夫が助けに来ました
目を覚ましてからどれほど経っただろうか。
「……でさぁー、その時、あのクソ野郎が燭台ごと机をぶった斬って……」
「まあ! 本ッ当に野蛮ですわね! エリウスが来たら謝らせますわ!」
「もう過ぎたことだし別にいい。それに、もうウチはお取り潰しで家も何もないし」
「まあ……住むところはございますの? よければウチに来ません? 話し相手として大歓迎ですわ!」
拐われた私は、私を拐った張本人とのお喋りに花を咲かせていた。
「へえ……俺を雇うのか? 王子様よりも好条件を出してもらえないと俺は動かせないが?」
「お金はありませんが、魔物ならたくさんおりますわよ」
「魔物は……間に合ってるな」
「働きがいもたくさんありますわよ? フォーレイン領には多くの『未開発』が転がってますもの」
「いいね、そういうの」と男が笑う。口当てを外せばきっと、歯を見せてにいっと笑っているのだろう。けらけらと笑う男につられ、思わず私も声をあげて笑ってしまった。
誘拐犯と何を楽しく喋っているのだろう。私は未だに後ろ手に縛られたままだというのに、と心のどこかで自嘲するが、楽しいものは楽しいのだ。最初はどうにかこの男から情報を引き出せないかと思っていたが、エリウスの悪口大会から始まった談話にすっかり夢中になってしまっていた。
縛られたままだが、私は体を起こしてもらって壁に寄りかかるように座っている。男も、その隣に腰をおろし、あたかも長年交流を深めてきた女友達のようにペラペラと喋り続ける。緊張感がないとわかってはいるが、楽しいのだから仕方がない。
「あんた、結構面白いな。俺の家が取り潰しに遭わなかったら結婚を申し込んでただろうよ」
「あら。私と結婚すればもれなくたくさんの魔物がついてきますのよ?」
「魔物は……うん、まあ何とかする……あんたは喋ってて面白いし、俺の秘密を明かせそうだし」
「秘密? 何かしら、気になりますわ」
それはね、と男が私の耳元に口を近づける。ごにょごにょ、と小さな声で、周りに誰もいないのに手で私の耳と自身の口元を覆いながら。その姿はさしずめ、幼子が秘密を共有し合うよう。
「実は、…………………」
「まあ! なんてこと!」
「秘密だぞ?」
「大丈夫ですわ! 私、墓まで持っていきますわ!」
「ははっ、それは助かる」
鼻先がくっつきそうな距離で密約を交わし、お互いに小さく笑った。
──その瞬間、小屋の扉が吹っ飛んだ。
「……噂しまくってたらご本人様が来たな」
ボロとはいえ扉の体をなしていたそれを蹴っ飛ばして入ってきたのは、夫のエリウスだった。
ゆっくりと小屋の床を踏み締めて、一歩一歩、近づいてくる。ギシ、ギシ、と痛んだ床板が悲鳴をあげる。エリウスは怒っているわけでも、ましてや焦っているわけでもなく、表情がなかった。それが何だか、恐ろしい。
隣に座っていた誘拐犯がフラリと立ち上がる。腰元からナイフを取り出し、使い込まれたそれをちらつかせながらエリウスの反応を伺っていた。
「何だ、あんた、丸腰じゃないか。それで俺に勝つ気か?」
「マグノリア殿を、解放してもらおうか」
「はいわかりました、って放すわけがないだろ。あんたに嫌がらせしろって、依頼主から言われててね」
ギシ、と床を踏み締める音が消えた気がした。同時に、エリウスの姿も。
思わず息を飲んだ。小さな突風が吹いたかと思えば、カラン、と金属が落ちる音が響いたのだ。瞬く間にエリウスが誘拐犯に迫り、手に持っていたナイフを叩き落としていた。
そして、一呼吸も置かぬうちに相手を組み伏せ、服越しに首に手をかける。
「ッ、この……ッ!」
「マグノリア殿を危険な目に遭わせたこと、到底許されるものではない」
「いっ、ぐ、あ……っ!」
ミシミシ。床ではなく人体からその不気味な音が聞こえてくる。エリウスは無表情のままだが、瞳孔が開ききっていた。これは恐らく、完全に、理性をどこかに飛ばしてしまっている。
「待って、エリウス! 殺しては駄目!」
ここで殺してしまえば、折角の情報源も、そして私の愚痴……話し相手も消えてしまう。何とかしてエリウスを止めなければならない。だが、私は拘束された身。動くことも叶わない。
──一体、どうすれば……!
「地獄で懺悔しろ」
人の指を容易く折っていた男だ。その気になれば首も折れてしまうのだろう。そして今、この時、エリウスは「その気」だ。
誘拐犯は悲鳴をあげることも出来なくなり、唇をはくはくと戦慄かせている。このままでは、本当に──。
「今すぐ止めないと、貴方と離婚しますわよッ!」
ピタッ、とエリウスの動きが止まる。驚きで見開かれた緑の瞳が、こちらを見つめる。
指の力がなくなったことで男はようやく呼吸ができるようになったらしい。ゴホゴホ、と咳き込んで、どうにか空気を吸い込んでいる。
「貴方と離婚してッ、その男と結婚しますわッ!」
「マグノリア殿!? 一体何を……」
「本気ですわよ! さあ、退いて、今すぐに!」
エリウスはオロオロとして、私と組み伏せた男とを交互に見つめ、それから諦めたように男の上から退いてくれた。代わりに床に落ちたナイフを掴んで私の拘束を解いてくれたため、ようやく私は解放された。
「ゴホッ、ゴホッ……クソッ、野蛮な黒猿が……」
「どうやら痛い目に遭い足りなかったらしいな……」
「エリウス。駄目ですわよ。貴方も、そうやって挑発するのはお控えになって」
男がギッとエリウスを睨みつける。同様に、エリウスも再びあの感情のない顔で男を見やる。この二人をこのまま放置してしまえば、いずれまた男に死が迫ってしまう。死神の鎌を素手で抑え込んでいる気分だった。
その時、エリウスが壊した入口から兵士が何人か入ってきた。レダが率いる、小部隊だ。砦で警備の番をしていたところをアレックスに呼び出されたのだろう。急いで来てくれたとわかる程、額に大粒の汗が浮かんでいたし、その汗のせいで髪が濡れて肌にへばりついていた。何だか申し訳がなかった。
「マグノリア様! ご無事ですか!」
「ええ。ありがとう……この者を捕縛して、フォーレイン邸に連れて行って頂戴」
「はっ!」
男は抵抗することなく、兵士たちに縛られた。誘拐劇の呆気ない幕引きだった。
「最悪の事態にならずに済んで良かったです」
「本当に……良かったわ……」
最悪の事態とはもちろん、私が死ぬことではなく、エリウスがあの男を殺してしまうことである。うんうん、とレダと共に頷いていたが、エリウスは未だ納得がいっていないようだった。




