78. 祭りのあと、静寂
そろそろ灯火祭も終わるようで、街の人々が家に向かって帰路につき始めていた。
広場から出ていく人の流れを抜けて、ジャック副団長が待つ橋の方へと向かう。
ジャック副団長は、騎士の鎧姿のまま、いつの間にやら露店で買ったらしい串焼き肉を頬張っていた。
「そろそろ帰らないとですよ、団長。道もまだ悪いですし」
「分かっている」
ヴィンスは短く答えると、すぐに騎士団長としての顔に戻った。
「捕らえた者たちの様子は」
「ああ……」
ジャック副団長から、すっと笑みが消える。
食べたばかりの肉の味がしなくなったような、苦い顔をして言葉を続けた。
「やはり、メルカンテ連合の産業スパイのようなものですね。末端ではなく、あっちの中枢と繋がっていると思います。装備も金払いも良すぎますから」
「やはりか」
「最近、国境付近での小競り合いもなかったんで、そろそろなにか仕掛けてくるかなとは思ってましたけどねェ……」
ジャック副団長が肩をすくめる。
その言葉に、私は背筋が寒くなるのを感じた。
今回の誘拐は、国家間の火種になり得るほどの事件だったということだ。
「急ぎ領主に報告する案件だな。――領主には他に話すこともあるし、ちょうどいい」
「他に?」
ジャック副団長が、串を咥えたまま首を傾げる。
しかし、ヴィンスのすぐ傍に寄り添う私と、ヴィンスのどこか晴れやかな表情を交互に見比べ――。
「……え!」
彼は得心がいったように、パァッと満面の笑みを浮かべた。
「よかったですね、団長ォ!!!」
「うるさい」
「いやだって! 俺、心配してたんですよ? 団長ときたら、孤児院での打ち上げの日からこの間まで、この世の終わりみたいな顔してて……」
「黙れ、ジャック」
ヴィンスの声が絶対零度まで下がる。
しかし、ジャック副団長は全く動じない様子で、ニマニマと笑った。
「へへっ。でもこれで、詰所にも届く山のような見合いの釣り書ともおさらばで、いいことずくめですね!」
見合いの釣り書という単語に、思わず反応してしまう。
以前、ジェシカが言っていたヴィンスはモテるという言葉が、現実味を帯びて蘇り彼を見上げると、それに気づいたヴィンスが、私の方を向いた。
――その瞬間。
先ほどまでジャック副団長に向けていた凛と強い表情が、嘘のように解けて、柔く甘い笑みが浮かんだ。
「どうした?」
「え……っ、あ、いいえ……!」
私は慌てて首を振る。
心臓が、また不規則なリズムを刻み始めた。
(花飴よりも甘い顔……これが、こ、恋人に対するヴィンスの挙動、なのでしょうか……?)
特別扱いされているという事実が、私の胸を温かく満たしていく。
ジャック副団長からの生ぬるい視線を感じ顔を上げると、ヴィンスは咳払いをひとつして、そちらに向き直った。
「ジャック」
「はい」
「お前は、このまま残れ」
「はい。……はァ?」
条件反射で頷いたジャック副団長だったが、意味を理解した後に素っ頓狂な声を上げて顔を上げた。
「連合から、他の手合いが来る可能性もある。メルカンテの奴らの見張りをしていろ」
ヴィンスの瞳に、鋭い光が宿る。
私に向けられていた甘い光とは違う、冷徹な騎士団長としての眼差しだ。
「聞き取りもやっておけ。どうせお前がやることになる。……奴らの言葉のニュアンスや、国の内情。肌感で分かるのはお前だけだ」
ジャック副団長は、出身が連合国側だと聞いている。
彼は少しだけ真面目な顔になり、食べ終わった串を捨てると、肩をすくめた。
「まァ、それもそうですけど……」
「本当ならば、俺が残りたいんだがな」
「ま、さすがにそれは出来ないですよねェ……」
騎士団長がここに残り続け、副団長だけが帰還するわけにはいかない、ということだろう。
ジャック副団長は姿勢を正すと、ビシッと美しい敬礼をした。
「了解しました。奴らの監視と、エリス様の警護も合わせて、お任せください!」
彼は冗談めかして、しかし力強く請け負った。
そして、私の方へ視線を向けると、広場の向こうに見える、街で一番立派な屋敷を指差す。
「エリス様。もしなにかあったら、代官の屋敷までいつでも来てくださいね。もちろん、日に一度は俺が教会の方に伺いますので、ご安心を」
「ありがとうございます、ジャック副団長」
私が深く頭を下げると、彼は照れくさそうに笑った。
ヴィンスが出立の準備――代官の屋敷に繋いである馬の手配などを命じると、ジャック副団長は祭りの喧噪に紛れて行った。
二人きりになったヴィンスが、手を差し伸べながら、私に向き直る。
「……送ろう」
その声には、私を一人にすることへの僅かな懸念が滲んでいた。
誘拐事件があったばかりだ。彼が心配するのも無理はない。
私は素直にその好意を受け入れ、差し出された大きな手に、自分の手を重ねた。
「はい。お願いします」
ヴィンスにエスコートされ、私たちは蝋燭の明かりを背に歩き出した。
広場から少し離れるだけで、祭りの喧噪は遠くなり、代わりに川のせせらぎが聞こえてくる。
そこには、いつもの静けさが戻っていた。
教会へ向かう夜道。
石畳を歩くコツコツという音が、心地よく響く。
「……靴はどうだ?」
不意に、ヴィンスが足元に視線を落として尋ねた。
私も彼の視線を追うように、彼が贈ってくれた、白い編み上げのショートブーツを見下ろす。
「とっても、歩きやすいです。サイズもぴったりで、どこまででも歩けそうです」
彼がずっと手を引いてエスコートしてくれていたおかげだろう。
祭りの人混みを歩いた後だというのに、その革は泥ハネひとつなく、清らかに白く輝いていた。
「そうか。それなら、毎日身につけてくれ」
「えっ……い、いえ! そんな、もったいないです。汚してしまいます」
毎日着用するには、あまりに上等すぎる。
私が渋ると、ヴィンスは楽しそうに口元を緩めた。
「汚したら、また贈らせてくれ。……もちろん、靴以外も」
あまりいただきすぎるのも、対等な関係とは言えないのでは。
そう言いかけて、あっ、と私は思い至った。
「あの、ヴィンス。私からも、贈り物をさせてください」
「贈り物?」
「ちょっと待っていてください」
ちょうど教会の門が見えてきたところだった。
私は彼に待っていてもらい、転ばないようにと心配する彼の声を背に、小走りで自室へと戻った。
机の引き出しから、大切に保管していた桐箱を取り出し、再び彼の元へと駆ける。
「はぁ、はぁ……これ、を」
私は息を整えながら、箱を差し出した。
ヴィンスが不思議そうに蓋を開ける。
そこには、濃紺の色をした軸に、銀の装飾が施された一本の筆記具が収められていた。
「……これは?」
「完成したインクを充填した、製品版の万年筆です」
「これが……」
ヴィンスは万年筆を取り出し、月明かりの下でしげしげと眺めた。
その洗練されたフォルムに、感嘆の息を漏らす。
「そういえば……なぜ君は、これを作ろうと?」
「え?」
「石鹸やポンプは、孤児院のためだと分かる。だが、これは……」
「……聖女と、認められるためです」
まずエドマンド司教に聖女として認めてもらうため、教会に益をもたらす具体的な実績の提示が必要だったこと。
その証明として、この世界にはない万年筆や石鹸を開発し、私の知識が有用であると認めさせた経緯を説明した。
「なるほど……。君は、聖女と認められたかったんだな」
「はい」
ヴィンスの言葉に、私は深く頷いた。
「あなたの隣に、立ちたかったので」
「――、」
ヴィンスが瞬きをする。
私はそのまま、自分の足元のブーツを見つめながら、言葉を続けた。
「私は身元不明の、孤児の扱いですから、平民です。ですが、聖女と認められれば、特例として準貴族の扱いを受けられると……そうすれば、貴族であるあなたとの結婚も可能と……聞いて…………」
そこまで言って、私の言語中枢がフリーズした。
あなたの隣に……?
結婚……?
(私、もしかして今、ものすごく恥ずかしいことを言っていませんか……!?)
最後まで言えずに、私は口を押さえてその場にしゃがみ込みそうになる。
けれど、それより早く、ヴィンスが動いた。
彼は私の前で、また騎士の礼をとるように膝をついたのだ。
そして、下から私の顔を覗き込む。
「君が、俺との未来を考えていたと知れて……嬉しい」
「あ、あの、ヴィンス」
「嬉しい、だなんて……生まれて初めて言ったかもしれん」
彼は自嘲のような苦笑をすると、私の片手を取り、恭しく手の甲にキスを落とした。
顔をあげた彼のその瞳は、夜空の星よりも強く輝いている。
「俺も、誓おう。聖女の――君の隣に立つに相応しい人間に、必ずなると」
はい、と勝手に私の口からこぼれた返事は、寒い空気に溶けていった。
名残惜しく、手を離す間にも、夜は更けていく。
ヴィンスは立ち上がると、私の頭を優しく撫でた。
「では、また来週。……必ず、会いに来る」
「はい。楽しみに待っています」
彼は何度も振り返りながら、馬の待つ代官屋敷の方へと去っていった。
私はその背中が見えなくなるまで、胸いっぱいの温かい気持ちで見送った。
これから始まる、彼との新しい日々。
手紙を書き、週末には会い、少しずつ距離を縮めていく。
そんな幸せな未来が待っていると、温かな期待に胸を膨らませていた。
――しかし、ヴィンスが訪れないまま、一ヶ月が過ぎた。




