閑話. 幼馴染の恋愛術指南
「――はい、これで全部。検品完了よ、エリス」
私が作業台にズラリと並べたのは、完成したばかりの万年筆だ。
うちの工房の職人たちが総出で磨き上げた濃紺の軸は、窓から差す冬の光を受けて艶やかに輝いている。
「完璧です。仕上がりはどれも均一。インクの吸入機構もスムーズで、ペン先の研磨精度も申し分ありません」
私の隣で、一本一本丁寧に確認していたエリスが、満足そうに頷いた。
以前は聖女様と呼んでいたけれど、この1ヶ月ですっかり打ち解けて、今ではエリスと名前で呼んでいる。
友達ならば敬称は不要では? なんて提案をしてきたのは、意外なことにエリスからだった。
「これなら、すぐにでも売り出せるわね」
「いいえ」
エリスは、完成した万年筆を撫でながら、首を横に振った。
「エドマンド司教からの許可と、聖女の刻印の認可が下りていません。司教が領主街の大聖堂から戻られるまで、販売は保留です」
「あー、そっか。司教様はまだ、根回しに奔走してるんだっけ」
あのおじいちゃん司教様は、エリスを正式な聖女として認めさせるため、そしてこの万年筆や石鹸の権利関係をクリアにするために、領主街の大聖堂へ向かったきりだ。
おかげで商品は山積みで、出荷待ちの状態が続いている。
「ま、焦ることはないわよね。冬の間じっくり作り溜めておけば、春にはどかんと売れるわよ」
私が明るく言うと、エリスはそうですねと小さく答えたあと、猫のようにふいっと窓の外へ視線を逸らした。
その横顔は、どこか寂しげで、沈んでいる。
(はぁ、またか)
ここ最近、エリスはよくこうして工房に顔を出すようになった。
最初は仕事の確認だったけれど、最近はどうも、寂しさを紛らわせに来ている節がある。
「……来ないわねぇ、あいつ」
私がぼやくと、エリスの肩がピクリと跳ねた。
あいつ、というのはもちろん、私の幼馴染であり、この子の恋人である、ヴィンスのことだ。
あのお祭りの夜、甘い雰囲気で別れたと聞いていたのに。
来週また来ると言い残したきり、もう一ヶ月も音沙汰がないようだ。
手紙の一通すら来ないなんて、一体全体どういうことなのよ。
「まったく! 騎士団長だかなんだか知らないけど、恋人を一ヶ月も放置するなんて信じられない! ちょっと顔を見せるくらい出来るでしょーに!」
私がわざとらしく怒って見せると、エリスはムッとしたように唇を尖らせ、私を睨んだ。
「ジェシカ。ヴィンスを悪く言わないでください」
「はあー? あんたのために怒ってるんでしょうが!」
「彼は、騎士団長として責務を果たしているだけです。国境付近の情勢が不安定だと、ジャック副団長からも共有を受けています。……多忙な中、私にリソースを割けないのは、論理的に正当な判断です」
理路整然と言い返してくるけど、その手はギュッとスカートを握りしめている。
寂しいくせに、彼の悪口だけは許さない。
(……ほんっと、いつまでたっても、なつかない猫みたい)
私はやれやれと肩をすくめた。
素直じゃなくて、でも一途で可愛い友達。
「はいはい、ごちそうさま。愛されてるわねぇ、ヴィンスのやつ」
私が茶化すと、エリスはふいっとまた顔を背けた。
その耳は、少し赤い。
教会の様子は、エリスからもだが、ロキたちが工房に来た時によく聞いている。
鶏小屋ではひよこが生まれたらしく、以前私が分けてあげた種芋も、本格的な冬が来る前に無事収穫できたらしい。
それに、養護院に通う子供たちは、会うたびに言葉遣いや表情がしっかりとしてきている。
ただの可哀想な孤児だったあの子たちが、今では読み書きを覚え、大人たちと対等に話をしているのだ。
あの子たちの成長そのものが、エリスがこの街にもたらした「聖女の奇跡」の証明になっている。
エリスは十分すぎるほど頑張っているのだ。
だからこそ、この寂しそうな顔を、なんとかしてあげたいと思うのだけれど。
「……はぁ」
また一つ、エリスが小さなため息をついた。
その姿をしばらく見たあと、私はニヤリと口角を上げた。
仕事の話も、ヴィンスの擁護も飽きたなら、もっと刺激的な話題を提供してあげようじゃないの。
「ねえ、エリス」
「なんですか」
「とっておきの話をしてあげようか?」
「興味ありません。私は今、万年筆の箱詰め工程の最適化について――」
「恋愛の先輩である私が、恋人同士の在り方を伝授してあげようかって言ってんの!」
ピク、と。
エリスの動きが止まった。
ゆっくりと、滑らかにこちらを振り向く。
その瞳の奥で、強烈な好奇心の光が灯ったのを、私は見逃さなかった。
「……こいびとどうしの、ありかた」
「そ。ヴィンスと久しぶりに会った時、どうしたらいいか分からないでしょ? 本には書いてない、大人の恋愛のあれこれを私が教えてあげる」
「……詳細データの開示を、要求します」
食いついた。
私は作業用の椅子を引き寄せ、エリスに向かい合った。
「いい? 恋人になったらね、スキンシップが大事なのよ」
「スキンシップ……。手は、繋ぎました」
「甘いわね! 手を繋ぐなんて序の口よ。例えばね、久しぶりに会ったら、まずはハグ! ギュッと抱き着くの!」
「だ、抱き着く……!? む、無理です! 心拍数が危険域に……」
「さらに! 不意打ちでほっぺにちゅってしたりね!」
「なっ……!?」
エリスの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
湯気が出そうな様子が面白くて、私はさらに畳みかけた。
「ヴィンスみたいな堅物にはね、こっちから甘えちゃうのが効果的なのよ。腕に絡みついたり、上目遣いでお願いしたり……あとは膝の上に座ったり!」
「そ、そんなに密着しては、迷惑では……!?」
「恋人なんだからあたりまえでしょ! で、そのまま髪を撫でてもらったりしてね~」
「あう……ッ」
エリスは両手で顔を覆い、勢いよく机に突っ伏して、額を机に打っている。
額を抑え震える背中を見ながら、私はクスクスと笑ってしまった。
ちょっとからかいすぎたかな。
「ま、ヴィンス相手ならそのくらいしてもバチは当たらないってことよ。……さーて、そろそろ仕事に戻ろうかな」
私が椅子から立ち上がろうとした、その時だった。
ガシッ! と、強い力で腕を掴まれた。
「……え?」
見ると、真っ赤な顔をしたエリスが、鬼気迫る表情で私を見上げていた。
「ま、待ってください。データが……データが、不足しています」
「え、いや、今ので十分じゃ……」
「足りません! 理論は分かりましたが、実証データが必要です!」
エリスの瞳が、怪しく光る。
その矛先は、私に向けられていた。
「ジェシカ。あなたは、その……旦那様と、そのようなことを……?」
「ぶっ!!」
今度は私が吹き出す番だった。
まさか自分に火の粉が降りかかるとは思っていなかった。
「え、いや、それは……まあ、夫婦だし……?」
「具体的には!? スキンシップの頻度は!? どちらからアプローチを!?」
「ちょ、ちょっとエリス!?」
「ハグの際の、最適な角度と所要時間は!? 腕に絡みつく際の力加減は!? 教えてください!!」
「うわあああ!! 待って!!」
逃げようとする私を、エリスは離さない。
普段は華奢で非力で儚い少女なのに、好奇心に突き動かされているときの彼女はなんとも、存在感に迫力があった。
「答えてくれるまで、離しません」
「ひぃぃ……!」
結局、そのあと数時間にわたり、私は自分の恥ずかしい夫婦生活を根掘り葉掘り尋問される羽目になった。
なつかないどころか、引っ掻く猫だったなんて……。
私は心の中で、遠い空の下にいる幼馴染に、必死に助けを求めたのだった。




