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改めて考えました



 エリウスは言った。警戒する必要がある、と。

 彼の異母兄にして、次に玉座に座ることが既に決定している男、キース=クレ=アインツアルト第一王子。彼がゴロツキを送り込み、私たち──もといエリウスを尾行させていたのだ。何の目的でそのようなことをしたのかがまだわからないし、そもそも送り込まれたのが一人だとも限らない。危険が、周囲に潜んでいる。


 思わずそれはそれは大きな溜め息を吐いてしまった。が、今の私を悩ませているのはキース王子の企みではない。

 もちろんそれも十分に大きな悩み事ではあるが。私にとっては、もっと大きく、重要な悩みがある。


「──相変わらずエリウスと何も進展がない」


 はぁー、とまた溜め息を吐く。書類に目を通したくとも、目が文字を追ってくれないのは困り事だ。「幸せが逃げちゃうよ」とラミアに諭されたが、これしきのことで逃げる幸せなら、それはないも同然である。

 ラミアが淹れた紅茶を飲む。ラミアは茶を淹れるのが下手だ。顔を顰めたくなるぐらいに渋い。が、今の私は飲む前から既に顰めっ面だった。変化は特にない。


「大勢の前で告白劇やったんでしょ? 初めて来た頃に比べれば随分進んだと思う」

「それはそれ、これはこれ」

「あっ、そう言えば、アレックス様、ようやく元気になったね。ここ最近は塞ぎこんでたから心配してた」


 ニコニコ、と嬉しそうに笑う彼女には一点の卑しさもない。純粋さが塊となったらこのようになるのであろうと思わせる彼女を前に、卑しさしかない私は、眩しさで目を焼かないように目元を手で覆うしかなかった。


 アレックスが塞ぎ込んでいたのは、エリウスに実力勝負で大敗したこと、そして私の告げ口──ラミアがエリウスのことをかっこいいと言っていたこと──が原因なのだが、どうやら彼女はそれを知らないようだった。

 アレックスは自信家だ。エリウスのことをベタ褒めしつつも、何やかんやで自分の方が上だと思っていたのだ。実力も顔も負けたという事実が、酷く彼の心に刺さり込んだに違いない。


「兄上のことはどーでもいいのよ。こっちの方が深刻。大問題よ」

「そんなに問題かなぁ」

「大問題よ! だって夫婦なのに、いつまでもベッドの上で仲良く楽しいお喋りをしてるのよ?!」

「いいじゃん仲良いの。私もそういう恋愛したい」

「よ、く、な、い!」


 私には、いや、私たちには、フォーレイン家の後継ぎを作るという使命があるのだ。エリウスに合わせていたら、あちらの心が決まる頃には私は出産適齢期を過ぎるどころかお婆さんになっているかもしれない。

 産める時にさっさと産んで、時期領主教育を子供たちに施しつつ領主代行の任を続ける。それが私のなすべきこと、なのだが。

 ラミアが長めの髪の毛を指先に巻き付ける。くるくる、と毛先を弄り、椅子に座って脚をぶらぶらとさせる姿はメイドとしては到底あるまじきものである。


「……ていうかマグノリア様、よく出会ったばっかの男の人と一緒に寝る気になれるよね」


 信じられないようなものを見るかのような目で、ラミアが私を見つめる。何故そんな目を向けられるのかがわからない。怪訝な顔つきになってしまうのは仕方がなかった。

 

「私だったら、エリウス様みたいなかっこいい人相手でも……うーん、すぐにそーいうことはしたくないなぁ」

「何言ってるの。そーいうことをしないといけないの。貴族の責務よ、責務」

「エリウス様とそーいうこと、できるの? 考えてみなよ」


 ラミアに顔を覗き込まれる。彼女の表情は、長年の親友を心から心配する少女のそれだった。


「考えるも何も、いつも考えて……」


 何だったら、エリウスが来る前から考えていたのだ。さっさと子供を作って、あとは砦に回してしまえとアレックスと話し合っていたぐらいには──予想以上に有能すぎて無碍に扱うことはできないが──それはもうずっと前から。考えていたのだ。考えていた、のだが。

 私は未経験だけど、と前置きをして、仰々しい身振り手振りでラミアが語りかける。それはまるで舞台の上の演者のよう。


「わかる? あの顔のいい男が、覆い被さってくるのよ? 互いに裸で、恥ずかしいとこも全部見えちゃうし、見られちゃうのよ?」

「何その言い方……変態じゃない……」


 それを言うなら、私も未経験、つまり処女である。ラナからもたらされた知識しかないが、それなりに腹は括っているのだ。

 だからラミアが言うようなことなど、大したことはない。


「別に、あの顔が近づいてきたって……」


 あの端正な顔が、近づいてくる。火傷しそうな程に熱い吐息がかかる距離。翠の双眼は私だけを見つめていて、見つめ返せば瞳に映る私とも目が合ってしまいそうになる。シャツを脱いでしまえば鍛え抜かれた戦士の身躯が顕になるし、無骨で大きな手が、私の肌を──。


「べ、別に……」

「別に?」

「どうも思わない……」

「本当? 顔真っ赤だよ?」


 指摘を受けて、さらに顔に熱が集まる。ここまで来てしまえば顔どころか全身までも熱く感じるし、おまけに変な汗もかいている。ペンを持つ手も震えている。これは、良くない。良くない傾向だ。


「……今からでも寝所を分けられないかしら」


 貴族の責務から逃げ出したくて仕方がなかった。




 結局、寝所は分けなかった。理由は単純明快。今は「警戒しなければならない時」で、「エリウスはこの上ない最高の護衛になる」からである。

 それには頭は納得している。だが、心が未だに納得できていない。感情が理性で抑えられない程に、今の私は昼間のラミアとのやりとりで心が乱されていた。


 大勢の前で告白劇をしてそれなりの日数が経ったが、未だに私たちの間柄は清らかなままだ。だが、少し変化したこともある。


 ──エリウスが、私に愛の言葉を囁くようになった。


 相変わらず飾り気のない言葉だが、かえってそれが心臓に悪い。もう少し、こう……都で流行っている恋愛文学の登場人物のような、歯が浮くような甘い言葉であればいつものように「では子作りをしますか」と半ば軽口になってしまった提案ができるのに。

 

「愛してる、マグノリア殿」


 熱の篭った、だが子供らしい無垢な瞳。初恋に浮かされた幼気な少年の心を持った男が、ジッと、私だけを見つめて、そう言うのだ。そして、私に手を伸ばして──。


「……おやすみ」


 硬直した私の体に布団をかけ、ポンポンと数回軽く叩き、そして目を閉じる。もちろん、私に覆い被さることはなく、寝衣を乱すこともなく、だ。

 

「……? 寝ないのか、マグノリア殿?」

「……おやすみなさい」

「おやすみ」


 少し経てば、穏やかな寝息が聞こえてくる。私は、もう眠れない。

 チラリと隣を盗み見れば、幼い寝顔を晒したエリウスがいる。ふと、この男が「男」の顔を見せる日が来るのだろうかと考えて、そのせいで一気に顔に熱が集まってしまった。

 寝所の番に恥ずかしさやら何やらをぶつけたいが、こういう時に限って担当はマーノだ。彼女はエリウスよりも先に、とっくに夢の世界へと旅立っている。畜生。


「私は一体、どうすればいいのでしょう……」


 誰も聞き手のいない寝所に、私の独り言は寂しく響いた。


 

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