閑話. 副団長は小さな背中を見守る
アウロリアに、本格的な冬の足音が近づいていた。
俺――ジャックは、冷え切った石造りの階段を、ゆっくりと降りていく。
そこは、代官屋敷の地下にある牢獄だ。
冬の冷たい凍るような湿気、そして淀んだ空気。
一ヶ月前、聖女誘拐を企てた商人ロレンツォと、その雇われ傭兵たちが収容されている場所である。
「……ひっ! き、騎士様……!」
鉄格子の向こうで、かつては豪奢な服を着ていたであろうロレンツォが、薄汚れた姿で顔を上げた。
俺の顔を見るなり、彼は媚びるような、それでいて探るような卑屈な笑みを浮かべる。
「寒くなってきましたねェ……。どうです? 移送はまだで……? まだでしたら、せめて毛布の一枚でもォ……」
へらへらとしたその態度に、俺の中で冷たいものが走った。こいつは分かっていない。自分がなにをしたのか。
そして、今、自分のせいで外がどうなっているのかを。
ガンッ!!
俺は腰の剣を、鞘に納めたまま乱暴に石畳へ突き立てた。
乾いた、重い音が地下牢に響き渡る。
ロレンツォの肩がビクリと跳ね上がり、奥にいた傭兵たちが息を呑む気配がした。
「……毛布、だと?」
俺は彼らを見下ろした。
いつもの軽口も、愛想笑いも消し去って。
ただ冷たく、ゴミを見るような目で。
「この寒さで凍えて死んでくれたら、毛布代も、移送費用も、処刑の手間も省けて助かるんだがなァ。……お前たち商人は、そういうコスト削減が大好きだろう?」
「ひっ……!」
ロレンツォが顔を引きつらせ、後ずさる。
俺は鼻で笑い、剣を持ち上げると、踵を返した。
(……まったく、胸糞悪い)
代官屋敷の外に出て、白い息を吐き出す。
見上げれば、鉛色の空から断続的に白い粒が落ちてきている。
地面を白く染めるほどではないが、石畳の隙間に薄く残るその白さが、本格的な冬の到来を告げていた。
――状況は、良くない。
ヴィンセント団長からの手紙はなく、届くのは伝令係からの無機質な現状報告のみ。
隣国メルカンテ連合の動きが怪しいという情報が錯綜し、国境警備は強化され、王都では貴族たちが騒ぎ立て、さらに教会が聖女誘拐を巡って口を出し始めているという。
団長は今、そのすべての衝突を一身に受け止め、抑え込んでいるはずだ。
本来なら俺がその隣に立つべきだが、今はここを動けない。
この街と、彼女を守るのが、今の俺に与えられた任務だからだ。
「……いつまで続くんだか」
俺は深いため息をつき、重い足取りで広場へと向かった。
広場の隅、郵便馬車の停留所に、その姿はあった。
鉛色の空の下、降り始めた雪に紛れるように佇む、フードを深く被った小さな背中。
――エリス様だ。
彼女は、御者に短く言葉を交わし、首を横に振られると、ペコリと丁寧にお辞儀をした。
その肩が、ほんの少しだけ落ちたように見える。
恋人になったばかりの相手から、一ヶ月も連絡がないのだ。
不安にならないはずがない。
「……エリス様」
声をかけると、彼女はハッとして振り返った。
「ジャック副団長」
「また、手紙待ちですか?」
「……はい。ですが、今日もデータは更新されませんでした」
瞬きをするたびに、長い睫毛に乗った雪のひとひらが、体温を吸って微かな雫へと変わっていく。
その様子は、まるで見えない涙を流しているかのようで、俺の胸をチクリと刺した。
俺は努めて明るく、肩をすくめて見せた。
「いやァ、参っちゃいますよね。実は俺のところにも、団長からの手紙は来てないんですよ。来るのは伝令からの業務連絡ばっかりで」
「……そうなのですか?」
「ええ。もしかしたら俺たち、揃って放置されてるのかもしれませんねェ。……あの仕事人間め」
俺がわざと悪態をつくと、エリス様は、ふふ、と小さく笑った。
「大丈夫ですよ、ジャック副団長。ヴィンス……ヴィンセント騎士団長は、必ず最適解を導き出して戻ってきます」
「……エリス様」
「私は待ちます。……待機モードは、得意です」
そう言って微笑む彼女を、俺はじっと見つめた。
誘拐騒ぎの時、泥だらけで凛としていた彼女。
そして今、寂しさを隠して笑みを浮かべる彼女。
「……なんですか?」
「あァ、いや。……随分と、表情が豊かになられたなァと思いまして」
うっかり見入ってしまっていたことに気が付き目をそらす。
俺は照れ隠しに頬を掻いた。
「初めて会った時は……失礼ながら、本当にお人形のようでしたから」
「……人形」
「えェ。あ、でも、団長もですよ。あの人も、あなたと出会ってから、随分と表情が柔らかくなりました。……あの氷の騎士を溶かしたのは、間違いなくあなたです」
俺の言葉に、エリス様は目を瞬かせた。
そして、冬の空のような澄んだ瞳を細め、柔らかく笑った。
「……では、人形を人間にしたのは、ヴィンスなのでしょうね」
その笑顔の、なんと人間らしいことか。
俺は言葉を失い、ただ頷くことしかできなかった。
ビューッと一際冷たい風が広場を吹き抜け、粉雪を舞い上げた。
俺とエリス様は、揃って小さく身震いをした。
「寒冷ですね。気温の低下を確認――」
エリス様が俺を見て、ふと瞬きをした。
そして、思い出したようにスカートのポケットからなにかを取り出す。
布に包まれた、掌サイズの小さな物体だ。
「ジャック副団長。これを」
「え、これは……?」
渡されたそれを受け取ると、じんわりと温かい……いや、熱いくらいだ。
かじかんだ指先に、その熱が心地よく伝わってくる。
「携帯発熱体の試作品です。生石灰と水の化学反応を利用して熱を発生させる仕組みで――つまり、温かい石のようなものです」
「へェ! こりゃ温かい」
「先ほどから、ジャック副団長の上腕三頭筋が寒さで強張っているのを検知しました。寒冷環境下では、人間の生体パフォーマンスは低下します。ジャック副団長に倒れられては、アウロリアの防衛戦力がダウンして非効率ですので」
淡々と語るエリス様の言葉は、いつもながら理屈っぽい。
しかし、俺の些細な変化に気づき、気遣ってくれているのを感じた。
「……ははっ。ありがたくいただきます」
「後日、使用感を教えてくださいね」
俺はその温かい塊を、ぎゅっと握りしめた。
物理的な熱だけじゃなく、この不器用な優しさが、凍えた心に染み渡るようだ。
(ヴィンス。お前がこの子に惚れた理由が、分かる気がするよ)
こんなに健気で、賢くて、優しい恋人を待たせるなんて。
戻ってきたら、俺が一発殴ってやらなきゃ気が済まない。
「ありがとうございます、エリス様。……これのおかげで、まだしばらくは戦えそうです」
俺がニカッと笑うと、エリス様もまた、嬉しそうにはにかんだ。
二人の吐く白い息が、冬空に溶けていく。
手の中の温もりを頼りに、俺たちの待ち人が帰る日を、信じて待つのだった。




