4-1 魔王
魔界の入り口。
それは世界の中心にぽっかりと開いた巨大な穴である。
ルフト共和国から東に数十キロという近場にあるその穴は、落ちたら最後二度と戻っては来られないだろうという高さを誇る。
その深さは現在の技術では測る事は出来ないほどで、石を落としても音は戻らない。深い深い、闇そのものと言えるほどに黒い空間が広がっている。
実際はその底の部分にワープホール――転送魔法の空間が広がっている。ただ落下するだけでは、そのまま転送先に落下して死ぬ事になるが、飛行魔法を使える者であれば、緩やかに降りていく事で、そのワープホールを潜り、別世界、すなわち魔界へと到達する事が出来る。
魔界の面積は狭い。人間や動物、植物などが住む、アクトが居る世界――実際には星――の面積の1/10しか無い。そこに多種多様な魔物や魔人が生息しているのだから、魔界は常に領土問題に悩まされている。
繁殖力に優れるゴブリンやオーク、コボルトなどの下級魔物が他の上級魔物の領地に入り込んで虐殺されるなど日常茶飯事である。竜族と虎族がいがみ合い、鳥族と亀族が諍いを起こした結果、すわ天地崩壊かと思うほどの破壊が巻き起こる事もしばしばである。
そうした状況を打破するために、現魔王ヴェルム・アルマードが打ち出した施策が、人間界と呼ばれる、アクトの居る世界への侵攻であった。
元より同様の侵攻は行われていたが、ヴェルムは更なる強化を謳った。戦力の強化、戦術の強化。リンガのような、知能が(魔界水準において比較的)優れている者を登用するのもその一環である。
さて、そんな大穴であるが、普段はルフト共和国の人間――主にワンダラー家が防備に回っている。
昨今は魔王の施策により侵攻が激しくなり、警備を置くに留め、防衛戦はルフト共和国側に傾いている。
が、今日はそんな警備すらおらず、静かな状況が続いていた。
「ふーん。リンガの報告は正しいようやね」
そう言いながら何かが穴の中から上がってきた。周りにはドラゴンや魔人など、上級に分類される魔物が十匹程。少数に見えるが、これだけの数でもちょっとした小隊であれば幾つも全滅させられる程には強力である。
その中央に、黒いマントに身を包んだドラゴンと人が融合したような姿の魔人が一人。先程言葉を発したのもこの男である。
この男こそが、魔王ヴェルム・アルマードである。
「りんがノヤツメ、態々魔王様ヲ呼ビ出スナゾ」
横にいたドラゴンがボヤいた。
「まぁええねん。我としてもさんざん梃子摺らされたルフトの様子は見たいところだったさかい」
珍妙な訛り、特定の地域の口調ですらない、混ざりあった言葉遣いで部下を嗜めると、手元の手紙を広げてもう一度読んだ。
手紙には次のように、リンガの筆跡で書かれている。
『ルフト共和国を堕とす事に成功しました。その成果を見ていただき、その上でお話ししたい事がございますので、是非一度ご足労願いたく』
「ま、最近はゴブリン共の狩りにも疲れたしやね、少し休憩もしたいんや」
近年は人間界への侵攻の準備と合わせて、ゴブリンの異常繁殖に伴う命数調節――即ちゴブリン族の虐殺だが――を行っていた。ゴブリンを人間との戦争に使う事も考えていたが、反逆の準備をしていた節があったのでそうせざるを得なかったというのが彼の立場である。
「もう少しねぇー、落ち着きたいからねぇー。ルフトの連中の土地で足りればいいんやけどねー」
「足リナイトハ思イマスガ、足シニハナロウカト」
「せやね。ま、行ってみよか」
そう言うと、彼は大地に降りて、ゆっくりと歩き出した。人間界の、今から自らの領土となるであろう場所を悠々と眺めるために。
「や、やー、いやー、その。よくいらして下さいました」
リンガが挨拶をする。
対する魔王は怒りに顔が歪み、今にも爆発しそうになっている。周りの魔物達は武器を――自らの爪や牙も含む――を構えているが、飛びかかりはしない。
「疲れを取るために来たんやけどね。……どういうことや、これは」
ルフト共和国中央、3区画へ続く広場にて、魔王とリンガを中心に、10や20では足りない数の、大量の魔導兵器が取り巻いていた。ゴーレム、大砲、その全ての照準が、魔王とその部下に向けられている。いくら部下が実力者とはいえ、この数では流石に身の危険を感じる程であった。
「……あの、その。申し訳、その、ありませんん……」
「何がや」
言うとリンガは背中を見せた。そこには後ろ手に縛られたリンガの腕があった。
「捕まりましたぁ」
「アホか!!それでお前なんや!!我を罠に嵌めよったんか!?」
「いえ、まぁそうなんですけれども、別に魔王様に危害を加えようという話ではございません」
そう言って姿を現したのは、アクトである。彼はリンガの背後からヒョイと出てくると、リンガの首にナイフを翳した。
「なんやワレは」
「僕……失礼、私はアクト・ヴァーディと申します。本職は鑑定士ですが、今はジャンベール帝国の特使をやっております」
「……なんや?この匂い。あんさんなんなん。人間やないな?」
「ええ。諸事情により、人間では無くなっています」
「諸事情?」
「はい。それに関して、魔王様にお話とご相談があり、この度この人を利用させて頂きました」
「……殺してやりたいくらいにゃ鬱陶しい事してくれるのぉ。……だが、その度胸は気に入った。聞いてやろうやないの」
アクトはその言葉を聞いて心の中でほっと胸を撫で下ろした。
だがまだこれは最初の綱渡りを渡り切ったにすぎない。
まだ綱はいくらでもある。
アクトはアイン達と共に魔王様を会議室へと招く事にした。




