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89. 本邸へのアクセス開始

 

「さあ、急いで! お時間がありませんよ!」


 アメリアがメイドたちに飛ばす鋭い指示が、室内に響き渡る。

 招待状が届いてから数時間、入浴や身体の手入れに翻弄された後、部屋に戻ると、文字通り嵐のような喧騒に包まれていた。


「エリスお嬢様、失礼します。息を止めてください」


「ぐっ! ……く、くるしい、です……!」


【...エラー:胸部、腹部の圧迫による呼吸困難】

【――警告:肺活量が通常の60%に低下しています】


 数人のメイドに囲まれ、コルセットで執拗にウエストを締め上げられる。

 呼吸の効率を著しく下げるこの装飾具に対し、極めて非合理的な装備だと文句を言いたくなったが、それを口に出来るほどの余裕はなかった。


 爪を磨かれ、香油を塗り込まれ、幾重にも重なる布を纏わされる。

 視覚、触覚、嗅覚。

 あらゆる情報が過剰に流れ込み、処理が追いつかなくなるほどの目まぐるしい感覚に翻弄されて――三時間ほど。


「……さあ、できましたね。エリスお嬢様、鏡をご覧ください」


 アメリアの声に促され、鏡の前に立つ。

 纏ったのは、深く、吸い込まれる夜空ような、濃紺のドレスだった。

 貴族令嬢のような大人びた化粧を施され、アップにまとめられたプラチナの髪には、小さな宝石が星のように散りばめられている。


 鏡の中に映るのは、見知らぬ少女だ。

 美しくはあるが、どこか冷たく、壊れやすそうに、作り物めいている。


(……自分ではないみたいです)


 ――まるで人形だな。


 かつて、初めて会った時にヴィンスが私を評した言葉が、脳裏をよぎる。

 あの時の人形という言葉は、感情がない、読めない、といった意味だった。

 けれど今の私は、着飾らされ、自分の意志では動けない、観賞用の人形のようだ。



「ヴィンセント様には使いを出しておりますので、本邸の入り口でお待ちかと思います。さあ、参りましょう」


 アメリアの言葉を背に、私は夜の帳が下りた公爵邸の本邸へと馬車で向かった。



 * * *



 車輪が雪を踏みしめる重い音が、凍てつく静寂の中に響く。

 窓の外を流れる本邸の庭園は、夜の闇と降り積もる雪によって、境界の曖昧な白銀の迷宮へと変貌していた。


 馬車に揺られること十数分。

 広大な敷地内を移動し、公爵家本邸の巨大な正面玄関へと到着した。

 馬車の扉を開くと、そこにはヴィンスが待っていた。


「エリス」


 いつもの騎士服ではなく、夜会用の、漆黒と金糸の正装に身を包んでいる。

 整えられた髪と、洗練された立ち姿。

 その背後に広がる雪夜の闇が、彼の銀髪と漆黒の正装を鮮やかに浮かび上がらせ、冷徹なまでの気品を漂わせていて、私は一瞬、息をするのを忘れてしまった。


【スキャン:ヴィンセント・ヴァレリウス】

【評価:『美麗』『高貴』……『最高』】

【エラー:心拍数が急上昇中】


「……似合っている」


 彼もまた、私を見て目を細めた。

 馬車のステップに足をかけた私に、彼が手を差し伸べる。

 その手を取ると、彼は引き寄せるようにして、私を地面へと降ろしてくれた。

 着地した後も、彼の手は私の腰を支えたままだ。


「アメリアから聞きました。このドレスもヴィンスが選んでくださったのだと」


「ああ、君には俺の色を……いや、その、似合うと思ってな」


「ヴィンスも、とても素敵です」


 私が微笑むと、彼は騎士団の部屋に置いているものを着ただけだと素っ気なく言ったが、その耳は赤くなっている。

 咳ばらいをひとつすると、ふと俯き、彼は声色を落として屋敷の方に視線をやった。


「……エリス。急な呼び出しになってしまい、本当にすまない。父上がこれほど性急に動くとは思っていなかった。挨拶の場は、君が生活に慣れてからにするべきという話だったんだが……」


 ヴィンスの灰色の瞳に、深い苦渋の色が混じる。

 強引な父親を抑え込めなかった自分への苛立ちなのだろう。

 そしてなにより、私をこの場へ引きずり出してしまったことへの後悔が伝わってきた。


「いいえ。早い方が効率的ですから、お気になさらず」


 私が努めて淡々と答えると、彼は少しだけ悲しげに、けれど愛おしそうに私の手を握る力を強めた。


「……君のそういう強さに、今は救われる。だが、無理はしないでくれ。なにかあれば、すぐに俺が割って入る」


「はい。もちろん頼りにしています」


 差し出された腕に、私はそっと手を添えた。

 触れた腕の筋肉の硬さと、スーツ越しに伝わる体温に、緊張が少し和らぐ。


 ヴィンスに導かれ、本邸のエントランスへと踏み出す。

 そこには、離れとは比較にならない数の執事やメイドたちが、壁の装飾のように整然と並び、私たちを迎え入れていた。

 彼らの視線は伏せられているのに、まるでスキャンされているかのような圧迫感がある。


「ヴィンセント様、エリス様。皆様、大広間でお待ちです」


 老練な執事の先導で、私たちは長い廊下を進んだ。

 赤い絨毯が敷き詰められた広い廊下には、剣を携えた鈍色の甲冑が左右に並べられている。


【スキャン:廊下に配置された儀礼用甲冑】

【分析:ヴァレリウス家の紋章を確認。極めて高度なメンテナンス状態を維持】

【分析:備え付けられた長剣の表面反射率を測定。儀礼用でありながら、実働武器としての性能を完全に担保】


「ヴァレリウス家当主は歴代、公爵家を継ぐ前に騎士団に務めている。一番奥の甲冑は、父上が騎士団長だったときのものだ」


 私が甲冑に送る視線に気づいたヴィンスが、小さな声で説明を加えてくれる。

 隣国との摩擦が起きた際には一番に動かなくてはいけない、この領の領主一家ならではの慣習なのだろうか。


「ヴィンスは次男だと言っていましたね。ヴィンスの前の騎士団長は公爵家次期当主……お兄様だったのですか?」


「いや、兄上は……剣をふるうよりも勉学に向いていたからな、騎士団には入っていない」


 長い廊下を歩きながら小さく会話する中で、ヴィンスがまた苦々し気に表情を曇らせる。

 しばらくして重厚な扉の前に到着すると、執事たちが扉に手をかけ、ゆっくりと左右に開いていった。


 開かれた扉の向こう側から、眩いシャンデリアの光と共に、ヴァレリウス家の重苦しい空気が一気に溢れ出してきた。



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