91. 残酷な比較ログ
【食事分析:金色のコンソメスープ、白身魚の香草和え、焼き立てのパン】
【評価:消化に良く、栄養価のバランスが調整されたメニュー】
豪奢なフルコースというよりは、格式だけがきちんと整えられた、貴族の日常的な晩餐といった趣だ。
具材の大きさも一口サイズに切りそろえられており、こぼしてドレスを汚すなどという心配もなく食べられそうだ。
(これなら、問題なさそうです)
複雑なマナーや貴族的なテクニックを必要としないメニューに、私は少しだけホッとして、カトラリーを手に取った。
【マナーモード:起動】
【参照データ:メルたちの言いつけ、シスター・ベロニカの所作指導、貴族作法書、etc...】
背筋を伸ばし、音を立てず、スープを口に運ぶ。
孤児院での美味しいと言い合う賑やかな食事とは違う。
まるで精密機械の動作テストのように、ベアトリス夫人やリリアンの所作もスキャンし取り込み、なんとか再現していく。
隣を見ると、ヴィンスもまた、淡々とスープを口に運んでいた。
しかし、昨夜の食事の際に見せていた穏やかで優しい表情はそこにはない。
すべての感情を削ぎ落し、ただ栄養を摂取するだけの作業を行っているように見えた。
「……リリアン。体調はどうかしら」
「お母様、大丈夫ですわ。お心遣い、感謝いたします」
「厨房には、匂いの強いものは避けるように伝えてありますけれど……もし不快なら、すぐに下がりなさいね。安定期に入ったとはいえ、つわりがあるのですから」
公爵夫人は、扇子を閉じて、気遣わしげにリリアンを見つめた。
【ステータス更新:リリアン・ヴァレリウス】
【状態:妊娠中期】
――なるほど。
よくよく見れば、リリアンの腹部が少し膨らんでいる。
家着に近い緩やかなドレスは、身体を締め付けないためのものであり、この食べやすいメニューは、妊婦への配慮なのだろう。
「リリー、本当につらかったら僕に寄りかかっていいからね」
「ありがとう、アレク」
隣に座るアレクシオスが、壊れ物に触れるような手つきでリリアンの背をさすった。
愛称で呼び合う二人の間には温かな空気が流れていて、暖かく寄り添っているように見えた。
「――アレクシオス」
ハーガン公爵が、不意に鋭い視線をアレクシオスへ向けた。
その瞬間、アレクシオスの肩が目に見えて跳ね、場の空気が凍り付く。
公爵が放つ威圧感は、窓の隙間から入り込む冬の冷気よりも冷たく、広間にいる全員の肺を重たく圧迫した。
「説明してもらおうか。領地の数年分にも及ぶ、あの異常な量の鉄材を独断で買い取った、その意図を」
上座に座るハーガン公爵が、一切の感情を排した目で長男を見据える。
アレクシオスが手にしていた銀の匙が、カチリと皿に触れ微かに震えた。
【対象スキャン:アレクシオス・ヴァレリウス】
【感情:『恐怖』の急上昇を確認】
【生体反応:呼吸の浅化。末端の微細な震え】
「そ、それは……来月以降、隣国メルカンテからの供給が滞るという予測データがありまして……。開戦の兆しがある今、武具の主原料である鉄材を確保しておくことは、領内の国防力を維持する上で……最適だと判断しました」
「その予測とやらに、どれだけの信憑性がある。ハドリアンの武器庫には、すでに騎士団全員に行き渡るだけの剣も槍も揃っている。あの山のような数万にもなる鉄塊を死蔵させて、一体なにを作るつもりだ。兵の数より多い剣を打って、錆びさせるのが貴様の言う最適か」
「ですが! 実際に緊張は高まっており、価格も上昇しています! 再来月には市場から消えるという試算も――」
「数字ばかり見て臆病風に吹かれていては現実は見えん」
ハーガン公爵の言葉は、一方的だが、領主として培ってきた経験からの説得力が重く言葉に乗っていた。
アレクシオスはそれ以上言葉を紡げず、青ざめた顔で視線を落としている。
ベアトリス公爵夫人の扇が、パタンと閉じる音が大きく聞こえる。
彼女の感情は依然として検出不能だが、テーブルクロスを押さえるその指先が、強張っているのが見えた。
「――ヴィンセント」
ハーガン公爵の矛先が、突如として隣の彼へ向けられる。
ヴィンスは静かに手を止め、父を見据えた。
「お前は、戦争において必要な鉄の量と用途をどう見積もる」
ヴィンスは一拍置いた後、静かに澱みのない声で答えた。
「騎士団の運用において、鉄は主に馬蹄や矢尻の補充、装備の補修に用います。全軍の武装は既に武器庫に整っているため、隣国と数ヶ月の戦乱を想定しても、数十個のインゴットがあれば備蓄としては十分です」
完璧な、騎士団長としての回答。
それを聞いたハーガン公爵が、本日初めて、満足げに鼻を鳴らした。
「……やはり、貴様は優秀だ。戦場を、そして現実を正しく理解している」
そして、公爵はアレクシオスへと冷たい視線を戻した。
ベアトリス公爵夫人は、余計なことをとでも言いたげに、ヴィンスに冷たく、睨むような視線を向けている。
「聞いたか、アレクシオス。騎士団長を務めるヴィンセントは、これだけの現実的な視点を持っている。ヴィンセントが嫡男であったなら、私はこれほどハドリアン領の将来を憂うこともなかっただろう」
「ッ……申し訳、ありません。父上」
アレクシオスは震える手でナイフを握り直し、食べ進んでいない皿を睨んだまま俯いている。
隣のリリアンが、耐えるような顔で夫の手をテーブルの下で握っていた。
(……ヴィンスの回答は確かに正解です。ですが、アレクシオス様の計算にも、単なる臆病とは違う、なにか別の論理的な根拠があるのでは)
話し方や仕草、選ぶ単語から、彼は慎重な人物に思える。
そんな人物が、単なる思いつきだけでこれほどのリスクを冒すとは考えにくい。
ふと、隣に座るヴィンスの手も少し震えているのが視界に入った。
父親であるハーガン公爵から、賞賛を浴びているはずのヴィンスは、喜ぶどころか激痛を耐え忍んでいるかのように見えた。
「一を問えば十どころか正解を出すヴィンセントに対し、貴様は不要な負債を増やすのみか。アレクシオス、これ以上の醜態を晒すなら、その席に座る資格はないと思え」
ハーガン公爵がアレクシオスを否定するたびに、ヴィンスをも孤独な高みへと追い詰めていく。
比較という暴論が、食卓の温度をどこまでも奪い去っていった。




