夫の変化
エリウス視点です。
夜。昨日の続きを、と妻のマグノリアにせがまれた。言われずとも自分から切り出すつもりでいたが、重要な情報を聞き出すためとはいえ、こうして話をせがまれるのは嬉しいことだ。彼女とはいい関係を築けてきているのではないかと思う。
今夜の寝所の番はメイドのマーノだ。ラミアほど図々しくはないが、根はあの少女と何ら変わりない、話が大好きな女性である。今もこうして寝所の番が座る椅子にて大人しくしているが、明らかにこちらの会話を聞き逃さんとばかりに集中しているのが衝立の向こうからでも十分にわかるほどだ。寝所の番とは一体何なのか、わからなくなってしまいそうだ。
サーシャと出会ったのと同時期に、兄王子のキースが公的に政を行うようになっていった。
最初はキースが何をしていようが、本当に微塵も興味がなかった。俺はただ騎士として訓練に励み、市井の人々を助けて「正義の騎士」になれればそれでいい。そう、思っていた。
「おい、聞いたか。ケルヒ領の話……税が上がったって……ここ不作続きだったんだろ? 大丈夫なのか?」
「大丈夫だったらここまで話は広まらないさ。近々お袋がこっちに引っ越せるように手続きするつもりだけど……幼馴染が一家揃って……」
「……なんてこった。最近じゃ、ルーパー領もやばいんだろ?」
「税はケルヒ程じゃないけど、そのかわり年頃の娘が連れていかれるらしい……帰ってこないってんだからもう……」
王城を取り囲むようにして存在する街並み。雲一つない青空の下、綺麗な石畳の上で交わされる、薄暗い話。それを耳にした時、嫌なほど心臓が早鐘を打った。
貴族が、本来なら特権を与えられている代わりに己の民を守る立場にある貴族が、民を虐げている? 何故? 何のために?
「この国ももう、終わりかな」
そう、平民の男が諦めたように呟く。否定的な意見はそこには出ず、皆、力なく頷くばかりであった。
そうしているうちに人々の話題は隣国の存在へと移っていた。どのくらいの金があれば隣国に移り住めるだの、越えるべき山に魔物は住んでいないかだの、そもそも別国の民は受け入れてもらえるか、だの……。
──父は、兄は、この事実を知っているのだろうか。
今すぐにでも二人に会いたいのは山々だったが、血の繋がりのある王族であるにも関わらず俺は城内を自由に動くことができない。兄は向こうから来ることが多かったからまだしも、父に会うことは滅多にできるものではなかったし、そもそも会うことが許されなかった。だから、兄が来る夜を待つしかなかった。
騎士団での勤務を終えて城の外れの塔に戻った後も、決して鍛錬を怠ることはなかった。これは正式に騎士登用試験を受ける前からの習慣であった。一刻も早く強くなりたいと思う気持ちから始めたが、その実は一人であることの孤独を紛らわせるためだったのかもしれない。
そして、それを見に来るのも、恐らくキースの習慣だったのかもしれない。その日の夜も、予想通りキースは来た。
いつもならキースが来たことも、そして帰ったことも気づかないことが多いのだが、その日だけはキースの来訪にすぐに気がついた。木剣を振るう腕は止めないまま、声かけもなく現れた兄に挨拶をすれば彼はひどく驚いた顔をした。
「兄上、お話があります」
「お前が、俺に? ハッ……何だ」
「ケルヒ領とルーパー領についてです」
「ケルヒとルーパー……ああ……」
キースは与えられた単語を思い出すようにして夜空を見上げ、程なくしてこちらに向き直った。「あの二領がどうかしたか」と返される。
「ケルヒ領、ルーパー領共に重税が強いられているようです。その上ルーパー領では女性の拐かしも行われているとか。どうかご対応を願います」
この時の俺は、もしかすると無意識のうちに政治を兄が行い、武をもって俺が動く、と役割分担をしていると、兄弟でそれぞれの分野において国のために戦うのだと、そう夢物語を描いていたのかもしれない。今からして思うと俺は穢れを知らなさすぎたし、兄はきっと、多くの穢れたものを見てきたのだ。
「……何故だ?」
「何故って……貴族が、守るべき民を虐げているのです。これを止めさせない理由はありません!」
怒りを顕にしないように、と気をつけていたが、それでも次第に言葉に荒さが加わっていく。この主張は受け入れられるべきもので、誰もがそう思うと考えていたのだから。
段々と感情的になる俺に対して、キースは平然と、数分前と何ら変わりない様子でそこに立っていた。
「何も、そこの領主だけがやってることではない。どこも皆、たいていは似たようなことをしている。当たり前だろう」
何てことはない、と言いたげな顔のキースに、思わず素振りをする動きが止まる。
幼い子供が見る幻想が、崩れた気がした。
これは後で俺が自分の手で調べたことだが、この国の王とは名ばかりの国王であり、実際に権力を握っているのは王妃──キースの母、カトリーナだった。民を虐げていた貴族らは王妃カトリーナに擦り寄り、王妃は欲しいものを献上させる。貴族らは対価として富や権力を得る。民草の苦しみの上に彼らの関係は成り立っていたのだ。
そしてキースもまた、次期国王としての権威を固めるために、王妃と同じ道を歩もうとしていた。
この時、この瞬間、心の中の「正義」が訴えかけてきた。
──お前は、「正義の騎士」になりたいのだろう、と。
次回もエリウス視点、投稿は6月23日20時となります。




