82. ログに刻まれた宝物
教会の門の前でヴィンスと別れ、教会へと戻った。
すでに日は落ち、降り積もった雪が周囲の音を吸い込み、早くも夜の静寂を深いものにしていた。
けれど、孤児院の窓からは、いつもと変わらない温かな光が漏れている。
「戻りました」
孤児院の広間の扉を開けると、そこにはエドマンド司教から事情を聞いたであろうシスター・ベロニカ、アン、そして子供たちが全員揃って待っていた。
私の姿を見つけるなり、一番にメルが駆け寄ってくる。
「エリス……!」
その目は赤く腫れていた。
きっと、私が帰ってくるまでの間、たくさん泣いていたのだろう。
けれど、メルは私の前で立ち止まると、両手でパン! と自分の頬を叩いた。
「お帰りなさい! ……荷造り、急がなきゃだね!」
「メル……」
震える声で、それでもメルは精一杯の笑顔を作っている。
ロキも、腕組みをして壁に寄りかかり、わざとらしく、赤くなった鼻を鳴らした。
「ふん。やっとあの団長とくっついたかと思えば、いきなり同棲かよ」
「ロキ、言葉が過ぎますよ」
シスター・ベロニカがたしなめるが、その声にもいつもの覇気がない。
彼女は私に向き直ると、静かに告げた。
「司教様から伺いました。……領主様の命令とあらば、逆らうことはできません」
「はい。急なことで申し訳ありません。資料は作成済みですが、最新の配合飼料のデータや、現在の気温に合わせた石鹸の乾燥工程の管理など、まだお伝えしきれていない事項が……」
私が早口で業務連絡を並べ立てようとすると、アンが優しく私の肩に触れた。
「エリス様。大丈夫ですよ」
「アン……」
「鶏も、畑も、石鹸も。エリス様が教えてくださったこと、みんなちゃんと覚えています。……私たちだけでも、もう大丈夫です」
その言葉に、胸が詰まる。
私の管理なしでも自律稼働する孤児院。
それは喜ぶべき成果だというのに、寂しさで胸が張り裂けそうになる。
「……ううっ、エリス様ぁ……」
我慢できなくなったのか、年少の子供たちが泣き出し、私に抱きついてきた。
それをきっかけに、我慢していたアンも、涙をこぼし始める。
「行かないでとは、言えません……。エリス様のためですものね……」
「絶対、帰ってきてね……!」
「また遊ぼうね……!」
子供たちの体温と涙が、私に伝わる。
私は一人一人を抱きしめ返し、その感触をメモリに焼き付けた。
「……約束します」
私は顔を上げ、みんなを見渡した。
「私は必ず、戻ってきます。本物の聖女と認められ、胸を張って、また皆さんに会いに来ます。……ここは、私の家ですから」
「うん……! 待ってる! 絶対だよ!」
私の小指に、メルが自分の小指を絡めた。
――指切り。
この世界にもある、契約の儀式だ。
私たちは涙に濡れた顔で笑い合い、再会を誓った。
* * *
メルとともに自室に戻り、荷造りを始める。
といっても、私の荷物は多くない。
この世界にインストールされた時に着ていたボロボロの服。ヴィンスから貰った白いブーツ。療護院のおばあさんたちと子供たちからもらったドレス。商人たちにもらった髪飾り。ダリオたちと作った万年筆の試作品。
そして、子供たちがくれた木の実や、綺麗な石、文字の練習をした紙。
(最初は、なにも持っていませんでした)
覚えのない身体――ハードウェアに、システムひとつ放り込まれたような状態だった。
それが今では、こんなにも大切な物と、ログで溢れている。
服を畳み、シスター・ベロニカから譲り受けた鞄にしまっていくなかで、メルがぽつりと話し始めた。
「いつかきっと、エリスは遠くに行っちゃうんだって、分かってたんだけど……でも、大好きな人と一緒にいられるなら、よかったなあ」
メルの言葉に、これまでの日々が蘇る。
再起動したあの日から、食事の練習、水汲みの失敗、畑仕事……。
どんなときでも、ずっと私のそばで面倒をみてくれた、小さな女の子。
「毎日ちゃんと寝るんだよ、一気に本を読んじゃダメだよ、水浸しのままにするのもダメ!」
「……はい」
「ご飯はゆっくり食べて、お水は咳き込まないようにね。転んだらすぐにケガを洗って、それから朝起きたら……」
まるで、心配性な母親のような言いつけだ。
私は微笑み、安心させるように彼女の小さな手を握った。
「メル、大丈夫です」
「……そっか。そう、だよね……」
メルが少し寂しそうに眉を下げる。
私は彼女の小さな手を握りなおし、でも、と続けた。
「なにかあったら……いいえ、なくても、お手紙を書いてもいいですか?」
私が少し照れながら言うと、メルはパァッと顔を輝かせて立ち上がった。
「もちろんだよ! 超特急で、文字の読み書き覚えるから 任せて!」
がんばるぞー! とやる気に満ちている元気なメルを見て、私も想いを馳せる。
――この世界で目覚めて、一番に出会ったのは、痩せ細って小さく、怯えていた彼女だった。
それがこんなに逞しく、明るくなっている。
「……ふふ」
私が笑うと、メルが寝る準備を手伝いながら振り返った。
「私ね、エリスのおかげで、夢ができたのよ」
「夢、ですか?」
内緒だよと、メルは悪戯っぽく笑いながら、私のベッドのシーツを整える。
「みんなもそうだよ。ロキは工房の職人になるんだって! アッシュはルカと農家になりたいって言ってた! 新しい発明をしたいとか、本を書きたいって子もいるの! ……みんな、エリスのおかげだよ」
あんなに人生を諦めて悲観し、弱っていた子供たち。
彼らが、自分の未来を夢見ることができるようになった。
その成長に、胸の奥が熱くなる。
「あのね、エリス……お願いがあるの」
寝支度を終えたメルが、もじもじしながら私の袖を引いた。
「……今日は、一緒に寝たいな」
その言葉は、私の胸の奥にある寂しさを、ふわりと溶かしてくれた。
私はメルを見つめ返し、素直な気持ちを言葉にする。
「はい。……私も、そうしたかったです」
私たちは狭いベッドに並んで入った。
隣から伝わるメルの温かい体温と、規則正しい寝息。
【環境スキャン:安心】
【ステータス:幸福】
【ログ:孤児院での最終稼働、記録完了】
外では、しんしんと雪が降り続き、世界を白く、静かに塗り替えていく。
孤児院での最後の夜は、温かく更けていった。




