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大嵐の前の嵐



 とにかく、この頃の俺の頭は「どのようにして貴族の腐敗を正すか」でいっぱいいっぱいで、とてもではないが女性に構っている暇はなかった。余裕をもって周囲を見渡すことができないほど幼かったのかもしれない。


 平民騎士の駐屯所に毎日のように通う貴族の子女、サーシャ。彼女は生まれつきの貴族であり、それなりに貴族らしい矜持はもっている。だからだろうか、王都の煌びやかな物には惹かれても汚らしい平民には近寄ることはなかった。

 彼女は駐屯所に来ても騎士たちに愛想を振りまくことなく突っ切り、決まって俺の傍へと駆け寄ってくる。そしてまるで恋人のように振る舞うのだ。平素ならキッパリと拒絶の意志を告げてしまうのだが、その時はそれどころではなかったから適当に受け答えをしてしまっていた。


「エリウス様! 私の騎士様! どうか私だけの御方になってくださいませ!」

「……申し訳ありません。勤務中ですので」

「照れ屋さんですこと! うふふ、でもいいわ。エリウス様、あなたは平民の騎士なのですから、貴族の私と結婚できるとなればきっと喜んでくださいますもの!」


 王族の俺とたかが一貴族の娘がそうも簡単に婚約できるものかとあしらっていたが、この時すでにサーシャの中では俺は彼女の婚約者になっていたらしい。その思いこみが噂として平民に、そして貴族に広まり、取り返しのつかなくなったところで国王の承認の下、「ワークト家との結びつきを強めるための政略結婚」として本当の婚約関係を結ばされてしまった。サーシャの妄想が「二人は互いに愛し合っていた」という噂に変わってしまったのではないのだろうかと、今になってそう考えた。



 サーシャがいなくなり、ようやく落ち着いて勤務に戻れると思って時刻を確認すれば夕刻で。思わず頭を抱えてしまった俺の肩や背を他の騎士たちが慰めるように叩いてくるが、顔はどう見てもからかいの表情を浮かべている。彼らに、人が大変な思いをしているのを見て喜ぶような悪癖があったとは。


「それはそうとエリウス。調べといたぞ。ツテのある俺に感謝するんだな」

「! すまない、ありがとう」


 今度は肩を手ではない何かで叩かれる。振り向けば、数枚の紙がそこにあった。ニッと笑う騎士に手早く感謝を述べて早速目を通す。


 ──ワロン=ケルヒの命により十年ぶりに税率が変動。一人当たり小麦五袋だったのが小麦二十袋に増税。麻や綿などの織物を代わりに納めることもできるが、麻十巻、綿七巻で許されていたのが麻二十巻、綿十五巻に変更。兵役の変更はなし。近年不況続きだったこともあり、税を支払えなくなったことでケルヒ領から逃亡する領民が出たが、その多くは領境の検問にかかり戻され……。


 随分と古い、だが手触りの良い紙だ。尋ねると「貴族のおうちには要らない紙が多いんだと」と返された。大方、書物の複製を頼むのに用意されていた物なのだろう。すっかり黄ばんでしまっているが、それでも紙の本職は書かれることである。情報を伝達できるのであれば、何でもいい。

 一枚目を読み終えて二枚目に移る。


 ──ロード=ルーパーの命により二年ぶりに税率が変動。小麦五袋から十袋に増税。代わりの麻や綿も十巻、七巻だったのが十五巻、十三巻に変更。兵役に妙齢の女性も含まれるようになった。応じなかった娘は捕縛される。兵役に臨む女性の多くは訓練用の槍を持つことすらなくルーパー邸の別館に閉じ込められる。死ねば遺体は山に……。


 ケルヒ領とルーパー領に関する詳細が記載されている。読んでいるだけでこんなにも気分が悪くなるものだというのに、調べてくれた者はきっと、もっと不快な思いをしただろう。


「……なぁ、本当にどうにかできるのか? 上に掛け合ってもまともに対応してくれないんだろ?」

「……どうにかするんだ。俺が」


 兄王子で、政治に関わるキースは動こうとはしない。国王もまた、動かないだろう。貴族が貴族の腐敗を見て見ぬふりをするのなら、それを正すのは、民を虐げる貴族から人々を守るのは誰だ?


 ──俺が、「正義の騎士」になるんだ。


 俺には政治的な権力など何もなかった。だから俺が何か言ったところで腐敗した貴族たちには何も響かない。

 彼らを変えるにはどうすればいいか。答えは簡単だ。脅迫に用いる権力が「力」なら、武力もまた「力」なのだ。


 それからの俺は、弱きを助け悪を挫く物語の主人公のように、民を苦しめる悪しき貴族の邸宅に乗り込んでは脅迫──有り体に言ってしまえば暴れ回っていた。ある者はその行いを改めて良き領主となることを誓い、ある者は俺に追い詰められた末に自害した。後味の悪い結末になってしまったこともあったが、それでも彼らの死を悲しむことはできなかった。何故なら、彼らは死んでも償いきれない罪を背負っていたからだ。


 こうして貴族の家に乗り込むうちに、段々と腐敗の元凶がわかってきた。彼らは皆、王妃カトリーナと何らかのつながりがあり、王妃に取り入るためのものを用意するために民を苦しめていたのだ。

 恐らく、末端を正すだけではいつまで経ってもこの国は変わらない。変えるのなら、大元を正さなければ。


 駐屯所の中庭にて剣の錆を取りながら、ふと上を見る。日差しの入らない曇り空に、空の灰色を映し出して濁った色になった白亜の城。ここに、元凶が根付いている。

 俺は、意を決して剣を握った。

次回でエリウス視点は終了です。次回更新は6月25日20時となります。

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