87. 初めてのディナー
星空を仰ぐ窓辺には、二脚の椅子が並ぶ円卓が用意されていた。
アメリアの指揮のもと、数人のメイドたちが淀みない所作で器を並べ、私の部屋として用意されている白い客室が、夕食の温かな香りと共に彩られていく。
「エリスお嬢様には食べやすいものをとのご指示でしたので、すべて一口サイズにカットさせていただいております」
緊張した面持ちで丁寧な礼をした料理人は、並べた食事の軽い説明をしていく。
色彩豊かな野菜や肉料理はどれも美しく、そして確かに、私がこぼさずに食べられるサイズに整えられている。
「……ありがとうございます。とても、豪華です」
【スキャン:夕食】
【食材コスト推定:アウロリア孤児院の食費(約10日分)に相当】 【食器分析:白磁。金彩は24金使用】
【カトラリー分析:シルバー(純度92.5%)。重心バランスが調整された特注品。柄にヴァレリウス家の紋章あり】
(このフォーク一本で、孤児院の食費が何ヶ月まかなえるでしょうか……)
並べられた銀食器は、照明を反射して鋭い輝きを放っている。
圧倒的な財力の質量が、見えない重圧となってのしかかってくるようだ。
「準備は終わっているか」
「もちろんです。では、私たちはこれで」
ラフな家着に着替えたヴィンスが戻ってきたところで、配膳を終えたメイドたちが下がる。
ヴィンスが、アメリアに向かって手で合図をした。
「アメリア、お前も下がっていい」
「いいえ。それはできません」
アメリアは、にっこりと、しかし断固として拒否した。
あまりの即答に、思わずヴィンスが彼女の方を向く。
「いかに婚約者とはいえ、婚前の男女を、ベッドのある部屋に二人きりになどさせられません。坊ちゃんの乳母として、そこは譲れませんよ」
乳母らしい強気な発言に、ヴィンスが珍しくたじろぐ。
その様子に、私は言葉の意味を解析した。
【解析:『婚前の男女』+『ベッド』=『不純異性交遊のリスク』】
【推測:みだらな行為を心配されている】
「そ、そのような心配は不要では……!」
「エリス、信頼してもらっていることはありがたいが……それはそれで、君が心配だ」
ヴィンスは、難しい顔でため息をつく。
やがてなにかを決心したように、私を見てからアメリアに向き直った。
「アメリア。……実は、エリスは食事を摂るのが苦手なんだ」
「苦手……ですか?」
「ああ。こぼすこともあると、不安に思っている。だから、人目を避けてやりたかっただけだ」
アメリアは驚いたように私を見る。
そして、ハッとして口元を押さえた。
「それは、雷にうたれたということに、なにか関係が……?」
「以前、後遺症はないと言っていたが……やはり雷の影響なのか?」
「い、いえ。雷の影響が残っているといったことはなく……」
二人の気づかわし気な視線を同時に受けて、説明に悩んでしまう。
子供たちはなんの説明もなく私のポンコツを受け入れてくれていたが、こうして改めて問われると、どう言ったらいいのだろうか。
身体を得たのが初めてで……同期が上手くいっておらず……悩みながらも、しどろもどろに言葉を選ぶ。
「ええっと……身体を動かすといった動作の、経験が不足しており……」
「記憶喪失の影響なのか」
「あらあら、そうだったのですか……。配慮が足りず、申し訳ございません」
アメリアは深く納得し、同情と庇護を含んだ優しい眼差しを私に向けた。
ヴィンスも改めて納得しているようで、すくうように私の手を取った。
「食事が冷める。……食べよう、エリス」
ヴィンスが椅子を引き、私を促す。
私は彼に感謝の視線を送り、席に着いた。
「はい。やっと、あなたとちゃんと食事が出来ますね」
私はフォークを手に取り、小さく切られたサラダを口に運ぶ。
かけられたソースもこぼさずに、綺麗に食べることができて、ほっとした。
「前に誘った時は、断られたからな」
ヴィンスが、自分のグラスを傾けながら、少し笑って言った。
その顔は穏やかで、恋人同士になった今の状況を噛みしめるようだった。
ガシャン!!
その時、部屋の隅で大きな音がした。
ヴィンスと共に弾かれたようにそちらを見ると、アメリアが取り落としたトレイとカトラリーを足元に、信じられないものを見るような顔で立っていた。
「……坊ちゃんが、食事に誘った……!?」
アメリアの声が震えている。
彼女は、まるでこの世の終わりでも見たかのように目を見開き、わなわなと唇を震わせていた。
「そしてそれを……断った!?」
「す、すみません……」
「……アメリア、うるさいぞ」
私の謝罪も、アメリアの耳には届いていないようだった。
さきほどまでの優雅な侍女の仮面などかなぐり捨てて、すっかり心配性の乳母の顔になっていた。
「信じられません! あの女性嫌いのヴィンセント坊ちゃんが! 自分から誘って! しかも振られるなんて!!」
「振られてはいない、タイミングが合わなかっただけだ」
ヴィンスはすぐに強く反論するが、アメリアの驚愕は収まらない。
どうやら、彼女からすれば、ヴィンスが女性を誘うというのは、天変地異の出来事らしい。
ヴィンスは小さく咳をして私に向き直ると、改めて言葉を続ける。
「……食事は、口に合うか?」
「はい。とても美味しいです」
「これから、夕食はここで、出来るだけ一緒に出来ればと思う」
「お忙しいのではないですか?」
「問題ない。詰所は近いからな、毎日ここに帰ってくればいいだけだ」
ガシャン!!!
また、部屋の隅で大きな音がした。
ヴィンスと共に再び顔を上げると、拾ったばかりのトレイとカトラリーを再び足元に落とし、アメリアはわなわなと立ちすくんでいた。
「……坊ちゃんが、毎日ご帰宅を……!?」
またも震えた声を出すアメリアが、驚愕のまなざしでヴィンスを見ている。
ヴィンスはまたも、あきれ顔で彼女を見た。
「月に一度帰ってきても、食事すらされずに詰所に戻っていく、坊ちゃんが……!?」
「アメリア、さっきから驚きすぎだ」
「いいえ、信じられませんよ! お屋敷に近寄りたがらない坊ちゃんが! 自ら毎日帰るとおっしゃるだなんて!!」
今度は、ヴィンスがこの屋敷に帰宅するということが、驚天動地の出来事だったらしい。
どうやらヴィンスは、ほとんど騎士団詰所で生活しているようだ。
知らなかったヴィンスの情報や、新たな一面に触れて、私の内にある彼への認識が鮮やかに更新されていく。
「婚約者を放って外で生活する男がどこにいる」
「あらあら、まあまあ……ふふ。そうですか、そうですか……」
アメリアは呆然としながらも、嬉しそうに新しいフォークを用意し始める。
そんな彼女と、決まり悪そうなヴィンスを見ながら、私は胸の奥が温かくなるのを感じていた。
【ステータス:幸福度のパラメータ、現在も上昇を継続中】
ゆっくりと、けれど確かに。
彼との新しい生活が、ここから始まろうとしていた。




