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夫がお休みをもらいました



 エリウスが来てから、一ヶ月は経っただろうか。フォーレイン家の日常に、少しずつエリウスが馴染んできた頃だった。


 アレックスは、朝に弱い。起きるのが非常に遅いことが多い。


「兄上ー。朝食が出来ておりますよー」


 ラナに「アレックス様を起こしてきてください」と使いを頼まれた。何で私がそんなことを、と口答えしようとした時、しばらくぶりだったラナお手製のクッキーを差し出されてしまっては、抵抗などできなかった。

 エリウスの衣類を仕立てるのに合わせて、クッキーはしばらく控えていたのだ。菓子を嗜むだけの麦があるのであれば、その分をいつもの食事に回して金を浮かせてしまえ、と、クッキーのついでに紅茶も。日頃から美味しく味わっていたものを捨てる道を選んだのだ。

 だが、ラナは怒って──口調の割には悲しげな顔で──嗜好品を全て捨てる必要はないと訴えてきたのだ。流石に心の母を泣かせたくはない。ごめんなさい、と何に対する謝罪なのかもわからずに謝ってクッキーを受け取った。


 それにしても、アレックスは中々部屋から出てこない。私は既に支度を済ませているし、エリウスも起きて顔を洗いに行っている。最近のエリウスは私に慣れてきたのか、寝起きと同時に飛び上がることがなくなってきた。その代わり、ぽわぽわとした、えも言われぬ顔でボーッとしていることが多い。

 全く、ウチの男どもはどうしてこうも揃って。


「あーにーうーえー。ラナがクッキーを焼いてくれましたのよー。熱々で美味しそうですわー」

 

 ガタン、と変な音がした。恐らく家具に脚でもぶつけたのだろう。

 部屋の中から焦った声が聞こえてくる。扉越しだから上手く聞き取れない、と言い訳をしておこう。


「待ってくれ……マグ……私の分を……」

「聞こえませーん。まあー。美味しそうなので、もう我慢できませんわー。食べまーす」

「マグ……!」


 ザク、とクッキーを一枚、頬張る。空腹ということもあるが、何よりこの食感、この味。久しぶりだ。噛んだだけで全身に幸せが染み渡るようだ。

 全然甘くない、塩っぽい生地はザクザクで荒っぽい食感。でも、ところどころに入った小さな果実がいいアクセントになっている。美味しい。やはりラナの作るクッキーは国一番だ。


 ──いっそ、ラナのクッキーを外に売り出してしまおうかしら。


 もしかすると人気商品になって、それはそれは面白いぐらいに売れるかもしれない。金が入れば経済が回る。経済が回れば人も増える。最高の循環である。


 未来の人気商品「フォーレイン・クッキー」をまた頬張る。このまま食べ続けてしまえば、朝食が入らなくなりそうだ。でも、それをわかっていてもなお手は止まらない。


「おいひーへふわー。ほーんほ、おいひー」


 あと数分もしないうちにアレックスは部屋から出てくるだろう。任務完了ね、とくるりと踵を返したところで、ようやく手が止まった。


「…………………………」

「…………………………」



 顔を洗い終えたエリウスが、奇妙なものをみるかのような目でこちらを見ている。

 今の私は、口いっぱいにクッキーを頬張り──いや、クッキーを口からはみ出させるという、貴族令嬢、婦人らしからぬ行いをしている。腕には、焼き立てのクッキーがたくさん盛られた皿が。

 見つめ合うこと、数十秒。その間、私は口の中のクッキーを咀嚼し続け、どうにか飲み込み。


「これが、かの有名な『フォーレイン・クッキー』ですわ」


 「はい、どうぞ」とクッキーを一枚手渡す。


「は、はぁ……」

「では、ごきげんよう。オホホホ」


 そう言って、私は逃げた。





 苗を植えた畑に水をやる。すくすくと育ってくれているようで何よりだ。顔を出す雑草を抜いて、それが終われば肥料も撒こう。


「……ところで、お仕事はどうされたのですか?」


 隣に立つ夫──エリウスを横目に見る。日中はいつもアレックスと共に砦にいる男が、どうして今日は邸宅に、しかも横にいるのか。

 

「今日の仕事はマグノリア殿の護衛をすることだ、と言われたから……」


 いつの間にそんな話を、と頭を抱える。大方、妹を純粋に心配する気持ち半分と、今朝のクッキー事件を受けて私に嫌がらせをしたい気持ち半分でそんなことを言ったのだろう。私たち兄妹に挟まったエリウスが可哀想だ……が、それはそれ、これはこれ。

 いつもいない人がいるのは気になるし、何故ずっと私を見つめているのか。本当に嫌がらせをしているのではないか、とまで考えたところで、突然考えが急転換する。

 

 ──もしかしてこの人、「夫」として動いているのでは?


 そう考えれば、何となくだが納得できる。その上エリウスは平民のような恋愛価値観を持った男で、肌を重ねるにしてもお互いを知って仲を深めてからにしたいと言って、結婚した女と一緒のベッドで未だに仲良くお喋りしているのだ。そんな超奥手の男が、何かしようとして動いているが何をしたらいいかわらかずに何か変なことをする。それが、今の状況なのではないか。

 そう考えると、何だか目の前の男が可愛らしく見えてきた。


「では、そこを退いていただけますか? 肥料を撒きますので」

「肥料……あっ、俺がやる」


 口調もすっかり砕けているし、いつの間にか「私」ではなく「俺」になっているし。


「臭い、きついですわよ?」


 肥料は肥溜めのものを使う。つまり、そういうことである。

 「ウッ……」と顔を顰めながらも杓子を意地でも離そうとしないのを見て、思わず私は声を出して笑ってしまった。


 畑の手入れも終わったところで、さて、と立ち上がる。今日の午後から私は、私の戦場へと赴くことになっていた。

 使用人の中でも腕っ節の確かな者を連れていこうかと思っていたが、アレックスがわざわざエリウスを置いていってくれたのだ。厚意は、ありがたく受け取らねば。


 今日は隣領に殴り込み──話し合いをしに行く。そのために普段は使わない馬車も用意させていた。準備は万端である。



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