借りと拾い物
ゴダじいさんのがらくた屋は、貧民街の路地裏で、今日も傾いていた。
軒先の看板は、文字が半分剥げている。中に入ると、埃と、油と、古い紙の匂いがした。
「戻ったか、ノア」
カウンターの奥から、しわがれた声が飛んできた。
ゴダじいさんは、老眼鏡を額に上げて、俺を睨んだ。値踏みをする時の目だ。
「鑑定、どうだった」
「ゼロだった」
じいさんは、鼻を鳴らした。
「そうか」
それだけだった。慰めも、同情も、ない。昔からそうだ。
俺は、懐から袋を出した。ずしりと、音がする。
「これ、預かってた分の礼」
じいさんが、袋の中を覗いて、片眉を上げた。
「……3,000クル。お前、何をやった」
「錆びた短剣を、3クルで買って、3,000で売った」
「はあ?」
じいさんが、身を乗り出した。
「詳しく話せ」
俺は、隻眼のドルグの刻印のこと、道具屋の店主が顔に出した動揺のこと、掻い摘んで話した。眼のことだけは、まだ伏せた。
話し終えると、じいさんは、しばらく黙っていた。
「……お前、目がいいな」
その一言に、心臓が跳ねた。
「昔から、そうだったろう」と、じいさんは続けた。「客の顔色一つで、噓か本当か言い当てた。俺が何年もかけて覚えたことを、お前は勝手に身につけてた」
眼のことじゃない。ただの、観察眼の話だ。
ほっとしたような、拍子抜けしたような、変な気分になった。
「その3,000、俺への礼はもういい」と、じいさんは袋を押し返してきた。「元手にしろ。次、何を買う」
「まだ決めてない」
「決めてから来い、暇な男だな」
悪態をつきながらも、じいさんの目は、笑っていた。
俺は、袋を受け取り直した。まだ、この店には借りがある。9年分の飯代の借りが。
いつか、それも、真価で返してやる。
◆
店を出て、大市場へ向かう途中だった。
通りの先で、人だかりができていた。
「泥棒だ!」という怒鳴り声。
人垣の隙間から覗くと、商人風の男が、若い女の腕を掴んで怒鳴っていた。
その顔を見て、俺は、息を呑んだ。
あの娘だった。
空白の、あの子。
「この女が、俺の店の指輪を盗んだ!」
商人が、周りに向かって喚いている。
「盗んで、ない」
娘は、静かに言った。表情は、変わらない。あの時と、同じだ。
「盗んでないなら、なぜ逃げようとした!」
「逃げてない。あんたが、腕を掴んできた」
周りの野次馬が、ざわつく。どちらの言い分にも、賛否が分かれていた。
俺は、とっさに、商人の方へ眼を向けた。
〈真価:85クル〉
感情の色が、渦を巻いていた。〈焦り〉、〈苛立ち〉、それから──〈保身〉。
嘘だ。
この男は、何かを隠している。少なくとも、確信を持って「盗まれた」と言っている顔じゃない。
俺は、娘の方も見た。
やっぱり、何も出ない。〈ERROR〉が、ちらつくだけだ。
……この子が、本当に盗んだかどうか、この眼では、分からない。
でも。
商人の嘘は、分かる。
俺は、人垣をかき分けて、前に出た。
「その指輪、いつなくなったんです」
商人が、俺を睨んだ。
「なんだ、お前は」
「通りすがりです。いつ、なくなったんですか」
「……さっきだ。この女が店先に来て、それから、指輪が消えた」
「見てたんですか。この人が、指輪を取るところを」
商人の顔が、ぴくりと歪んだ。
「見て、いなくても、状況からして」
「見てないんですね」
俺は、繰り返した。
商人の〈焦り〉の色が、また跳ね上がる。
「お前、その女の連れか。庇うつもりか」
「連れじゃないです。ただ、状況だけで人を泥棒扱いするのは、まずいと思っただけです」
「……っ」
商人は、俺と娘を、交互に睨んだ。
やがて、舌打ちして、娘の腕を離した。
「……今日のところは、見逃してやる。だが、次見かけたら、衛兵を呼ぶからな」
そう言い捨てて、人混みに、消えていった。
野次馬たちも、興味を失ったように、散っていく。
◆
通りに、俺と、娘だけが残った。
「……ありがとう」
彼女が、ぽつりと言った。
「本当は、盗んでない」
「うん」
「信じるの?」
「盗んだかどうかは、分からない」
俺は、正直に言った。
「でも、あの商人が、嘘をついてたのは、分かった」
娘が、初めて、じっと俺の顔を見た。
「……なんで、分かるの」
答えに、詰まった。
眼のことを、話すべきか。
でも、この子だけは、眼が読めない。それが、余計に、話していいのかどうか、分からなくさせた。
「勘が、いいだけだ」
嘘を、ついた。
娘は、しばらく俺を見つめてから、小さく息を吐いた。
「変な人。前も、そう言った」
「……名前、まだ聞いてない」
娘は、少し迷ってから、口を開いた。
「──」




