか。そんなことはどちらでもよかったが。
慌てふためく貴族たちに泣き叫ぶ王妃、逃げ惑う王子。こんなにもあの、剣を握ったことさえもなさそうな兄を殺すことが難しいとは思いもしなかった。この場で殺せないのならせめて、体を深く抉って、快復が望めずに亡くなる体にしなければ。
その場にいるのが兄や戦う力のない者たちだけだったら結果は変わっていたかもしれない。結局、兵士たちの数には勝てずに俺は取り押さえられ、即刻投獄された。
兄に深手を負わせることはできなかった。俺はこのまま罪人として処刑されるのだろう。湿り気の強い、鬱蒼とした石造りの牢獄の中でただ呆然としていたその時、コツ、コツ、と靴音がどこからか響いてきた。兄はこのような歩き方はしないし、王妃でもないだろう。年老いた者の歩き方で。
「……エリウス。このような姿になって……」
「……ちち、うえ」
そこにいたのは、実の父親でもあり、そしてこの国を治める本来の権力者、国王オークスであった。
皺だらけの弱々しい手を伸ばすが、それは俺には届かない。ボソリ、と父は独り言を漏らすように話し始めた。
「お前は……これから罪人として処刑される」
「……わかっています」
久しく会っていなかった父。何年振りだろうか。彼は母の葬儀の時に参列していただろうか。記憶にないのだから恐らく彼はいなかった。ならば、一体どれだけの間、実の父の顔を見ていなかったのだろう。
オークスは手だけでなく声も震わせて、言葉を続ける。
「だが……お前は処刑されることはない……エリウス、お前を罪人として辺境に送ることにした」
「辺境……? 何故ですか、何故、処刑されないのですか!」
「どうかわかってくれ……お前のためだ」
オークスは話した。此度の事件はいずれ表沙汰になってしまうと。だから、民衆が受け入れやすいように事実を変えて──婚約者を巡って兄弟で争ったことにし、その罪でエリウス=ミル=アインツアルトは王位継承権を剥奪されて辺境に送られるのだ、と。
「ッ、そのようなこと! 事実でも何でもありません! 私は死を厭いません、私の死をもって民衆に本当の事を!」
「私は! お前には……生きていてほしいのだ……」
彼は、父親の顔をした。実の息子を守ることさえできない、無力で哀れな父親の顔だった。それを見てしまえば最後、もう口答えなど出来はしなかった。
これでエリウス視点は終了です。次回更新は6月27日20時となります。




