印
「印をつけるって言っても、どうやるんだ」
俺は、ゴダじいさんの店の奥で、聞いた。
じいさんは、棚の奥から、小さな瓶を取り出した。中には、ほとんど無色の、粘り気のある液体が入っている。
「これは、“影糸”の染料だ。普通に見たら、何も塗られてないように見える。だが──」
じいさんは、俺に、古びた眼鏡を渡した。
「これをかけて見ると、光って見える。俺が、若い頃、贋作を見抜くために、使ってた道具だ」
俺は、眼鏡をかけてみた。
瓶の液体が、うっすらと、青白く発光して見えた。
「……眼鏡がなくても、俺の眼なら、見えるかもしれない」
「そうか。だったら、話は早い」
じいさんは、にやりと笑った。
「品物の縫い目の裏に、この染料で、小さく印をつけろ。すり替えられたら、印のない品が、代わりに届く。それを、証拠にすればいい」
◆
鑑定の日、俺は、持ち込まれた絹の反物、一つずつに、縫い目の裏、目立たない場所に、小さく印をつけていった。
立ち会っていた商人と、バルト商会の代理の男は、俺の手元を、それとなく見ていた。だが、印は、彼らの目には映らない。
「鑑定、確かに承りました」
俺は、書類に、鑑定結果を記した。
〈絹:市場5,000・真価4,800〉
真っ当な品だと、正式に、記録に残した。
代理の男の、口元が、わずかに緩むのを、俺は、見逃さなかった。
思い通りに事が運んでいると、思っているのだろう。
◆
数日後、納品の日。
大きな荷馬車が、指定の倉庫に、到着した。
立ち会いには、あの日、話を持ってきた商人と、ギルドの職員も、呼んでおいた。念のためだ。
「これが、鑑定済みの絹です」
代理の男が、涼しい顔で、荷を降ろさせた。
俺は、その一つを手に取り、縫い目の裏を、確かめた。
──印が、ない。
次のも、その次のも。全部、確かめた。
どれにも、印はなかった。
〈絹:市場5,000・真価900〉
真価も、鑑定時とは、まるで違う数字が、浮かんでいる。粗悪な、まがい物だ。
「これは、俺が鑑定した品と、別物です」
俺は、静かに、しかし、はっきりと、言った。
「な、何を言って」
「鑑定した反物には、全て、印をつけていました。今、確認しましたが、どれにも、ありません」
俺は、ギルドの職員に、目配せした。
職員が、進み出て、俺と同じように、反物を検めた。
「……本当だ。印が、一つも見当たらない」
職員が、代理の男に、視線を移した。
男の顔から、みるみる、血の気が引いていく。
「な、なにかの、間違いでは」
「間違いかどうか、ギルドで、調べてもらいましょう」
俺は、あらかじめ用意していた、鑑定時の記録と、印の位置を書き記した控えを、職員に差し出した。
「鑑定時の品と、納品された品が違うのは、明確な、契約違反です」
「……っ」
男は、何か言い返そうとしたが、言葉が、出てこなかった。
周りに集まっていた、他の商人たちが、ひそひそと、囁き始めた。
バルト商会が、鑑定士を、はめようとした。その噂は、この一件だけで、あっという間に、街中に広まるだろう。
◆
男は、青ざめた顔のまま、荷を残し、逃げるように、その場を去っていった。
立ち会っていた商人が、俺の肩を、軽く叩いた。
「……見事だったよ、ノアくん。まさか、あそこまで、証拠を揃えてるとは」
「じいさんの、知恵です」
俺は、正直に言った。
この街で、俺一人の力で、できたことじゃない。ゴダじいさんの経験と、商人たちの協力があって、初めて、成立した反撃だった。
でも──これで、終わりだとは、思えなかった。
バルト商会ほどの大きな組織が、一人の代理人の失態だけで、大人しく引き下がるとは、思えない。
この件が、上に伝われば。
もっと大きな、何かが、動き出す気がした。




