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85. 広すぎる客室

 

 アメリアに導かれ、私は豪華なシャンデリアと絨毯の敷かれた邸宅の廊下を進んだ。

 途中、アメリアは「あちらには応接室、そちらには書庫が」と指し示しながら、二階にある私の部屋として整えられていると言う客室に着く。


 アメリアが開いた扉の先には、視界いっぱいに白を基調とした淡い色合いの空間が広がった。

 大きな金のシャンデリア、ふかふかな絨毯、クラシカルなデスクと、淡い紫のレースが美しい天蓋のベッド。

 対のソファとローテーブルにも豪華な金の意匠が施されている。

 そして、豪奢なカーテンのかかった窓辺に飾られているのは、瑞々しい真っ白なバラの花束だった。


【環境スキャン:部屋の体積、孤児院の自室の600%。内装、白を基調とし淡い紫を差し色に、金の意匠で統一した極めて高コストな装飾】


「これは……素晴らしく、豪華なお部屋ですね」


「エリスお嬢様は聖女様ということで、ヴィンセント坊ちゃんからは白を基調に、部屋の内装を整えるよう、お申し付けをいただいております」


 圧倒されている私の反応を見たアメリアが、満足そうに説明する。

 私のことを考えて、彼が…――その事実に、胸の奥がきゅっと熱くなった。


「長旅でお疲れでしょうから、まずは少しお休みになられてくださいね」


 アメリアはそう言って、優雅な一礼を残し、退室していった。

 広い部屋に一人残された私は、所在ない気持ちで部屋の中をうろうろとしてしまう。


 豪華な部屋の端に、先に運ばれた荷物があった。

 メルと詰め込み、アンが運んでくれた、シスター・ベロニカに貰った小さな旅行鞄だ。

 その旅行鞄は、この巨大な空間の中で唯一の、安心できる領域のように感じられた。

 私は荷物の隣、部屋の端っこに小さく座り込み、無意識に安心を求めて、鞄の中から子供たちにもらった宝物の数々を眺めていた。


 しばらくして、ドアがノックされる。


「エリスお嬢様、失礼いたします」


 アメリアが、紅茶と菓子を載せたカートを押して戻ってきた。

 彼女は部屋の隅に座り込んでいる私を見て一瞬目を丸くしたが、すぐに慈しむような微笑みを浮かべた。


「お嬢様、すぐにお茶の準備をしますからね。さあ、こちらへ」


 促されるまま、ふかふかのソファへ腰掛けると、アメリアは澱みのない所作で紅茶を淹れ始めた。

 公爵家で働くものとしてか、その所作は細部に至るまで洗練されている。


「本来であれば、エリスお嬢様の身の回りのお世話をする専属の侍女を、すぐに付けるべきなのですが。ヴィンセント坊ちゃんが、侍女の選定は慎重に行いたいとのことで……」


【検索:侍女】

【定義:高貴な女性の身の回りの世話を行い、公私の生活を支える最側近。高度なマナー、機密保持、そして主人への忠誠が要求される】

【分析:現在の私のステータス『聖女(未認可)』『公爵家次男の婚約者』に対し、外部からの接触を制限し、かつ私の特性を許容できる個体の選定は極めて難易度が高いと推察】


「エリスお嬢様を理解し、心から守る者でなければ側に置くことは許されない、と……。適任が見つかるまでは、私がお嬢様の侍女を兼任させていただくことになりました。この離れの管理や本邸との行き来も多く不在がちですが、ご容赦くださいね」


「私には、もったいないくらいです。ありがとうございます」


 ヴィンスがそこまで私のことを考え、信頼できるアメリアを付けてくれた。

 その不器用で過保護なほどの配慮を感じ、私は胸がいっぱいになった。


「……ふふ、先ほどの坊ちゃんを見て、使用人はみんな驚きましたよ。あの鉄仮面で有名な、公爵家の氷の騎士と評されるヴィンセント様が、あのように甘い表情をされているなんて――」


「氷の騎士……そういえば、ヴィンスはなぜ氷の騎士と言われているのですか?」


「あら、エリスお嬢様はご存じないのですか? ……少しお待ちくださいね。」


 紅茶の抽出時間を計りつつ、アメリアはいそいそと部屋を出ていき、すぐに戻ってきた。

 その手にあるのは、分厚い冊子のようだ。


「これは私の宝物なのですが……ふふ、エリスお嬢様には特別にお見せしましょう」


「拝見させていただきます」


 少し得意げに見せたアメリアに、手渡された冊子を受け取る。

 立派な表紙を開くと、新聞の切り抜きを集めたスクラップブックのようだった。


 この世界の新聞を見るのは初めてだ。

 主に文字で構成されており、時折挿絵や版画と思われる姿絵がある。

 アウロリアでは見かけなかったので、おそらくは、領主街などの中心地のみで売買されているのだろう。


「これは――ヴィンスの記事を集めているのですね」


「ええ。坊ちゃんは若くして公爵領の騎士団長まで上り詰めましたから、新聞で取りざたされることも多くありまして」


 紅茶とお菓子の準備をカートの上で進めながら、アメリアは柔らかい笑顔を浮かべている。

 私は冊子をめくり、ヴィンスの過去データを読み進めた。


【テキスト解析:『ヴィンセント・ヴァレリウス、隣国との戦争にて多大なる武勲を確立。戦況の決定的転換点を創出』】

【テキスト解析:『隣国との紛争において、武力行使を最小限に抑えた無血降伏を誘導。極めて高度な心理戦・戦略的勝利と判定』】

【テキスト解析:『氷の騎士率いるハドリアン領騎士団、現在まで無敗を継続中』】

【テキスト解析:『ハドリアン領騎士団、領内の公共事業において市民に協力』】


 切り抜きはどれも、ヴィンスの強さや高潔さを誇るようなものだった。

 ひとつひとつの記事も、一面を飾ったのだろう大きさで、市民の関心が高いことも感じられる。


「素晴らしい功績ばかりです」


「そうなんです! 叙勲の話もあったのですが坊ちゃんは辞退されてしまって……。睨みだけで降伏させた、敵を皆殺しにした、戦闘は冷徹そのもの、なんて噂もあったので、叙勲の話はそのまま流れてしまい――」


 ヴィンスの良いところを話せる同士が現れたと言わんばかりに、アメリアは少し興奮した様子で早口に言葉を続ける。

 しかし抽出時間が終わったのだろう紅茶をすぐにカップへと注ぎ始めており、完璧な使用人の姿に感心してしまう。


「だからヴィンスは、氷の騎士という呼び名が嫌いなのですか?」


「もちろんそれもありますが……ふふ。最近嫌っておられるのは、その輝かしい功績とご身分に対して、氷の騎士様、氷の騎士様と、女性たちが群がっていたからでしょう。最初は恐れられての呼び名でしたが、今や憧れを込めた、女性人気の象徴のような愛称ですから」


「な、なるほど……?」


 ジャック副団長も、ヴィンスに山のような見合いの釣書があるといったようなことを言っていたことを思い出す。

 公爵家次男で、実力のある騎士団長、それにあの整った容姿ともなれば、多数の女性から好意を寄せられるのは当然のように思えた。


「あら?」


 アメリアは紅茶とお菓子をテーブルに並べようとして、ふと、私が広げていたものに目を留めた。

 さっき鞄から取り出して眺めていたものを、そのままソファ傍のテーブルに置いてしまっていたのだ。


 子供たちがくれた木の実や、綺麗な石。

 そして彼らが初めて練習で書いたエリスの文字が、寄せ書きのようになっている、くしゃくしゃの紙が広がっている。


「アウロリア孤児院の子供たちからのプレゼントです。……私の、宝物なんです」


 私が少し俯きながら答えると、アメリアはそっとその中の一つ、磨かれた石に触れた。

 とても優しい表情をした彼女は、壊れ物を扱うような手で、それらを持ち上げる。


「エリスお嬢様。これらはデスクの方へ、いつでも眺められるように飾っておきましょうか」


「あ……ありがとうございます」


 アメリアはにこやかに、手際よく私の宝物たちを運び、柔らかな冬の陽光が当たるデスクの上へと、一つ一つ丁寧に並べてくれた。

 殺風景だった高価な家具が、子供たちとの思い出によって彩られていく。

 その様子を見ていると、張り詰めていた緊張の糸が、ふっと解ける音がした。


「さあさあ……ふふ。ゆっくりとなさってくださいね」


 アメリアが淹れてくれた紅茶からは、甘く華やかな香りが立ち上っている。

 スクラップブックをアメリアに返した私は、ソファに深く腰掛け、気を付けつつカップを手に取った。


【味覚分析:最高級茶葉。……微量成分『安心』を検出】


 一口飲むと、身体の芯から温まる。

 冷たい窓の外には、遠くに公爵家本邸の城壁が威圧的にそびえ立っているのが見えた。

 けれど、この部屋の中だけは、春の日だまりのように暖かかった。




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