餌
「役人を追い詰めるなら複数の筋から同時に、だったな」
青い扉の店の二階。俺は卓の上に持ち札を並べていた。
一つ。伯爵の帳簿写し。13年前の横領の記録。
二つ。密売塩の追跡記録。頭が押さえた、専売庁外郭倉庫への搬入の証言。
三つ。ベルナールの証言。13年前の証拠偽造の目撃談。
四つ。ミラの知識。化粧師とギデオンのつながり。
「そろってるように見えるけど」
アイリスが言った。
「足りないの?」
「致命的に足りない。……“現在”がない」
俺は指を立てた。
「13年前の話は古すぎる。密売塩も末端の話だ。ギデオン・ロス本人が今、不正に関わってる動かぬ証拠。それがないと、あの男は切り捨てて逃げる」
「なら、どうするの」
「作らせる」
俺は言った。
「向こうに動いてもらう。……こっちが餌になって」
◆
餌の仕込みは簡単だった。
王都の鑑定士たちの間に、噂を一つ流す。
──近く、さる筋から珍しい品が内々の競売に出る。13年前に取り潰されたシャルダン伯爵家の書き物机。しかも隠し引き出し付き。中身もそのまま。
「中身もそのまま……ね」
ミラが噂の文面を見て笑った。
「ギデオンが聞いたら心臓が止まりそうな餌」
「あの机の中に何が入ってたか。この世で正確に知ってるのは、書いた本人と俺たちだけだ。でもギデオンは、確かめずにはいられない」
13年前、伯爵が何かを残していたかもしれない。その可能性を、あの男は13年間抱えて生きてきたはずだ。
噂が本当なら、消しに来る。
嘘なら、嘘だと確かめに来る。
どっちにしても──動く。
「動けば尻尾が出る。俺の眼の前でな」
「……悪い顔」
アイリスがぼそりと言った。
「〈悪徳商人〉の顔、また出てる」
「作戦会議中の商人の顔と言え」
◆
噂を流して3日目。
最初の食いつきは思ったより早かった。
ミラの店に身なりのいい男が現れた。古美術好きの商人を名乗った。
「噂のシャルダン家の机。ぜひ競売の前に拝見できないかと」
俺は眼を向けた。
〈真価:ERROR〉
来た。
化粧師の“覆い”持ち。ただの古美術好きが、そんなものをまとってるわけがない。
「あいにく品は別の場所に。競売の日までお見せできません」
「そこをなんとか。……お礼は弾みます」
男は袖の下を匂わせた。
「重ねてあいにくですが。うちは正規の手順しか扱わないので」
男は粘ったが、やがて引き下がった。
扉が閉まった後、ミラが口を開いた。
「今の、工房の人間ね。歩き方で分かる」
「ああ。偵察だ。……本命は夜に来る」
◆
その夜。
俺たちは店の灯りを消し、二階で息を殺していた。
机は店の奥に、これ見よがしに布をかけて置いてある。もちろん隠し引き出しの中身は空だ。本物の帳簿写しは俺の胴巻きの中にある。
深夜。
鍵のかかった裏口が、音もなく開いた。
忍び込んできた影は二つ。
迷いのない足取りで、まっすぐ机に向かう。手際よく隠し引き出しを探り当て──空なのを確かめた。
「……ない」
「本物は別の場所か。娘の方が持ってるのか」
小さなささやき声。
二つの影はそれだけ確かめると、来た時と同じように音もなく消えた。
追わない。それが打ち合わせだった。
代わりに外の闇には、頭が手配したバルト商会の若い衆が伏せてある。影がどこへ帰るか、そっと後をたどるために。
◆
夜明け前、若い衆の一人が報告に戻ってきた。
「追えました。二人組は川沿いの染物工房に入りました。……ただの染物屋にしちゃ、夜中まで妙に人の出入りが多い工房で」
ミラが息をのんだ。
「そこ……工房の隠れみのの一つ。わたしが育った場所」
化粧師の巣。
そして、もう一つ大きな収穫があった。
若い衆が続けた。
「それと明け方、その工房に立派な馬車が乗りつけました。降りてきた男の顔、王都の若い衆ならみんな知ってます」
「……誰だ」
「専売庁次官、ギデオン・ロス。本人です」
頭領どころじゃない。
大物が直々に、餌に食いついた。
夜中に届いた「机は空だった」の知らせを聞いて、居ても立ってもいられず自分で工房に乗り込んできたのだ。
13年間、あの男が何におびえて生きてきたか。その行動が何よりの証拠だった。
「見えてきたぞ」
俺は窓の外の白み始めた空を見た。
「奴の、尻尾」




