12
俺は一度、額の汗を拭った。エンジンから吹き上がる熱気は、海風を巻き辺りを包む。
「じじぃはここで待っていてくれ。俺が奴等を引き付けている間にニネットを助けて欲しい」
「それはまた無茶な頼みじゃの」
「わかってる」
レクシアスの扉が開かれた。レクシアスから出てきたのはソニアだった。ハンヴィーからはホレスが現れ、二人が揃ってこちらへ向かってくる。
俺はナイフとピックを両手に握ると大声で叫んだ。
「ニネットを返して貰う!」
ソニアとホレスが並んだ。銃は手にしていないが、最初に会った時よりも冷たい目をしている。
「幸か不幸か生きていたか……向こう側で大人しくして貰いたかったが、そう言える立場では無いな」
「俺はあんた等を信用してたんだぜ。それなのにイッカクは撃たれて、ニネットまで連れ去られた。許せる訳ないだろう」
「ああ、そうだな。私も同じ考えだったが、予定通りには行かないものだ。言い訳はしないが、この道を進んでしまった以上、私たちも後戻りは出来無い。戦うしかないのだろう」
そう言うと、ソニアは静かに構えを見せたが、ホレスがそれを制した。
「ソニア、俺がやろう。これ以上汚れ仕事をお前にやらせる訳にはいかん」
「しかし……」
「俺だって辛い。だがこれも世界の為だ」
ホレスが一歩前へ出ると、腰元から一際大きなナイフを取り出した。
「ツバメ、すまないが世界の為の犠牲となって貰う」
「はっ! やなこった。ニネットは何処だ!」
「もう会うことは無いだろう」
「そんな事、勝手にお前が決めんなよな」
「若者よ、悪いが世界を……運命を呪ってくれ」
俺が飛び出すと同時にホレスも地面を蹴った。三十センチ以上はあるかと思われるナイフは、俺の持つピックやナイフでは受け切るのは厳しい。どうにかあれを避けて懐に入るしかない。
「フン!」
ホレスの声が響き、大きな動作でナイフが振り抜かれた。
その動作は隙だらけだ、この速さなら――行ける!
「うぉぉぉぉぉっ!」
俺は姿勢を落とし、右手に持ったピックをホレスの心臓めがけて一突きに狙った。一点集中、獲物を狙う時は一撃で仕留めなければならない。イッカクがそう教えてくれた。
ホレスの振ったナイフの軌道はまだ孤を描いている、俺の動きの方が早い。そう思ってた瞬間だった。突然隆々とした筋肉が蠢き、とてつもない速さでホレスの腕が伸びてきた。
俺の動きはもう止められない、ピックの先端はあと数センチのところにまで近付いている。あと一押し、一押しさえ出来れば。
「若い奴ってのは、いつの時代も真っ直ぐだな」
ホレスが小さく囁くと、ピックを握った腕を掴み寸での所でその動きを止めた。
俺は慌てて左に持ったナイフを振るおうとしたが、ホレスはナイフを逆さまに持ち替えると、波刃で俺のナイフを挟み込んで動けなくしてしまった。
俺はあっというまに両手が防がれ、一瞬何が起きたのか分からなくなっていた。
「ぐぅっ!」
力を込めて逃げ出そうと試みたが、ホレスは微動だにしない。
俺はナイフを捨て、身を翻して掴まれた右腕を捻った。ホレスの腕が緩むと、腹を蹴って後方へ飛ぶ。
着地と同時にピックを握り直し、視線をホレスに向けようとしたが、既にホレスのナイフの切っ先が俺の鼻先に向けられていた。
「っ!」
「元軍人だと言っただろう」
俺は怯む事無くピックを突き出した。切っ先は僅かにホレスの手を掠め、小さな血の飛沫を空に散らす。だがホレスは構う事無く左腕を伸ばし、俺の頭を乱暴に掴んだ。
やっぱりこいつ等は強い! この強固な腕からは逃げられない、終わる。そう脳裏を過ぎった時、ホレスが小さく言った。
「ツバメ、今から腹を刺すフリをする。そのまま死んだように見せかけるんだ」
「な……んだって?」
「プロフェッサーが車内で見ている、お前を助けられるのはもう俺だけだ。そして追って来るな、その若さで命を捨てるんじゃない。いいな?」
「俺が……黙って頷くと……思ってるのかよ、くうっっ」
「そうしなければ死ぬだけだ」
頭を掴む力が一層強くなった。
「ぐぁぁぁぁぁっ!」
「世界再生の邪魔はさせん、死ねぇぇ!」
わざと大声を上げたホレスのナイフが俺の上着を貫いた。冷たいナイフの刃が横腹に触れる。俺は大きな手に顔を掴まれ、声を出すことも出来なかった。
「連れも助けてやる、安心しろ」
ホレスは再び小さな声で囁き、ナイフを刺したまま俺を道の端へと投げ捨てた。唾を吐き捨てたホレスは、ヴェイロニアへと足を向けている。
なんでこんな風に俺を助けるんだよ。俺はお前たちが何をしたいのか分からなくなってきた。
どうして哀れむ。どうして俺に優しくする。どうしてこんな風にニネットを助けてくれなかったんだ。大人の勝手な理由のせいか? 理不尽に傷つけられら者たちは、世界を救う為の犠牲だったのか? そんなの絶対に間違ってる。
俺たち家族は一人ひとりが助け合って生きているんだ、誰か一人の為に誰かが辛い思いをするなんてあっちゃいけないんだ。
俺たち家族は、辛い時も悲しい時も楽しい時も嬉しい時も、家族全員が一緒じゃなきゃだめなんだ!!
「勝手な事言ってんじゃねぇぇぇぇぇ!」
「っバカヤロゥ!」
「うぉぉぉぉぉぉっ!」
俺は思いきり叫んだ。あいつ等の言葉を全て否定するように、目一杯の声をあげた。
ホレスが振り向いた時には、俺は既に首元にスタンガンを突きつけていた。迸る電流の音が響き、ホレスは大きな叫び声をあげた。
首に当てたスタンガンからホレスの振動が伝わる。思わず退いてしまいそうになったが、俺は絶対に引き下がってはならない。この戦いには必ず勝たなければならない。
「ホレス!」
ソニアが叫んだが、スタンガンの電流が途切れるまで俺はボタンを押し続けた。衣服が燻っているのか、辺りに焦げた匂いが漂った。
スタンガンの電流が次第に弱まり、間もなく電気が消えた。そしてホレスは地面へ倒れ込み、俺は一つ目の勝利を手にした。
「はぁ、はぁ……」
スタンガンを捨て、代わりにホレスの落としたナイフを拾った。ナイフを向けてソニアを睨み付けたが、ソニアは黙ったままだった。
俺はホレスに目もくれず、ソニアだけをじっと見つめていた。
ゆっくりと呼吸を整え、次の戦いに備えなければならない。落ち着けツバメ、慌てるな。ソニアはニネットの回し蹴りを止めている。出せば確実に相手を倒すニネットの必殺の蹴りをだ。女だからって油断は出来無い。ソニアこそが最大の相手なのだ。
ソニアの指が僅かに動いた。その動きを確認すると同時に俺の足は動いていた。
先手を取られてはいけない、ニネットと組み手をする度に思うことだった。相手より先に動き、行動を抑えなければ、俺はソニアの速度に負けてしまう。
足には自身があった。一直線に進むだけ、単純バカの取り得だとイッカクにはよく笑われた。だが、スタートからの疾走だけならニネットでさえ俺には勝てない。これは譲れない俺の特技の一つだ。
全力で大地を蹴りソニアに向けて突進した。ナイフ持った手は重力のままに預け、ソニアにぶつかる瞬間まで身を任せていた。
俺はここだと思う瞬間に体を左に回転させ、右手に生まれた遠心力でナイフを振った。ソニアとの距離は近い、握ったナイフは思った以上に重かったが、その長さは速度を補ってくれる。例えソニアが後方へ飛ぼうと命中は確実だ。
しかしソニアの反応は思っていた以上に遅かった。回転させた体の視界からソニアが消えるその時まで、ソニアは微動だにしなかったからだ。
だが突然、緋色の瞳が俺の視線と交差する。ソニアは右手を着いて倒れ込み、僅かに頭を傾けナイフを交わした。
あまりの速さについていけない金色の髪、数本が鋭利な刃に削られ地に落ちた。
攻撃を避けられたと感じた時には遅かった。ソニアは振り抜いたナイフを手刀で叩き落し、浮いた左手を掴むと力の限りに引っ張った。両足が地面から離れ、俺は空に放り出されたように宙に浮いた。全身がぐるりと回り視線は四方を向く、そしてソニアは隙だらけの俺の体に強烈な掌底を入れた。
痛みを感じる間も無く、俺はうつ伏せに倒され頭を踏みつけにされていた。起き上がろうと首を傾けると、すぐに俺の右手は両手で掴まれ、手首を捻ったソニアが言った。
「容赦はしない」
俺の右腕は折られていた。そして痛みが意識に追いつく。
「ぐぁぁぁぁっ!」
ソニアは俺の腕を掴んだままヴェイロニアに向かって言った。
「車の中の男、両手を挙げて出て来い。さもなくばツバメを殺す」
俺は頬を地面に潰されながら、じじぃが降りて来ない事を願った。だが、すぐにその姿を確認してしまう。
「お祖父様、終わりました」
レクシアスの扉が開く音が聴こえ、車椅子に乗ったプロフェッサーの影が近付いた。
「子供一人に何を手間取っている」
「申し訳ありません、ホレスがやられてしまいました。この二人、如何致しましょう」
「処分する、計画までの時間が惜しい」
「お祖父様、見過ごすわけには――」
「くどいぞソニア。こうしている間にも世界は壊れようとしているのだ。我々の計画が成就されなければ、世界に未来は無い」
「はい……」
銃のスライドを引く音がした。
「教授とも呼ばれる男が殺しとはのぉ、世の中も随分と腐ったもんじゃ」
じじぃがプロフェッサーを挑発した。やめろじじぃ、すぐにでも逃げてくれ。俺の為にそんなことしないでくれ。
「世界の為に死ねるのだ、壊れた世界と共に滅び逝けばよい」
「フン、命なんぞは惜しくはないわい、心配なのは子供たちの事だけじゃ。ニネットは生きておるんじゃろうな?」
「Nは生きている。今では計画の要でもあるがな」
「計画の要じゃと?」
「フフフ、死に行く者には知る必要も無いことだ」
プロフェッサーが銃口をじじぃに向けた。このままじゃ危ない!
「くっ、手を放せソニア! 俺はどうなってもいい、ニネットとじじぃは助けてくれ!」
ソニアは必死に動こうとする俺を押さえつけながら、淡々と言った。
「ニネットはトレーラーの中だ、閉じ込めてはいるが生きている」
「ちくしょう……ニネット! 聞こえるかニネット! さっさとそんな所から脱出しろ! 頼むから返事をしてくれ!」
叫んではみたが反応は返ってこなかった。もうここまでなのか……俺はニネットを助けることも出来ず、じじぃが撃たれるのを黙って見ているしか出来ないのか。
「無駄な事だ」
やめてくれ、じじぃを殺さないでくれ! やるなら俺を――。
「ホッホッホ、そうか。ニネットは荷台におるんじゃな……ツバメ!」
じじぃは俺の名を呼ぶと同時に、腰元から下がった紐を引き、背中に隠していた大量の細い筒を辺り構わず投げ捨てた。
「くれてやるわい! 発炎筒とリンを合わせた特製品じゃぞ!」
俺の目の前にもいくつか赤い筒が転がり、赤い炎と共に勢いよく煙が噴き出した。
「煙幕だと!?」
俺はソニアの腕が一瞬緩んだのを感じた。痛みを堪え無理やり体を起こすと、ポケットの中のスプレーを取り出し、ソニアの顔にこれでもかとばかりに吹き付けた。
「くっ! な、なんだこれは!」
「どうだ参ったか! このスプレーは……なんだっけ? えーと……ち、痴女を撃退するスプレーだ!」
「誰が痴女だっ!」
名前に自信は無かったが、ソニアを怯ませたことには間違いない!
「行けツバメ! トレーラーの荷台じゃ!」
煙は方向を見失うほどに一体を包み込んでいたが、体はトレーラーの方を向いていた。
「小癪な!」
プロフェッサーが銃を何度も発砲した。
俺ではなくじじぃを狙っているようだった。じじぃを助けに行きたいところだが、俺は既に煙の中を抜けていた。
じじぃの小さな悲鳴が聞こえたが、もう戻ることは出来ない。俺はニネットの元へと走るしかなかった。
折れた腕をぶら提げたままトレーラーに近付くと、運転席の男は頭を抱え身を震わせているのが見えた。
乱暴にドアを開くと、俺が声を出すよりも先に男は両手を頭の上に乗せた。
「ひぃぃぃ、助けてくれ! なんで俺はこんな目にばっかり合うんだっ、こんな事なら手伝いなんてするんじゃなかった」
「いいから荷台を開けろ!」
男が運転席のボタンを押すと、荷台が大きな音を立てて開きだした。
荷台のコンテナは天井から二手に分かれて開き、全開された荷台には研究所で見た物と同じ巨大な装置が設置されていた。
「なんだよこれ、こんな物運んでいたのか……はっ、ニネットはどこだ? いるんだろニネット!」
「んんーっ! んーんう!」
俺が叫ぶとすぐにニネットの声が聴こえた。ニネットは装置から伸びる太いパイプの間に両手両足を縛られ、口元には布が巻かれていた。暴れたせいなのか、腕や足にはいくつもの小さな痣が見える。
「よかった、無事だったかニネット」
「んんーう、んんーう」
ニネットは嬉しそうに笑うが、何を言ってるかは分からない。
口元の布を取ろうとしたが、ニネットは両手と両足を先に取れとばかりに、不恰好に体を突き出した。
俺は必死になりながら縄を掴んだが、折れた腕が動かず思ったように上手くいかない。
「んーう、んんーん。うーうーうーん、んんうう!」
「お、おい待てよ、何言ってるかわかんねぇ!」
ニネットは嬉しさのあまりか、巻かれた布を忘れて勝手に話を始めた。
「んーんー、ううー。んうんうー」
じたばたと両足を動かすニネットを押さえながら、俺は足の縄をなんとか解き終えた。
力を込める度に右手が痛む。続けて俺は口で縄を噛むと、動く方の腕で必死に縄を引っ張った。
「んうぅ……んうううー、うっうう……」
イッカクの事を言っているのだろうか? 突然ニネットの動きが収まり表情が曇る。
待っててくれニネット、もう少しだ。これを引けば……よし、後は口布を外すだけだ!
「食べ物を粗末にしちゃいけないんだから!」
「は?」
ニネットの訳の分からない言葉に、思わず俺の動きは止まってしまった。だが今はそんな事を気にしてる場合じゃない。目的は果たした。一刻も早くこの場から立ち去らないと。
「逃げるぞニネット!」
「イッカクは?」
「その話は後だ。早く行くぞ――」
「ツバメ危ない!」
突如、頭上に黒い影が浮かんだ。それを確認するよりも先にニネットが飛ぶ。
「悪者めっ!」
斑陽の中でニネットとソニアが交差した。
二人が地面に着地すると、ニネットがわき腹を抑えて片膝を着いた。やはりこいつは相当強い。果たしてこの場から逃げることが出来るのか? ニネットを助けたのはいいが不安が過ぎるばかりだ。
「ううっ、いたい……」
ニネットは腹を押さえながら、涙を浮かべて立ち上がった。
「ニネット……お前はどうして私に似ているのだろうか、お祖父様は何も教えてはくれない。だがきっと何か関係があるのだろうな」
「そんなこと言われてもあたし知らない」
ニネットは口を尖らせて言う。
「歳はいくつだ」
「じゅうさん」
ニネット、お前は十五だ。早々に間違ってるぞ。
「生まれはあの集落か?」
「生まれはじじぃの家で育ちはみんなの家」
間違ってはいないが、正しくもない。
「両親はいるのか」
「イッカクとツバメ」
ニネット、俺たちは兄妹だ。それにもしかして俺ってお母さん扱い?
「私を知っているか」
「知りたくない」
そりゃあそうだ。ニネット、そいつは敵だもんな。
「私は知りたい、世界は知らない事だらけだ」
「あっかんべーっだ!」
もう会話になっていなかった。
「ニネット!」
俺は大声で叫んだ。ニネットならきっとソニアを倒してくれる。じじぃと三人で家族の元へと帰るんだ。
「そんな奴やっつけちまえ!」
「はい!」




