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誘拐犯を雇うことにしました



 湯の入った桶と手拭い、それから衣類一式を持って、エリウスが来るまでは使っていた寝室──自室に入る。すると、ベッドの上に誰かがいた。先客──私を拐かした「男」だ。


「兵士たちや兄上に酷いことはされませんでしたか?」

「いや……驚くほど何もされなかった。まあ、俺に死なれたら困るだろうからな」

「でも手足は縄で縛られてますわね……ふ、ん……っ! ほ、ど……ッ、け、ましたわ」


 男の拘束を解いて体の自由を与えてやると、男は「いいのか」と尋ねてきた。


「私と貴方の仲ですもの。こんなものは要りませんわ」

「俺がお前を手篭めにしてしまうかもしれないぞ」

「貴方、そんなことをする方でして?」


 服を脱ぐように促せば、男は小さく笑って私の指示に従った。

 案外、男は小柄だった。筋肉はついているがウチの男どもに比べれば細身で、傷は多いが肌は焼けていない。恐らく闇に紛れて「仕事」をすることが多かったのだろう。


「それも外してくださる? 体が拭けませんわ」


 適温の湯にじゃぶじゃぶと手拭いを浸しながら「それ」を指差す。男は一瞬だけ息を詰めたが、やがて観念したように、ゆっくりと「それ」を外していった。

 体に何重にも巻かれた、汚れてしまっているが、手触りのいい絹の布。それが取り払われ、先程までは確認できなかった胸元の脂肪が顕になる。


「まあ! 大きいですわね……」

「俺には必要ないものだ」

「今すぐ切り取って私の体にくっつけたいですわ」


 なんてことを考えるんだ、と非難が飛ぶ。が、それを無視して早速「男」の羨ましい体をいそいそと拭き始めた。


「貴方、お名前は何といいますの?」

「……ヤトラ」

「家名もありますでしょう?」

「……ソドリア家の嫡男、だった」


 ソドリア領は、王都の西方に位置する小さな土地である。そして現在は家が取り潰しに遭ったこともあり、他貴族の治めるところとなってしまっている。


 エリウスが王都でしでかした悪行──本人は善行だと思っているが──の一つに、悪政を敷くソドリア家の追及というものがある。

 領民に重税を強い、食糧の蓄えを奪っていく。その上、領民たちを鉱山で執拗に働かせて使い潰した。ソドリア家領主は奪った食糧や鉱石類のほとんどを第一王子や王都で権力を握る貴族たちに渡し、対価として得た椅子にふんぞり返っていた。

 エリウスは守るべき民たちの苦しみの上に座る男を許せなかったのだろう。散々追いかけ回して悪事を追及した結果、追い詰められたソドリア家領主は自害、家督を継ぐ者は行方知れずで家は取り潰しになった、という話である。


 これだけ聞けば、エリウスが正義の男で、対してソドリア家領主が典型的な悪者に見えるかもしれない。

 だが、事実はもっと複雑だった。


「俺のせいで……父は、権力に屈した。汚い笑い方をする腐れ貴族どもにこうべを垂れてまで、父は……」


 ヤトラの声は震えていた。思わずギュッと抱きしめてやれば、ヤトラは大人しく私の胸に頭を預けてくれた。


「……小さいな」

「喧しいですわね。フォーレイン領が豊かになればもっと大きくなりますわ」

「ははっ。本当に……俺のを全部くれてやりたいぐらいだ……」


 ヤトラは軽口を叩いて今まで通りの飄々とした態度を保とうとしていたが、やがて何も話さなくなり、声もあげずに泣き始めた。

 ポロポロと涙が溢れる度に、私の服へとそれが染み込んでいく。「声をあげてもいい」と言ったが、ヤトラは弱々しく首を振って、より強く私の胸に顔を埋めた。



 ソドリア家は、子どもに恵まれなかった。間もなく老齢に差しかかるソドリア夫人がようやく一人赤子を産んだが、その子は女児だった。

 女子は、家を継ぐことが許されない。子が女子しかいない場合は婿養子をとって家督を継がせるのが一般的なのだが、ソドリア家の当主は、血の繋がりのない他人にソドリア家を任せることをよしとしなかった。


 そして、産まれた赤子──ヤトラを「男子」と偽って育てた。


 他所の人間が見れば、ソドリア家当主の判断が浅はかであったと考えるだろう。だが、当の本人はくだらない矜持と、自身と配偶者の老いに悩まされて悪手を打ってしまった。その結果、中央の貴族たちに弱みを握られてしまったのだ。

 弱みを握った貴族がすることと言えば、大体、それを秘密にしておく代わりに何か見返りを要求する、というものだ。そして父親は、家と、何より男子として育てた娘を守るために、領民を犠牲にした。そこからは先述の通りである。

 家が取り潰しにあった後、ヤトラは日の当たらない世界に逃げ込んだ。男として育成されたために得ていた手腕を活かして、今の今まで生き延びていたのだという。

 

 ヤトラの話を聞きながら体を拭いていく。すぐに手拭いが汚れてしまうし、湯に再度浸せば湯も濁ってしまう。頬を伝って私の目からも涙が零れ落ちた。聞いていて、胸が締め付けられる思いだった。


「それは、大変でしたわね……」

「同情はいらない。俺は今の方が気楽で……」

「定職がないというのは、さぞお辛いでしょう」

「そっちかよッ!」


 呆れたように溜め息を吐くヤトラ。変なものを見るかのような目を向けられても、私は動じない。定職がないということは定住できていないということでもあり、定住できていないということは眠る場所さえもまともに確保できていないということである。そのような生活は、私は耐えられない。

 ここまで聞いて、遂に私は本題を切り出す心持ちになった。


「ヤトラ、貴方……フォーレイン領に来ません?」

「は? 何で俺が……」

「ウチ、人手が足りませんのよ。邸宅の使用人でも、魔物と戦う兵でも、農耕をする者でも何でも構いません。本当に、人手が足りないのです」

「……本気で言ってんのか」


 人手が足りないのは事実であるし、どちらかと言うと、ヤトラを勾留したままだと金も食糧も消費しっぱなしになってしまうのだ。それよりは働かせて領地に貢献させたいという気持ちであった。

 

 ──また、エリウスについてあれこれと話せる数少ない相手である。情報を引き出すだけでなく、ただ単に、私の話し相手として欲しくも思うのだ。


「働ける体さえあれば大歓迎ですわ!」


 ヤトラの正面に素早く移動して両手を強く握る。私よりは大きいが、エリウスやアレックスに比べれば随分と小さくて細い手だ。しっかりと掴みこめば、ヤトラは恥ずかしそうに「服を着てもいいか?」と返答した。



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