二日目の夜
彼が席を外した時にアレックスと「会議」をし、その中で私たちは改めて今後の方針を打ち出した。
──とにかく、エリウスを逃さない。フォーレイン家から出ようなどと微塵も考えつかないように、籠絡する。
そのために、私はエリウスの「妻」にならないといけないのだが。中々彼は手強い。
彼がこの家に来て二日目の夜を迎えたが、全力で拒まれたため今日も営みはなし、である。
「では……肩をお揉みいたしましょうか。それとも腰? 脚でも構いません。私、こう見えても亡き父には『按摩師の才能がある』なんて言われたこともありますのよ?」
「いえ、いいです……本当にいいですから! 手をわきわきさせないでください!」
機嫌を損ね過ぎて家から逃げ出されるのも困る。渋々ベッドに座り直すと、エリウスは「お気持ちだけいただきます」と謝罪の言葉を述べる。やはり気遣いのできる男だ。
「今夜もお話をするのですか?」
「そ、うなります、ね……」
ベッドで向かい合って座り、肌の触れ合いもなくただひたすら喋るだけの男女は、端から見ればどのように映るのだろう。衝立の向こうにいる寝所の番を見やれば、今日の担当のマーノは椅子にだらしなく座って眠ってしまっていた。一睡もせずにくまをこさえたラナを見習ってほしい。
「どんなお話が聞けるのか、楽しみですわ」
「期待されると困りますね」
「まさかつまらない話をなさるおつもりで?」
「……善処します」
十二歳になった年のことです、と切り出したエリウスに、ふと気になって私はエリウスの年齢を尋ねた。何とも言えない複雑そうな顔で「……数えで十九です」と返され、私より一つ上なのかと少しだけ驚いた。女性に触れられることに過剰に反応を示すものだから、てっきり年下の、ギリギリ結婚適齢期に入ったぐらいかと。
「使用人の母も、教師も、幼かった私に良くしてくれました。ですが、その年、母が亡くなり、教師も外されてしまいました」
広い王宮でひとりぼっちでした、と笑う彼は、どこか痛々しい。
「王位継承権を与えられているのに政には参加させてもらえず、その教育も受けられない。そんな私が『正義の騎士』のように人々を助ける存在になるにはどうしたらいいだろうと考えました。そして、すぐさま騎士団の駐屯所の門を叩きました」
「騎士の登用試験は、十五歳以上の男子であることが条件なのでは?」
「大勢の騎士の前でごねました」
「ごね……」
「その甲斐もあってか、十五になるまでは駐屯所で下働きをしつつ時折練習に混じることになり、三年後にはようやく正式に剣を持たせてもらえるようになったというわけです」
なるほど。だから芋の皮剥きも難なくこなせるのね、と納得をした。
それにしても、騎士に憧れた理由といい、志といい、エリウスは心持ちの非常に良い青年である。しかし、温和な雰囲気の底には人並外れた根性が胡座をかいているに違いない。
彼に対する好感度がどんどん上がっていく。重ね重ねになるが、これは逃しては我が領において多大なる損失となってしまう。逃さないように、距離を詰めていかなければ。
過去を懐かしむように天井を見上げていたエリウスの瞳が、私に戻される。次は貴方の番だと促されていた。
話せるほどの思い出がなく、むむむとしばらく考える。眉間に皺を寄せ、腕を組んで。エリウスが小さく笑っていたことにも気づかないほど、私は真剣に悩んでいた。
「……昔、兄や父に隠れて猫を飼っていました。黒くて、このぐらいの」
両手で大体の大きさを示す。両の掌を合わせれば丁度手に乗るぐらいの、小さな猫だった。
「名前は何と?」
「つけていませんでした。考えている途中だったのです」
たくさん名前の候補はあげていた。ミーアとかニッカとか……。
「エリウスにあげたあの建物に隠して飼っていましたが、バレてしまい……森に捨てることになってしまいました」
「飼うことはできなかったのですか?」
「……そもそも『猫』ではなかったので」
「……は?」
私は猫だと思っていた。だから、「可愛い黒猫ちゃんおいで〜」と慣れ親しみ、隠れて飼っていたのだ。何なら、名前を決めたと同時に本館に迎え入れてもらおうと思っていたのだ。
「魔物の幼体でした。成長すると、人間の何倍もの巨大な体になると言われている──カドラー、という魔物の」
不幸中の幸いだったのが、「カドラーの成体は森の奥から出てこない」という習性を持っていることだった。だから、父も兄も、命は奪わず森に戻す選択をした。その後私はそれはそれはこっ酷く怒られたが。
はぁ、と当時のことを思い返して俯きため息を吐く私を見て、エリウスは考え込む仕草をとる。面白話としてしたつもりだったため、笑うことも、「つまらない」と一蹴されることもないのは、私としては少し困りどころだ。
「ここはそれだけ、魔物との接触が多い土地なのですね……」
「如何せん辺境ですので。エリウスは、魔物を見たのは今日が初めてでしたか?」
「はい。それも突進してくる巨大な怪鳥でしたので、驚きのあまり心臓が止まるかと思いました。無意識のうちに剣をとって構えていたのが、我ながらすごいことだなと」
聞くと、芋の皮剥きを恐ろしい速さで終えた後、これもできるか、と洗濯物を任されたという。異様に良すぎる手際で洗濯も終え、額の汗を手の甲で拭いつつ固まった腰を伸ばしたところに、突然魔物が乱入してきた……ということだが、そのような状況で驚かないのは人間ではないだろう。
やがて、何かを決意したようにエリウスが私を見据える。
「……私、エリウスは、元王族として、そしてフォーレイン家の人間として、魔物と戦い人々を守り抜くことを誓います」
その堂々たるや。王族が神に宣誓をするかのような、絶対に違えることはないと感じさせる信頼感。
王は即位する時、民草の前で神に跪いて誓いを交わす。宣誓の儀、と呼ばれるものだ。それを私は生まれてこの方一度も見たことはなかったが、まるでそれを目の前で見ているような──私が神で、人間の王に誓われているような。
──この男は、本当に、必要だ。
「……では早速営みを」
「しっ、しません!」
人間の王の顔はすぐに崩れ、残ったのは瞬時に顔を真っ赤にした、ただの男だった。




