2600倍
その夜、俺は孤児院の隅で、錆びた短剣を磨いていた。
布に灰をつけて、ひたすらこする。指がじんじんする。
みんな寝静まっている。才能なしが夜中に鉄くずを磨いていると知られたら、また笑われる。
でも、手は止まらなかった。
真価、8,000クル。眼が、そう言い切っている。
この眼が正しいなら、俺の全財産は、今、鉄くず一本に化けている。
どれくらい磨いただろう。
柄の付け根に、何かが浮かんできた。
錆の下の、小さな刻印。獣の頭を象った、古い印だ。
俺は、それを知らなかった。
でも、眼の数字は、微動だにしない。
〈真価:8,000クル〉
……見えているものを、信じるしかない。
俺には、剣も魔法もない。あるのは、この眼だけだ。
◆
翌朝、俺は商業区へ向かった。
貧民街とは、空気からして違う。石畳は磨かれ、看板は塗り直され、人の服がまともだ。
道具屋が、何軒も並んでいる。
俺は、その一軒ずつを、眼で舐めていった。
店ごとに、店主に数字が浮かぶ。人の真価も、この眼には見える。
〈真価:40クル〉──小心者。人を見て値をつける男だ。
〈真価:220クル〉──目利きだが、強欲。弱みを見せたら食われる。
その先の、小さな店の店主。
〈真価:310クル〉
数字の脇に、薄く色がにじんでいた。感情の色だ。この店主は、退屈している。良い品に、飢えている。
ここだ、と思った。
俺は、暖簾をくぐった。
「邪魔するよ」
「……子どもか。うちは玩具は置いてないぞ」
俺は、黙って短剣を置いた。
店主の眉が、ぴくりと動いた。
「なんだ、この錆は。鉄くずじゃないか」
口では、そう言った。
だが、眼に見えた。店主の感情の色が、一気に跳ね上がる。〈動揺〉。それから、必死に抑え込もうとする〈平静〉。
嘘をついている。この人は、これが鉄くずじゃないと、もう気づいている。
「柄の刻印、見えますか」と、俺は言った。
店主の指が、止まった。
「……獣頭の印。まさか、隻眼のドルグの」
「その人は、有名ですか」
「50年前に死んだ、王国一の鍛冶師だ。現存する作は、両手で数えるほどしかない」
店主が、ごくりと喉を鳴らした。それから、また表情を作り直す。
「だが、この錆だ。真作かどうかも怪しい。……まあ、100クルで引き取ってやろう」
100クル。
俺の眼は、こう言っている。
〈真価:8,000クル〉
80分の1だ。
昨日までの俺なら、100クルでも飛び上がって喜んだだろう。3クルの飯代しか、持っていなかったのだから。
でも、今は、見えている。
「3,000クル」と、俺は言った。
店主が、噴き出した。
「3,000! 鉄くずが!?」
「鉄くずだと思うなら、100クルも出さないでしょう」
店主の、笑いが止まった。
俺は、続けた。
「あなたはこれを、コレクターに、もっと高く売る。だから、動揺した。……顔に、出てましたよ」
半分は、はったりだ。
でも、残り半分は、この眼が見せてくれた本当だ。
店主は、長いこと、俺を見ていた。
やがて、大きなため息をついた。
「……3,000だ。持っていけ、化け物め」
「まいどあり」
◆
店を出て、俺は袋の重みを、確かめた。
銀貨で、3,000クル。
昨日、飯代の銅貨3枚を、握りしめていた手だ。その手に、今、3,000クルがある。
1000倍。
本当は、8,000の価値がある。3,000で手放したから、5,000は店主に食われた。
……悔しくは、あった。
でも、これが、市場の値段と、本当の価値の、差だ。
その差を、誰よりも先に見つけて、拾う。眼が拾い、口が値をつける。
剣も魔法も、いらなかった。
俺は、空を見上げた。
昨日と同じ、憎らしいほどの晴れだ。
でも、見え方が、まるで違った。
さて、と思う。
この3,000クルを、飯に変えて終わらせるのか。それとも──次の、2600倍を、探しにいくのか。
答えは、決まっていた。




