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83. 旅立ちの日

 

 ――翌朝。

 私の頭上には雲一つない、突き抜けるような青空が広がっていた。

 昨日まで降り続いていた雪は止み、世界は新雪が太陽光を反射して輝く、眩いばかりの白銀に塗り替えられている。


 教会の前には、側面に騎士団の剣の紋章が描かれた、頑丈で実用的な一台の馬車が、雪を踏みしめて停まっている。

 馬車の前に立っている二人の騎士と話をしていたらしいメルが、振り返り、私の足元まで駆け寄ってきた。


「おはようございます。ヴィンセント騎士団長、ジャック副団長」


 出迎えてくれたのは、すでに旅装を整えたヴィンセント騎士団長と、ジャック副団長だった。

 ヴィンスは腰に剣を帯び、いつもの騎士団長の顔をしている。


「エリス。俺は急ぎの用があって、先に領主街に戻る。……護衛には代わりにジャックをつける。安心してくれ」


「はい、承知しました」


 少し残念だが、業務優先だ。

 私が頷くと、御者台の横に立っていたジャック副団長が、ビシッと敬礼してみせた。


「護衛はお任せを。……いやァ、やっと領主街に帰れますよ。ここの飯も美味かったですが、やっぱり自分の家が恋しいですねェ」


「ふふ、よかったですね」


 ジャック副団長が、白い息を弾ませながら軽口を叩く。

 その表情はひと際明るく、長かった辺境任務からの帰還を喜んでいるようだ。

 私が彼に微笑んでいると、横でヴィンスが眉をひそめた。


「……お前たち、仲良くなっていないか?」


 ヴィンスの視線が、私とジャック副団長を行き来する。

 それに対してジャック副団長は、おおげさに肩をすくめて見せた。


「そりゃあ、お互い誰かさんに放置されてる一ヶ月以上もの間、毎日顔を合わせてましたからねえ。戦友みたいなもんですよ」


「…………」


 痛いところを突かれたヴィンスが言葉に詰まる。

 周りに控えていた旅を共にする護衛の騎士たちも、クスクスと笑っていた。


【...顔認証:過去データとの一致、多数】


 彼らは、あの井戸掘りの時に汗を流し、完成を喜んでくれた、あの兵士たちだ。

 知っている顔があるだけで、心拍数が安定する。


「エリス様ー!」


 教会の扉が開き、子供たちがドタドタと駆け寄ってきた。

 子供たちは騎士の中に、井戸掘りのときの兵士たちがいることに気が付くと、気安く久しぶりと声をかけている。

 取り囲むと、口々に声をあげはじめた。


「エリス様のこと、ちゃんと見ててね!」

「馬車は初めてだから、酔うかもしれないよ!」

「集中するとお水飲み忘れるから、定期的にちゃんと渡してあげて!」

「食事はパン中心で! 硬いものはまだ苦手だから!」


 みんなまるで、手のかかる子供を預ける親のような口ぶりだ。

 これまでの私のポンコツなログが、彼らに過保護な認識を植え付けてしまったらしい。

 騎士たちは困惑しつつも、真剣な子供たちの剣幕に押され、ああ、分かったと頷いている。

 最後にジャック副団長が、雪の上に膝をついて子供たちの目線に合わせて屈み込み、ニカっと笑った。


「任せてくれ。エリス様のことは、俺たちが責任を持って、領主街に無事送り届ける」


 その言葉に、子供たちは少しだけ安心した顔を見せた。


 続いて、私の荷物を持ってきてくれているアンと、そしてシスター・ベロニカと共に杖をついたエドマンド司教が出てくる。

 私の荷物は小さな鞄一つ分に収まっていた。

 アンの手から兵士が受け取り、馬車の荷台へと積み込んでいく。


「積んでくれたかね?」


「はい。一番取り出しやすい場所に」


「うむ」


 荷積みの横で行われていた、エドマンド司教と兵士のやり取りに、私は首を傾げた。

 私の荷物はもう預けたはずだが、何か追加があったのだろうか。

 視線に気づいたらしいエドマンド司教が、私に向き直る。


「貴女は本が好きだろうと思ってな。私がここまでの移動中に読んで興味深かったものを数冊選び、荷台に積ませた」


「本ですか……!」


 本――未知の情報の入力機会。

 私の知的好奇心回路が、即座に反応を示した。


「ああ。ただし、専門書ではない。……貴女は、情報を処理するのは早いが、情景を味わうことはまだ苦手のようだ」


 エドマンド司教は、手元に持っていた1冊の本を私に差し出した。

 それは、たしかに堅苦しい学術書ではなく、美しい装丁が施された大人向けの小説のようだった。


「貴女はゆっくりと本を読むということを覚えるべきだ。積んだものも、全て小説にした。道中、自分の感性と照らし合わせながら、読みなさい」


「……はい! ありがとうございます、エドマンド司教」


 私は渡された本を、宝物のように胸に抱きしめた。

 知識のインプットだけではない、感性の学習。

 それはまるで、エドマンド司教からの最後のミッションのようだった。


「それから……」


 司教が、不意に距離を詰め、私の横に少し顔を寄せた。

 出立準備の喧騒に紛れるほどの、低い、ごく小さな声で言葉を続ける。


「君が、異世界の知識の器であることは、誰にも言っていない」


「え……」


「雷に打たれて以降の記憶しかない、啓示を受けた聖女。――教会への報告も、公爵家へも、それで通してある」


 エドマンド司教の眼鏡の奥の瞳が、悪戯っぽく、けれど優しく細められた。


「騎士団長殿に話すかどうかは、自分で判断すると良い。なにかあれば、すぐに手紙を寄越しなさい」


「……はい」


 胸が熱くなる。

 エドマンド司教は、私の最大のエラーごと、守ろうとしてくれていたのだ。


「そろそろ出発する」


 荷物の積み込みが終わり、ヴィンスが声を上げ、馬車の扉を開く。

 教会の坂の上から見える眼下の白い街道には、領主たちの黒く長い馬車列がすでに動き出しているのが見えた。


「……わかりました」


 私は頷き、馬車のステップに足をかけようとした。

 振り返ると、アンも、シスターも、子供たちも、みんな心配そうに息を呑んで私を見つめていた。


 その不安そうな空気を察したのか、ヴィンスが私のそばへと歩み寄った。


「エリス」


 不意に、視界が浮き上がった。

 ヴィンスが私の腰を両手で持ち上げ、軽々と宙に浮かせたのだ。


「ひゃっ!?」


 ヴィンスは私を、ふわりと優しく馬車の座席へと下ろした。

 そして、そのまま子供たちの方を振り返り告げる。


「安心しろ。領主街では、俺が必ずエリスを守る。……約束する」


 その言葉は、騎士の誓いにも似ていた。

 アンが口元を押さえ、シスター・ベロニカは安堵の息を吐き、子供たちの顔にぱあっと光が差した。


「いってらっしゃい、エリス様!」

「お身体には、気をつけるのですよ」

「元気でねー!」

「またねー!!」


 口々に伝えられる別れの挨拶を惜しみながら、馬車の扉が閉められた。

 私は窓にくっついて、その姿を最後まで見ようと身体を乗り出す。


「いってきます……!」


 ガタン、と車輪が回り出す。

 ヴィンスやジャック副団長、騎士たちが馬に跨り、馬車を囲むように進み始めた。


 窓の外を、白く染まったアウロリアの街並みが、粉雪を舞い上げながら遠ざかっていく。

 子供たちやアンが、馬車を追いかけるように走ってくるのが見えた。


「エリス様ー!」

「またねー!」


 必死に手を振る彼らに、私も手を振り返し続ける。

 やがて坂道を下り、広場に入っても、一人だけ、懸命に走ってくる姿があった。

 ――メルだ。


「エリスー! 絶対に帰ってきてね! ぜったいだよ!!」


「メル……!」


 彼女は街の広場まで、息を切らして追いかけてきた。

 けれど、馬車の速度には敵わない。

 やがてその小さな姿も、すぐに見えなくなった。


 馬車は街道へ出て、先を行く黒い馬車列の最後尾へと合流した。

 昨日の朝に、恐怖すら感じていたあの威圧的な行列の中に、今は私がいる。



【ステータス:現在地更新中】

【感情ログ:『喪失感』、および『孤独』を検出】


 遠くなっていく教会。

 森に遮られ、見えなくなっていくアウロリアの街。

 私はエドマンド司教に渡された本を抱きしめたまま、シートに深く沈み込み、潤む視界を閉じた。



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