守れない守られない
変わらず、もっちゃんの嫉妬や束縛は続いていた。
今どこで何をしてる?を伝えないといけない他にも急な予定を立てるのを嫌がった。
けど、もっちゃんは残業とか取引先とご飯とかいつも急な予定ばっかりで不満が溜まっていた。
今日は祝日。
もっちゃんは仕事らしいので、美波といつもの店でランチをしていた。
「なんかさ〜。好きにならなければよかったのかなとか思うのよね。」
『それ、依存だよ』
「そうだよね。なんかどこが好きとかわからなくなってきて。ただ、自分が縛られるのがしんどいから相手のことも気にしてしまうし、揚げ足取るみたいに色々言っちゃうし、そろそろフラれるかも。でも、フラれた方がマシなんだよね。自分からは離れられないかもしれないし。」
『そうだよね。でもさ、もう26なんだし、二十歳の恋愛してられないよ!アラサーだよ。』
美波の言葉がいつもより重く感じた。
「あ、そろそろ産婦人科行かないといけないし出るね!」
生理不順なこともあり、定期的に受診していた。
『妊娠してますね』
「・・・・・・・・・・」
びっくりしたのか、嬉しかったのか、そうじゃなかったのか。
分からなかったけど、声が出なかった。
診察室を出てもしばらく足が動かなかった。
待合室には、小さな子供を連れたお母さんたちがいた。
泣き声。
母子手帳。
お腹を撫でる手。
急に、自分だけ別の世界にいるみたいだった。
わたしのお腹にも、
今、赤ちゃんがいる。
そう思った瞬間、
怖いのに、少しだけ嬉しくて、
でもちゃんと喜んではいけない気もして、
胸の奥がぐちゃぐちゃになった。
100%の避妊ができていたかと言われると、100%ではなかったかもしれないけど、まさか妊娠しているとは思わなかった。いつかも心当たりがなかった。
その夜、いろんなことを考えた。
わたしは子供が大好きだし、
絶対いつかはお母さんになりたいと思っていた。
けど、
こんな2人が子供を育てられるのだろうか。
毎日喧嘩のようなことをしたり、
自分たちのことでいっぱいな2人なのに。
でも、おろすとかはしちゃいけないと思っている。
だから2人の関係性をしっかり話し合いたいな。
もっちゃんなんて言うだろうか。
『ただいま~。疲れすぎたよ。ゆず~癒してくれ』
そう言って、もっちゃんはいつも通り甘えてきた。
「おかえり。少し話せる?」
『なに?めんどくさいことは言わないでね。疲れてるし喧嘩とか無理だし。』
「じゃあ今日はいいや」
『は?気になるじゃん。話したいことがあるとか言ってきてそれはないだろ。じゃあ初めから言うなよ』
「だから何も言えないんじゃん。すぐに怒るし。怒ること?それなら自分の家に帰ればいいじゃん。どうせご飯食べてえっちしたら帰るんだから。そのために来てるの?」
『なんだよお前ふざけんなよ』
低い声だった。
あ、まずい。
そう思った瞬間、身体が固まった。
昔からそうだった。
もっちゃんがこの声を出す時、次に何が来るか分からない。
壁を殴る時もある。
モノを投げる時もある。
何も言わず出ていく時もある。
でも今日は違った。
ドンっ
肩を強く押されて身体がよろける。
「っ…」
次の瞬間、視界が揺れた。
頬が熱い。
耳がキーンとして、何をされたのか分からなかった。
気づけば床に倒れていた。
『お前さ、なんでそうやって人イライラさせるの?』
怖い。
でも、それより悔しかった。
なんでこの人は、いつもわたしを悪者みたいに言うんだろう。
お腹を守るように身体を丸める。
「やめて…」
『だったら最初から喧嘩売るなよ』
「手は出さないって約束したでしょ?わたし1人の体じゃないんだよ」
『は?お前の口が悪いからだろ?やられたくないならイライラせんなよ』
前からイライラされるとモノに当たったりするようになっていた。
モノを投げられるたびに、わたしは過呼吸になったりパニックになったりしていた。
いまも、苦しくなってきた。
なんか悔しくって涙が出た。
悔しいというのか、悲しいのか分からなかった。
こんな父親嫌だよね。
別れられない自分も嫌だ。
なんでこんなことをされても別れられないんだろう。
それに、本当は話し合いをしたかった。
なのにこんなことになる自分にも嫌気がさした。
『大丈夫か?過呼吸になるなら喧嘩売るなよ。。。。大丈夫?』
さっきまで怒鳴っていたくせに、急に優しい声を出す。
その優しさに安心してしまう自分がいる。
だから離れられない。
「わたし、妊娠してるから。触らないで!」
言ってしまった。
こんなタイミングで言いたくなかったな。
『え?』
もっちゃんの顔が固まった。
『……まじで?』
数秒沈黙したあと、
『おめでとう!!』
そう言って笑った。
その顔は、今まで見たことないくらい嬉しそうだった。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
“普通の幸せ”が見えた気がした。
『名前どうする?』
「え?」
『いや、気早いか。でも俺、女の子なら絶対甘やかす』
そう言って、お腹に触れようとした。
反射的に身体を引いてしまう。
もっちゃんの表情が少し曇った。
でも怖かった。
さっきまで蹴られていた身体だったから。
「どうする?」
わたしが聞きたかったのは、
子供のことだけじゃない。
わたしたちのことだった。
このままで親になれるの?
また怒鳴るの?
また殴るの?
子供が泣いても、
“うるさい”って言うの?
聞きたいことはたくさんあったのに、喉が詰まって言えなかった。
『産まないの?』
「産む産まないじゃなくて、私たちの関係もどうするの?」
『近々話さないとな』
“近々”
その言葉が苦しかった。
お腹の中では、
今この瞬間も小さな命が生きてるのに。
「近々?その間にこの子は大きくなるんだよ。そんな呑気なこと言ってられる?」
『だから、考えるって言ってるだろ。弟から連絡きたし帰るわ。今話しても喧嘩になるし』
はぁ。疲れる。
子供の頃夢見てた妊娠報告とかと全然違うな。
ごめんね。
誰に相談しても、別れた方がいいと言われるだろう。
でもわたしは、別れるんじゃなくて変わってほしかった。
ちゃんとしてほしかった。
わたしが伝えたら変われると信じていた。
変わって欲しかった。
次の日から4日間、もっちゃんはわたしの家にこなかった。
逃げたなとわかっていた。
笑顔でおめでとうと言ってくれたのに。
携帯を見るたび、胃が痛くなる。
【弟の体調が悪くて】
嘘だ。
そんなふうに弟の面倒を見る人じゃない。
わたしより、自分の方が大事な人だ。
分かっていた。
でも。
それでも少し期待してしまう。
“ちゃんと考えてくれてるかもしれない”
って。
だから余計につらかった。
弟の体調が悪くて。とメッセージが来ていたが、大人の弟の面倒をわざわざ見るような人ではないし、いつも一緒に住むのが嫌だ。口うるさいと文句言っているのを知っていた。
もう話し合いはできないと思っていた。
【どうするの 逃げてるけど】
ピコン
【逃げてない 考えてる】
【6対4で今は産めない方かな。タイミングがさ。今運でも認知が難しい。働いてない弟もいるし。お金もさ。それに俺、昔薬してたからさ。責任取れないんだ】
画面を見た瞬間、手が震えた。
6対4?
なにそれ。
命をそんなふうに数字で決めるんだ。
最低だ。
無責任に抱いて、
妊娠したら責任取れないって。
じゃあなんで、
普通の恋人みたいな顔して抱きしめてきたの。
【殺すってことね】
返事はなかった。
次の日、仕事終わりに帰ってきた。
『病院予約した?』
「してない」
『はやくしないとおろせなくなるよ。ゆずの体にも良くない』
「おろす時点で体も心もこれから良くないでしょ。ほっといて」
『産まないよね。子供の健康も保証できないよ』
「じゃあなんでお前はみんなと同じようにHしてるの?完全に否認したらいいよね?自分の快楽のためだけだよね。これから一生触んなよ。性欲モンスターがよ!出ていけよ」
ストレスや不安をぶつけた。
『ぶざけんな』
低い声だった。
まずい。
そう思った瞬間、肩を掴まれた。
逃げなきゃ。
そう思うのに身体が動かない。
怖い。
でも。
“こんなこと言わなきゃよかった”
って、また自分を責めてしまう。
次の瞬間、強い衝撃がきた。
視界がぐらぐら揺れる。
痛い。
苦しい。
お腹。
お腹だけはやめて。
そう思った。
気がついたら病院にいた。
『大丈夫ですか?先生呼んできますね。』
『ゆず?ゆず?大丈夫?ごめんなごめん。痛い? こんなあざだらけになって....』
「親は?」
『県外なんだから。親御さんも大変でしょ?だから親と縁切れてると伝えておいたよ!ゆずには俺だけでしょ』
こんな状態になってるのは自分のせいだと言われたくないだけだろう。
それからしばらく会社を休むことになり、わたしは家から出れなかった。
出れないのは、
『ゆず!だめだよ寝てて』
もっちゃんまで何故か仕事を休んでるからだ。
「もう帰っていいよ。」
『そんなこと言うなよ!ずっといるから』
「子供なんだけどさ。おろすね。」
『ごめんな』
殴られた時に思った。
子供産んだら、この子まで虐待にあうかもしれないし、もっちゃんが言うように過去の薬の影響とかも考えると、子供を守るために別れたとしても、それじゃあ1人で育てるのは厳しい。
コンビニで、小さな靴下が目に入った。
春っぽい、薄い黄色だった。
まだ性別も分からないのに、
なんとなく、この子には似合いそうだと思った。
その瞬間、息が苦しくなった。
わたしはこの子を産まない。
なのに。
母親みたいなこと考えてる。
本当に辛かった。
毎日ごめんねと涙が出て、
それから元気が出なくなった。
気力がなくなった。
子供をおろす人の神経が信じられなかったし、絶対反対派だったわたしはもういないのかもしれない。
手術の日まで、
わたしは毎日お腹に謝っていた。
ごめんね。
ごめんね。
何度言っても足りなかった。
夜になると、お腹を撫でながら、
本当は産みたかった、と心の中で繰り返した。
でも、そのたびに、
あの日のもっちゃんの顔と、
自分の倒れた音を思い出した。
この子を守れる未来が、
どうしても見えなかった。
そう思うと悲しくなった。




